市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」

話題の映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」を見てきた。

www.nazekimi.com

www.youtube.com

この予告を見たときには、興味は持ったがそれほど惹かれなかった。
しかし、題材である小川淳也代議士が香川1区選出と気づいて一気に興味が湧いた。

香川1区、高松市には市会議員のとみの和憲氏が居て、彼とは因縁浅からぬ仲だからだ。

tomino.online

なぜ、彼、とみの和憲氏と因縁ができたかは、ここでは置く。しかし、とみの高松市市会議員も、非常に誠実で真面目な人物である事は疑いがない。

そのとみの議員と立憲民主党として轡を並べている小川淳也衆議院議員となれば、俄然興味が湧いた。

www.junbo.org

2003年の衆議院選挙、総務省を辞め初の立候補。しかし落選。取材はここからはじまる。
2005年に初当選、2009年には政権交代を果たし、政権与党の国会議員となる。

しかし・・・いくら気高い政治思想があっても党利党益に貢献しないと出世できず、選挙区当選でなければ発言権も弱い。小川の地元である香川1区の対抗馬は、自民党平井卓也 。平井は地元有力メディアである四国新聞西日本放送のオーナー一族で、強固な地盤を持つ。
そのため、小川は惜敗しては敗者復活の比例当選を繰り返してきた。権力への欲望が足りず、家族も「政治家には向いていないのでは」と本音を漏らす。


(公式サイト作品紹介より)

http://www.nazekimi.com/

2012年に安倍自民党に政権を奪われ、下野、党は混乱を続ける。2017年の総選挙において、小池百合子の提唱する「希望の党」への合流が課題となり、前原の側近としての立場に翻弄されていく。

選挙戦において思わず口に出した「打倒、小池だよなぁ」との一言には、本音が見えた気がした。


 予告編でも取り上げられているが、その希望の党での選挙戦で、小川は街を行く人から「おまえ、安保法制反対しとったじゃろが」と非難される。「イケメンみたいな顔しやがっておまえ、心はもう、真っ黒やないか」

 これと、選挙キャンペーンに帯同した娘さんが道行くサラリーマン風の男性にリーフレットを渡そうとすると、受け取りを拒否される。当時の希望の党への逆風を見事に表現しているシーン。

 このシーンに上西充子氏*1が、映画のパンフレットで次のように述べている。

 そのいずれもが、私たち自身の姿であると思った。私たちは多くの場合、投票し、結果を確認することはあっても、その議員や政党のことを、深く知ろうとはしない。その議員や政党が、議会でどのような審議をしているか、わざわざ見に行こうとしない。「どうせ政治家なんて信用にならない人たち」と、与党も野党もひとくくりにした粗雑な言葉が広められている現状に疑問を持たず、一方で、自分たちを見捨てることはさすがにないだろうと、根拠なく楽観している。
 (略)
 2019年3月1日。根本匠厚生労働大臣不信任決議案の趣旨弁明に野党各派を代表して立った小川議員は、1時間49分の大演説の終盤でこう語った。


 「小手先の改革ではどうにもならない構造問題が、この国の未来には横たわっています。そして、私たちが真に国民の負託に応えるために、血みどろになる覚悟でその課題に向き合うために、私たちに求められるのは、国民に対する信頼であります。


 政治家が国民に信頼されていない。しかし、政治家もまた国民を信用しきれていない。このはざまを、このすき間を埋めなければ、小手先でない、正しい改革は成し遂げられません」


 『なぜ君は総理大臣になれないのか』このタイトルで問われているのは、小川議員の資質ではない。政治に対する、政治家に対する、有権者としての私たちの向き合いかただ。


(公式パンフレットより)

 私は、国民の「選球眼」の悪さに嫌気が差している。

 ここ数年、数十年だろうか。この人はと思える政治家が道を閉ざされ、何だこいつは?と思えるような者がバッチを付けていく。有権者は信じられないくらい無責任に議員を選ぶ。もっと無責任なことには、そうした投票行動すらしない。上で上西さんが「根拠なく楽観している」と指摘するのは、こうした投票棄権者の多さを言っているのだろう。

 政治を語る人は多いが、その言葉は地に足が付いていない。
 特に、テレビにおけるワイドショー型、討論風味の政治ショーの影響は大きい。

 木の葉が沈んで、石が浮かぶ不条理には耐えられない。
 事実よりも扇情的な言葉がもてはやされ、善悪や損得よりも、主観的な好悪が優先される。

 政治は事実を根拠として議論されねばならない。
 例えば、名古屋市の減税政策におけるシミュレーションの異常性こそが私が感じる政治議論だ。

減税検証シミュレーションに対する疑惑 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

 名古屋城木造化の事業についての是非は、主観的な価値観によるものかも知れない。それは議論しても主観の押し付け合いに終止してしまうだろう、しかし、その基本設計代金の支払いについての違法性は客観的な議論ができる。

名古屋城天守の有形文化財登録を求める会

 後は、司法の判断を待つだけだ。


 こうした事柄について、様々なメディアに取り上げてもらうように資料を提供すると、「難しすぎる」や「読まれない」と拒否されてしまう。

 こうした読者自身が頭を使わなければ理解できないような話題については、記事にしてもあまり読まれず、読者は付いて来ないそうだ。しかし、私は思う。[uke: |: ] 読者が付いてこないから、こうした話題を題材にしないために、読者はより扇情的で簡便な話題に飛びつき、咀嚼の難しい問題を考えようとしない、そうした問題を考えようとしない読者は、そうした問題に興味を示さない。興味を示さないから記事にならない。記事にならないから基礎知識がない。基礎知識がないから理解できない、理解できないから記事を読もうとしない、読者が付いてこない[uke: :| ]。*2


 まったくくだらない。ココ最近、中部地区のスポーツ新聞(中日スポーツを含む)における、「あいちトリエンナーレに係る大村知事リコール問題」に費やされる活字の量は異常だろう。それでいて、リコール事務局ですら、リコール制度そのものを理解しておらず、当初のリコール開始時期(8月1日)が守れていない。(リコール制度一つ満足に理解できないものが、知事よりも地方自治地方自治における文化事業を理解していると思える驕りは一体どこから湧いて出てくるものだろうか)

 この問題で取り上げられている金額が約4千万円。河村市長が上でも述べたように「違法な事務」を進めてまで強行した名古屋城木造化、そのために買い込んだ原料の木材、これの保管料が年間約1億円と言われており、今、最短で完成できるとしても2028年と言われている。つまり、8億円からの金額は無駄に支出されることになる。

 適正に基本設計業務を進め、それが成立しないのであれば木材など買わなければ、支払わなくても良いお金が8億円。なぜ、こんな無理な施策を展開したか。その理由は、河村市長の「最重要政策」*3である、名古屋城木造化が「進んでいるように見せかけるため」でしか無いことは明白だ。

 そして、挙句の果てにこの6月には文化庁からこんな「最後通牒」まで突き付けられている。

史跡等における歴史的建造物の復元の在り方に関するワーキンググループ-鉄筋コンクリート造天守等の老朽化への対応について(取りまとめ)- | 文化庁

 事実に基づく議論。事実に基づく政治を行わなければ、この国は保たない。

 あの小池百合子に300万票以上の票が集まるということは、有権者は何の根拠も持たず、ただ「テレビに毎日出ている人」「名前を知っている人」に投票しているに過ぎない。それでジャーナリズムの意味があるのだろうか。

 有権者に嘘をつく政治家は排除しなければならない。

 政治家の嘘を許すから、政治家は緊張感を失い、嘘をつき続ける。

 特に、今回。小池百合子が候補者討論から逃げたように、公約などまったく無視で「税金で食って極楽」を決め込んでいる政治家が腐るほど居る。実際に腐っているのだろう。

 そして、そうした者たちは、都知事選挙における小池百合子よろしく、メディアに注目されることを嫌っているようにも見える。「ギュゲスの指輪」を使って身を隠しているのだ。

 こうした「働かない代議士」「要らない政治家」は政治の場からとっとと退場してもらわなければ、政治に緊張感が生まれない。風まかせのいい加減な政治家ばかりになる。


 有権者、メディア、政治家それぞれが、相互に監視し、批判し、豊かな議論を起こさなければ、本当にこの国は沈んでしまうと思う。


 最後に2つばかり、映画の中の小川代議士が語った言葉で、心に響いた言葉がある。


 小川代議士は総務省の出身だが、こうした官庁で一番偉いのは誰かと説明する際に、制度的には大臣に決まっているが、官僚にとって大臣などお客様に過ぎない。(市の当局者にとって、市長はお客様に過ぎない)事務次官が一番偉いのかと言うと、そうでもない。その上にOBが居る。このOBの影響力が官庁を支配し、そうした昨日と同じ今日、今日と同じ明日という強力な慣性力が官庁を支配する。これを突き動かすには政治家になるしか無かった。

 政治は1か0になってしまう。49対51でも、51の方が100持っていってしまう。それではダメで、51には49を背負う覚悟がいる。

 これこそ、政権を持つ者が守るべき言葉であり、こうした常識が奇異に映るほど、今は常識が失われていると感じた。


 また、映画を見たのは、シネマテークだったが、途中、田崎史郎と宴席を設けて意見交換をしているというシーンで客席から舌打ちが聞こえた。田崎史郎といえば官邸からお金が出ているほど安倍政権ベッタリと言われているジャーナリストで、小川代議士がそこに近いことを嫌ったヒトが居たのだろうと思ったが。
 こういう感覚がおかしい。

 政治とは包摂する仕組みを模索する文化的な営為だ。「気の合った仲間」だけで集まるような話ではない。逆に、まったく政治的指向の異なる者同士だからこそ、対話を重ねて相違点と妥協点を探れなければならない。自分と異なる意見の者は「間違っている」から「排除」するという態度*4は、幼稚にすぎる。


2019年3月1日。根本匠厚生労働大臣への不信任決議案趣旨弁明
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2019年2月4日 衆議院予算委員会(統計不正問題追求)
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2012年2月19日 桜を見る会 前夜祭ANAホテルコメント問題追求
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私はこの質問で、菅官房長官に対して語った次の言葉は大切だと思っている。

 私は、立場をわきまえずに申し上げますが、(菅)官房長官の手腕には一目も二目も置いていますよ。本当に、それは私だけではないでしょう。ここにいる委員の先生方、麻生財務大臣もそうだと思いますよ。

 でも、官房長官、ちょっと若げの至りで申し上げさせていただきたいんですが、御党の後藤田正晴先生とか、野中広務先生とか、梶山静六先生とか、まさに異彩を放った官房長官、歴代いらっしゃいますね。政権運営においても巧みだったと思う。しかし、もうちょっと、何というんですか、どこかに、政権の都合と社会の規範との間でもっともがき苦しんでいる先輩方だったんじゃないですか。私は、菅義偉という人はそれができる人だと思いますよ。

 完全に魂まで政権運営に身を売ってしまったら、何が残るんですか。この長期政権の日にちだけが残るんですか。日本の社会のモラルを、私は、ある種崩壊させながらこの政権は最長に至っていると思っている。それが正せるとしたら、いや、全責任、最終責任は安倍晋三先生にありますよ、しかし、正せるのは、菅義偉、あなたしかいないじゃないですか。全部、何でもかんでも政権の都合で、魂まで身売りするような状況だったら、何のために政治家になったんですか。そういう話にもなりかねない。その前提でぜひ御答弁をいただきたいわけです。

  目先の利益や、しがらみだけで、不正に目をつむるのであれば、その人物は、その嘘のためにこの世に居たことになってしまう。ひとを、他人を欺くために生まれてきたことになってしまう。

 身過ぎ世過ぎの活計以上に、ひとには重要なものが有り、それを構築できるのが、政治家というものなのではないのだろうか。


*1:法政大学教授、国会パブリックビューイング代表

*2:ウクレレ記法が使えない??

*3:であることがお笑い草だが

*4:嘘つきの政治家は排除しなければ、議論が成立しない