市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

お願いとお知らせ

本日は日頃のこのブログとは異なる記事を書かせていただきます。

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鑑賞の補助線

お願いとお知らせ

名古屋の大須に「七ツ寺共同スタジオ」という劇場がある。
この七ツ寺共同スタジオが今年で開設50周年を迎えた。それを記念して50年前にこけら落としで上演された「夢の肉弾三勇士」(作:流山児祥さん)を上演することになった。

spice.eplus.jp

11月18日から11月27日までの日程だったが、21日に出演者にコロナ感染者が出てしまい、途中で上演は止まってしまう。

残り日程を上演から上映に切り替えて、全日程は終了した。

映像配信も行われており、12月6日までなら配信で視聴可能となっている。

v2.kan-geki.com

ここでお願いがあります。
名古屋における演劇文化の火を消さないためにも、こうした小演劇に興味が無い方にも一度、配信を見てみてほしい。

そして、名古屋の文化を盛り上げたい。守りたいと思う方が居たら、1口とは言わず、2口、10口購入していただきたい。

10口買っても2万8千円。寿司屋に行ったつもりで、名古屋の文化のために購入を呼びかけたい。

なぜ私がこんな呼びかけをするのか。このブログの根底を流れるのは、共棲や包摂の理念です。弱者や少数者との共棲や包摂を失った社会は生きづらい。行政や政治においてもこうした視点を見失ってはならない。

こうした小演劇(劇の中でも「アジプロ演劇」*1という言葉が出てくる。)やパフォーマーは、社会における「鉱山のカナリア」で、そうした人々が居ない社会は生きづらく、多様性、可能性を欠く。私自身もそんな社会には住みたくない。なので、少しでも生き残りの可能性を高めたい。

といった塩梅で皆様にもご協力を呼びかけ、お願いする次第です。

ws.formzu.net

鑑賞の補助線





小演劇に慣れていない方には、こうしたお芝居に面食らうかもしれません。小演劇、現代演劇では舞台の上で、時間や空間は好き勝手に跳躍します。演じている役柄も突然入れ替わったりします。

そもそも登場人物は人間であるとも限りません。様々な概念などの象徴として描かれもします。題名となった「肉弾三勇士」とは、1932年の上海事変の際に、爆弾を抱えて自爆するという特攻を行い、中国国民党軍攻略の突破口を開いた戦史上の人たちで、それ以降第二次世界大戦に突入していく日本社会の中で、戦意高揚のために使われた象徴です。

これ以降の劇の解釈は、私の主観的解釈で、あなたが鑑賞されて違う解釈を引き出されても、どちらが正解とかは無いと、私は思います。(これも主観)
見るたびごとにも変わるし、見る人の文化的背景の相違によっても解釈は異なって良い。それが現代演劇だと思います。(なので、何回もご覧ください、何回もお買い上げください)

では「夢の肉弾三勇士」とはどのような演劇か、恥ずかしながら私なりの解釈をご披露してみようと思います。

まず何と言っても早いのは出演者をご覧頂くことでしょう。
上演の際に配られたパンフレットに、出演者の集合写真が載っていました。その横にキャスト紹介があったので、その両者を私が合成してみました。動画鑑賞の際にも、この画像が解釈の一助になるかもと思います。

(勝手に掲載していますが、こうした掲載に問題があればご指摘ください。)

キャスト

もう、この写真を見ても「ただ事ではない」予感が漂いますが、その予感は正解です。ただ事ではありません。そう思われた方は、ぜひ、配信の購入を!

v2.kan-geki.com

写真でも目を引くのは「片目のジャック(傷痍軍人):御陵正人(御陵一座)」かもしれません。

https://www.facebook.com/mssgichiza/
p-a-outsider.com


名古屋市内で大衆演劇を続けている御陵一座の座長で、小演劇とは異なるジャンルなのかもしれませんが、「名古屋の演劇のお祭り」ということで参加されているようです。というか、この異物感は凄まじく破壊的で良い!

オリジナルは流山児祥さんの戯曲。50年前に七ツ寺共同スタジオで上演された事はすでに述べました。つまり、50年前の昭和の社会で上演されていたものに、今日的な問題や社会のあり方を加え、脚本は鹿目由紀さん(劇団あおきりみかん)が担当されたそうです。

www7.plala.or.jp

その際に今回の公演企画のテーマ*2や女性にまつわる問題を大胆に加えていらっしゃるようです。

オリジナルは昭和の社会に生まれたものですから、「肉弾三勇士」と言われれば、上記のようなイメージは多くの方に受け入れられたものでしょうが、そうした歴史に触れていない方も多いでしょう。同様に関東大震災後のデマによる朝鮮人大量虐殺についても重要な出来事として描かれているのですが、こうした歴史を改竄、隠蔽しようとする人々*3も居て、令和の日本の社会では共通認識として成立しづらいかもしれません。

しかし内閣府の防災情報にも取り上げられているように、現実の事件であり、行政が対応すべき事柄でもあります。

www.bousai.go.jp

ヴァイツゼッカーが訴えたように、「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目となる」こうした歴史的事実が忘れさられている今こそ、同じ危機が繰り返されるのではないか、であればこそ、今想起する意味は重いと私は考えます。

劇中、こうした昭和の社会では使われていたけれど、令和の今ではあまり使われていないような言葉もありますが、大きくはこの2つでしょうか。(「上海帰りのリル」なんかもそうかな? 
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E5%B8%B0%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%83%AB
とかご覧になっておくと、「予習」になるかもしれません)

私の解釈では、この物語は3つのテーマを同時展開しているようです。

アンジェリータ(鈴江あずさ)ーユマ(田口佳名子)ー少女(赤木萌絵)の女性3人(3代)による女性の物語。

もう一つはさすらいのテロリスト朝日平吾(イルギ)と

朝日平吾 - Wikipedia

それに魅了され、自身を朝日平吾と思い込むアサヒ(川瀬雄貴)

それともう一つはシムラ(久川徳明)が代表するもの(上の集合写真をご覧になれば、「シムラ」がなんの象徴かはご理解いただけると思います)についての周囲(社会)との議論。

アサヒが「いいね」で舞い上がっていく様や、コロナ禍、東日本大震災や東電原発事故も描かれています。え?8時間ぐらい上演するのかって?それを2時間で描ききるんですよ。それも七ツ寺の舞台で。

舞い上がるアサヒの姿は、現代のSNSでトチ狂う人々の姿を象徴しているのでしょう。最初はアサヒの言葉に反応していた周囲の「黒い人たち」ですが、終盤になると「黒い人たち」の言葉をアサヒがオウム返しするだけになる様などは、「虎ノ門ニュース」やら「月刊Hanada」「Dappi」などが振りまいたデマを拡散させる人々の姿ではないかと思いました。*4

 朝日平吾北一輝―二・二六青年将校への連なる「日本民衆史のテロルの系譜」の下部にたゆとうている、「肉弾三勇士」伝記がダメなアニキ達への「鼠小僧」や「ジョン・シルバー」の幻にならずに生き延び、民衆――観客の下方の闇を解き放つには、錯綜する僕・僕らの生の「ことば」を組織するしかない。 (流山児祥戯曲集其壱/夢の肉弾三勇士 昭和四十七年五月三日発行 あとがきより)

社会に向かって「黙るな、訴えていけ、叫んでいけ」と「組織」されたのが、オリジナルの「夢の肉弾三勇士」なんだろう。それに令和の今、脚本の鹿目さんや演出の渡部さんは「繋がること」を盛り込んだ。今回の公演、七ツ寺共同スタジオ設立50周年ということで、この50年を繋げてきた先人たちへの敬意と、それを繋げていく今日の私たちの責任と、それを継承していって欲しいこの先の50年、100年の演劇人、名古屋の演劇関係者に向かっての願いであるように感じました。

最後に少女(赤木萌絵)は歌います。
「海は広いな大きいな、手と手繋いで、日は登る」

繋いでいくことこそが、文化の継承。継承されるものこそが文化である。
そう私の胸には響きました。

七ツ寺共同スタジオ舞台写真

v2.kan-geki.com

12月6日まで!


*1:アジテーション(扇動)+プロパガンダ(宣伝)演劇。元々はソ連において革命思想を称揚する目的で作られた形式、言葉=プロレタリア演劇

*2:後述

*3:例えば東京都の小池都知事など

*4:どっかの市長のことは今日は特に触れません