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映画「決戦は日曜日」

映画「決戦は日曜日」を見ました。

kessen-movie.com

その映画評をさせていただきますが、ネタバレはしないようにいたします。

監督は坂下雄一郎さん。まだ36歳の若い監督さんです。
主演はシニカルな私設秘書役に窪田正孝さん、急遽父親の地盤を引き継ぐことになったお嬢様育ちの二世候補に宮沢りえさん。脇を小市慢太郎さん(途中の「清州会議」の場面での凄み演技は見もの)やすいません、ほとんど初見のような「おじさん俳優さんたち」が地方の後援会のいい感じのおじさんたちを演じていて興味深かった。注文をつけるとするなら、おじさん方は皆スーツ姿か枯れたカーディガンの年金生活風にされていたけど、ボルサリーノ(あの、麻生元総理がするような帽子)でも被って指輪をジャラジャラつけて葉巻でも吸い出しそうなオヤジってのも入れても良かったように思う。また、後援会の女性部長なんてのも描ければ面白かったのにね。昔で言えば塩沢ときさんみたいな役者さん、いまなら芸人さんクラスから美味しそうな人が大量に居そうじゃない。後援会の支部長さんクラスってのは、選挙の場が最大の社交場でここ一番の服を着てくるけど、そういったオンオフの風景までは描ききれていなかった気がする。(選挙の開票風景なんか見ると「お前は何者?」ってオジサンやオバサンがいるでしょ)

ま、それはさておき。あらすじをオフィシャルサイトから引用します。(つまり、この程度の内容紹介はネタバレにならないということで)

とある地方都市。

谷村勉(窪田正孝さん)はこの地に強い地盤を持ち当選を続ける衆議院議員・川島昌平の私設秘書。秘書として経験も積み中堅となり、仕事に特別熱い思いはないが暮らしていくには満足な仕事と思っていた。

ところがある日、川島が病に倒れてしまう。そんなタイミングで衆議院が解散。後継候補として白羽の矢が立ったのは、川島の娘・有美(宮沢りえさん)。谷村は有美の補佐役として業務にあたることになったが、自由奔放、世間知らず、だけど謎の熱意だけはある有美に振り回される日々…。

でもまあ、父・川島の地盤は盤石。よほどのことがない限り当選は確実…だったのだが、政界に蔓延る古くからの慣習に納得できない有美はある行動を起こす――それは選挙に落ちること!

前代未聞の選挙戦の行方は?

映画『決戦は日曜日』オフィシャルサイト

脚本も監督が作られていて、映画企画を立てた際に「政治業界の独特なルール」や「体制」とそれへの反発がドラマを生むような予感がしていたようです。そうした意味では監督自体は「政治業界」にドップリ浸かったわけではなく、またそうした政治的意図、問題意識をもった作品にするつもりは無かったようで。あくまで「ヒューマンコメディー」として組み立てられている。これはこれでありとは思う。

政治を舞台にしたコメディーというと、エディー・マーフィーの「ホワイトハウス狂騒曲」という映画があって、あれは詐欺師がたまたま上院議員と同じ名前であったことを利用*1して、選挙に通り金儲けのためだけに議員生活を送るうちに、国民の困窮に触れ逆に詐欺師の手法で有力議員を嵌めて国民生活を守るって話になっていて、「ヒューマンコメディー」ではなく、アメリカ人が好きな詐欺師を扱った「コンゲーム*2になっていた。

www.imdb.com

ツイッターでこの映画を見た人が、「政治に詳しい人から見たらどう見えるか」と言われたこともあって、見てみて、ツイッターで少しつぶやこうかなぐらいに思っていたんですが。ちょっと考えて、ツイッターでは収まらないと思ってこうして本腰を入れています。

私としては「残念な作品」でした。「ヒューマンコメディー」としては面白く、窪田さん、宮沢さんを始め脇を固める方々、特にお名前も存じ上げないようなあんまりおなじみでもない方々が生き生きと演じているさまは楽しい作品でしたが、決定的に大事なモノが足りない。

ネタバレはしません、それは必要ない。私が感じたこの決定的に足りないモノに行き着く前に、いくつかのエピソードに触れさせていただきたいと思います。


まず、オープニングエピソードに、秘書が代議士をおんぶしてぬかるみを歩くってシーンがあるけど、いわゆる「務台政務官騒動」だよね。(この話を知らないヒトや忘れちゃった方は、下の動画を見てから映画を見ると「クスッ」と笑える)

www.youtube.com

(ただ、監督に注文をつけるなら、この後代議士を送り出す谷村、靴が汚れていなかった)


それと、候補を批判するデモ隊に、世間知らずの候補がモノを配ってしまうシーン、少々の間をおいていい感じの「オチ」がついています。脇役の音尾さんのいい感じに抜いた演技でした。

事務所の怪しげな個室に色々な人が現れ、筆頭秘書とコソコソ打ち合わせるシーン、その中でもバッチを付けた人が「うちにも色々あるんだから」と言って封筒を受け取るシーンね。つまり、政権与党に1選挙区で2万票程度提供する、某巨大組織の方って事なんでしょうけど。封筒が薄すぎます。「仏壇が買えるぐらい」は必要なんですよ。(あくまで、フィクションのお話ですよ!)

それと、怪しげな男たちが「10万円」とか「15万円にしましょう」とか言っているシーン。あれはそんなに危険な話でもなく、例えば公示日に一斉に貼らなけりゃならない公営ポスターの手間賃(労務費)などの話じゃないかと思います。

映画では途中から「落選運動」を展開するって事になっているわけです。

上に引いた公式のあらすじでも述べられている通り。

なんだか、ここら辺からドラマが失速している気がします。

映画の途中で、わざと自分たちのスキャンダルを表に出そうとしますが、実際の選挙戦では候補のスキャンダルが報道されることはありません。(ヒトでも刺さないと無理)スキャンダルが雑誌で報道されても、余程のことがなければ警察は選挙が終わるまで動かないし、警察が動かなければマスコミは追従しない。ましてや候補の父親の違法行為疑いについて、候補が記者会見しても100%すぐには報道しない。選挙が終わってから出すでしょうね。

警察や検察が関わらないような、「動画サイトでこんなスキャンダル」がってなネタはテレビや新聞では扱えない。これも選挙が終わってからになります。最近では日曜日の開票に合わせて、各局がワイドショー的に番組作って、そこで様々な素材が一斉に提示されますが、選挙期間中の「名前」と「顔」の掲示については相当に抑制的です。

で、候補本人や秘書が一緒になって自分を落選させたいというのであれば、もっと簡単で有効な方法があるでしょうね。というか、途中までそれやっているみたいなものですけど。

途中で候補が「降りる」のを谷村が「脅す」ように翻意させるシーンがありますけど、あれも脚本として書きすぎている気がします。明らかに違法行為でしょうし、あそこまで言うならまともな関係性は築けない気がします。(あんなネタ握られた相手と握手なんかできる?)

あと、選挙運動というのは、イベント、祭りであって、いくつも人間ドラマを埋め込める「隙間」があるんだけど、惜しいなぁと思ってしまった。途中で若い秘書が「秘書って思ったより楽勝です」とか言っていたり「当選後も秘書やってくれる」と問いかけて「やらせてもらいます」と答えるシーンが有ったけれど、これって伏線と回収にするつもりだったとすると、そこに変化が無いので何故あるのか判らないシーンになってないでしょうかね?最初、「楽勝です」と思っていた若手秘書が、選挙戦に入って飛んでもない目にあって「辞めさせてもらいます」とか、選挙戦で人手が足りない中、朝出てこないとか(実際に、よくある話で、街宣車で回る途中に起こしに行くとかも聞く)エピソードを挟もうとするならいくつかあったと思うんだけど。なんだか、編集していくうちに、なんだか判らなくなっちゃったんだろうかね?と思いました。若い監督さんなら仕方ないか。

落選運動」をして、くだらない言動をとっても逆に人気が出てしまう大衆の恐ろしさとかね。これもっと掘り下げると面白いんだろうね。例えば今回の「あいちトリエンナーレ騒動」からの「知事リコール」なんてのも、デマでも走り出せば信憑を持ち出すって大衆社会の恐ろしさを見せていて。自分という存在と大衆の作り出す「自分」という虚像のギャップとかね。

さて、では「決定的に足りない大事なモノ」について触れたいのですが。この作品、監督・脚本では主人公たちが対峙する対象というものを「政界に蔓延る古くからの慣習に納得できない」ということになっていて、それで「落選運動」をするって話になっていますよね。しかしそれで「落選運動」をするっていうのであれば、それは単に「逃避」でしかない。で、真剣に逃避するならもっと効率で実効性のある手段は幾つもあって、あまりにあっけなさすぎてドラマにもならない。(一つぐらい例示するなら、重罪にならない程度の買収を行って当選無効を「勝ち取る」とか)

そもそもこの「政界に蔓延る古くからの慣習」の権化を「地方議員」におっかぶせて、旧態依然とした打開されるべき因習であるかのように描かれるのっては、ちょっと納得できない。特に、そうしたステロタイプで地方議員が見られている事に我慢がならない。これは特に地方と都市部でも事情が違うが、地域コミュニティーの在り方という問題で、そうした議論もなく、単に「利権に群がる」「既得権益」の「生活共同体」などというような批判で、地方議員を批判しても、多分、もっと酷いことにしかならない。

そういった意味ではこの社会に最適化された姿なのであって、映画が描くようなオチでは解消もされないし、一撃を加えたことにもならない。なんとなしのゴマカシになっている。・・・と、すればそれを批判しているはずの監督・脚本自身が、そのゴマカシを行ったことになっていないか?と、ある意味社会の問題を切り開くのが映像芸術であるなんて視点から眺めると、メタで成功しているのか?とも思えてしまう。

冗談はさておいて、私がこの映画に「決定的に足りない大事なモノ」(そしてそれは先に上げた「ホワイトハウス狂騒曲」では満たされていたモノ)とは「議員が持つべき、公職者の共感力」なんだね。

議員が持つべき最低限の条件というのは、国民、有権者の労苦を理解する「共感力」でしょう。国民、有権者の労苦を理解できなければその代理としての仕事などできるわけがないし、しっかりした「代議士」には、かならず国民、有権者の要望を汲み取る理解力があった。

ホワイトハウス狂騒曲」では、当初単なる私利私欲の塊である「詐欺師」が、経験を積む中で「共感力」に気付き、利他的な行動を取る。ここに「アメリカ型民主主義の健全な姿」が描き出されている。

しかし、この作品では、最後まで有美は「自分が納得いかない」事にぶつかるだけ、視点が主観に固着してしまっている。

実は、これは秘書の谷村も同様なんだね。

この有美や谷村という存在は、監督・脚本の坂下さんと同じ世代ってことだよね。いわゆる「氷河期世代」の実感なのかもしれない。しかし、こうした「共感力」を持たない個人や、そうした「乾いた砂粒のような個人」で構成される社会ってのは、なかなか困難な気がする。

そんなパサパサの社会では、地域コミュニティーなんてものは存立できず、地域社会、政治ってものも存続できないだろう。坂下監督の目に現在の政治が違和感を持つのってのは、この「共感力」に違和感を持つからなのかとも思えてしまうわけですよ。

そうすると、この作品は、いよいよ日本の社会、政治に欠けている「決定的に足りない大事なモノ」を描き出してくれているのかも知れない。

パサパサに「乾いた砂粒のような個人」が「まとめサイト」や「YouTube」で煽られて構築される政治。・・・なんとも、ディストピア

それと、
これは絶対に見ておきたい映画としては「バイス

longride.jp

これは絶対に見ておくべきです。



名古屋城天守有形文化財登録を求める会」では、
一月に一回程度、
北区にある「北生涯学習センター」で月例勉強会を開きます。
  令和 4年  1月25日 (火)
        午後18時30分~
        第3集会室 

         2月22日 (火)
        午後18時30分~
        第3集会室 

 2月22日(火)は、特別企画として。
  建築士が読み解く!
  名古屋市が作成した「幻」の名古屋城天守耐震改修案

  として、建築士 の 渡邉正之 様に
  現天守の耐震改修について、お話を伺います。

※どなたでもご参加いただけます、参加費無料。


*1:河村たかしはこの映画を見て、「隆男」を「たかし」にしたんじゃないか。自分が県会議員に出る時に、有名な市会議員の「たかし」という名前を利用して「市会もたかし、県会もたかし」と言うために改名したと言われている

*2:往年の名作、「マッコイと野郎ども」や「スティング」みたいなね