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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

生きる戦略

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 今朝の中日新聞、今年のニュース回顧がはじまっている。1回目は知事リコール署名偽造事件を扱っている。中日新聞としては新聞協会賞ももらって鼻高々だろう。田中事務局長も登場し「なんであんなことをしちゃったんだ」との発言を引き、記事の惹句にもしているが、実は「なぜ、知事リコール運動を行った人たちは(事務局は)署名偽造なんてしちゃったんだろう」という疑問は、田中事務局長だけではなく、ほとんどすべての人々が抱く疑問でありながら、まだ誰も答えを出していない。

「なぜ、署名偽造なんてしちゃったんだろう?」
「なんのために、署名偽造なんてしちゃったんだろう?」
「そんな事がバレないと思ったのはなぜ?」


 少し前に、政治において、哲学の精神を持つべきであると書いた。哲学の精神とは批判の精神であり、懐疑の精神である。すべての事柄に、徹底的に懐疑を投げつけ、それでもなお、信じるに足る事柄(または、限定的にでも信じるに足る前提条件)を峻別し、それを踏まえなければ、人生を誤るし、そんな誤りを起こすような人物に社会の舵取りを任すわけにはいかない。

 人生に行き詰まったら、選挙に出て誤魔化しの人生を歩むのではなく、なぜ、自分は人生に行き詰まったかしっかりと反省し、新たな人生を歩むべきだ。そうした反省の作業、つまり、自分自身の考え方への懐疑を忘れると、思わぬところで躓いてしまうということだ。

 昨日も某所で哲学についての議論があり、西洋哲学は懐疑を基本に置くが、東洋哲学は信じることを基本に置くと言う人がいた。東洋哲学でも、仏教は龍樹(ナーガールジュナ)の例を引くまでもなく、哲学的懐疑を基本としているし、儒教や法家の思想も懐疑を基本とする。(「性善説」はヒトの本質を善と捉える考え方だが、盲目的に信じろと説いているのではなく、孟子朱子も、人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「礼」などによることが必要であると説いている)

 哲学というものは、洋の東西を問わず、懐疑を基本とし、批判を忘れた瞬間に、そこから過ちがこぼれ落ちる。

 これに反する在り方がある。それは「宗教」だ。

 「宗教」は、信じる対象を決め、それへの確信を基本とする。「宗教的確信」へ身を投げ出す行為は、将に禅で言う「竿頭一歩」、またはハイデガーの言う「投企」ではないだろうか。ハイデガーのいう「本来的自己」は、「これが本来の自己だ」と「確信」することだろうし、サルトルにおける「理想的存在 (即自=対自) 」もすでに「宗教」の香りが漂う。これらの議論を超えて、自我を漂わせる在り方が、20世紀後期の議論だったと思うが、まあ、それはおいておいて、「宗教」のように「まずは信じる」「信じ込んでみる」という在り方もある。

 この在り方を政治の現場に持ち込むと「パターナリズム」になる。「家父長制」「父権主義」とでも言おうか、中心に座るリーダーの言う事を、鵜呑みにするという在り方だ。ヤクザで言えば「親分が黒といえば、白いものも黒くなる」という在り方で、「史記」にいう「馬鹿」の由来もこれだろう。秦の末期、政治を壟断していた趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。群臣は趙高の権勢を恐れて「馬です」と答えた。もちろん、秦はその後すぐに滅びる、権力者を恐れて、事実を事実と扱わないような政治体制が長続きするわけはない。しかし、笑えないね。今の日本でも法務省や検察が「鹿」を「馬」と言いはじめ、GDPの数字を操作し、一流企業まで検査偽造で嘘をつく。「鹿を馬」と言う奴ばかりの国は滅びる。

 「パターナリズム」は楽だ。中心者、リーダー、親分を決めたら、その下につくものは、何も考えずに付き従えばいい。考える手間もいらないし、異論を挟む余地もなければ、議論も起きない。リーダーが「右へ行け」といえば、行けば良いだけで、従うものは考える労力も要らない。「ミスターこうやるんだ」と言われれば、指を真っ赤にして指印を押せば良いだけ。「そんなもん、仮提出なら署名じゃないで、名簿書き写したって違法になりゃせんがね」と言われれば、いくらでも偽造すりゃ良い。団長が「広報紙の経費は100%政務活動費から支出すべきです」と言えば、判例も慣行も関係ない、2千万円でも政務活動費から支出しちゃえばいい。下手に反論して「ギャーギャー」言われたらたまらない。

 リーダーが優秀であれば、「パターナリズム」に支配された組織は強力だ。・・・リーダーが優秀であれば。リーダーがポンコツだと、後々「なんであんなことをしちゃったんだ」というハメに陥る。

 「懐疑」と「確信」という議論から、ゲーム理論の面白い側面に気がついた。

 ゲーム理論というのは、様々な存在(プレイヤー)が関連した行動をする中で、個々のプレイヤーの最適選択(ナッシュ均衡)が、全体の利益を最大化(パレート最適)できるかという、社会の在り方をモデル化して考える手法で、様々な制度設計で利用されている。

このゲーム理論の中でも有名なのが「囚人のジレンマ」と呼ばれる問題。

2人の共同関係にある犯罪者が逮捕される。


警察は2人の犯罪について、重大な部分は証拠を持っていない。
そのために、この2人の自白が必要になる。
そこで、2人にこう持ちかける。


共犯者を裏切って自白してくれたら釈放してやる。
しかし、共犯者はすべての罪をかぶって10年の懲役だ。
両方とも黙っていたら6ヶ月の懲役にはできる。
両方がお互いを裏切ったら、両方とも6年の懲役だ。
早く裏切って自白したほうが身のためだぞ。

囚人には2つの選択肢がある。「裏切」と「協力」だ。

自分が「裏切」った場合、相手も「裏切」れば6年の懲役を食らうが、
相手が「協力」して黙っていてくれたら、自分は無罪釈放になる。
自分が「協力」して黙っていて、相手も「協力」して黙っていれば2人とも6ヶ月の懲役ですむ。
しかし、相手が「裏切」ってしまうと、自分は10年の懲役を食らうことになる。

さあ、「協力」するべきか「裏切」るべきか。

 ここで、両者が対話できたり、容易に情報交換できる場合、両者とも「協力」を選択し、全体として最大の利益(パレート最適)を得ることができるかもしれない。現実の警察でもそんな事になりそうだ。そこで両者の情報交換を断つ。すると、疑心暗鬼が起き、利己主義が先鋭化して個々の囚人の最適選択(ナッシュ均衡)が選ばれる、それは「裏切」という事になる。すると、両者が「裏切」って両者ともに6年の懲役を食らう。

 個々のプレイヤーの最適選択(ナッシュ均衡)が全体として最大の利益(パレート最適)につながらないので、「ジレンマ」と呼ばれる。

 こうしたジレンマが生まれる中で、もっとも賢く立ち回るにはどうすればいいだろうか。という課題が「囚人のジレンマ」問題と呼ばれ、1950年代から商品マーケティングなどで注目され、研究された。1980年代になると、政治学者のアクセルロッドが、コンピューター上で様々な戦略を対戦させて、実証的にどの戦略が一番利益が得られるか検証する事を提唱した。現在では囲碁や将棋などでもコンピューターが対戦するというのはおなじみなのでくどくどと説明は要らないだろう。(後には、この生存戦略をパラメータにして、対戦させ、遺伝的に選別を行うという方法も提唱されて、それについて語れと言われればいくらでも語れるが、今日は止めておく))

 様々な戦略が提案された。徹底的に「協力」し続ける「聖人戦略」や「裏切」りしかしない、「悪人戦略」。一定程度の確率で、「協力」と「裏切」を繰り返し、この回数を様々に替えてみたり、可変にしてみたり。「囚人のジレンマ」実験に於いては200回程度の試行が繰り返される(有限回数の繰り返し「囚人のジレンマ」)ので、相手の「手」の傾向から戦略を算出する方法なども生まれた。

 こうした実験の中で、もっとも有利な結果を得たのは次のようなプログラムだった。

1.最初は「協力」を出す。
2.それ以降は、前回「相手の出した手」を出す。

 つまり、自分は「協力」をするが、相手が「裏切」れば、自分も次には「裏切」る。「しっぺ返し」戦略と呼ばれた。

 これは、シンプルで、それでいて説得力のある。さらには「倫理的な戦略」に思えた。実社会でもこうした戦略は使える。すべての個体を、素直にこのプログラムで動かせば、全てが「協力」ということになる。

 しかし、このしっぺ返し戦略にはデメリットも有り、例えば最初の一手が「裏切」から始まる「しっぺ返し」戦略を紛れ込ませると、両者とも裏切られ続ける結果に至る。そこで現在では、一定程度ランダムに「しっぺ返し」たり、「しっぺ返し」のパターンを遅延させたり調整されている。

 「繰り返し囚人のジレンマゲーム」では、「しっぺ返し」ルールは最強であり、長年、これを破る戦略は生み出されなかった。現在でも様々な場面でこの戦略の亜種が展開されているそうで、一説には米国の核戦略もこれを参考に組まれており「先制攻撃は一切しない、しかし、核攻撃を受けたら、次のタイミングで、核攻撃を受けた倍の数の都市を核攻撃する。」というルールが決められているとか。(真偽不明)

 アクセルロッドが提唱してから20年、無敗の勝利を勝ち取ってきた「しっぺ返し」戦略だが、これを破る者が出てきた。2004年、「囚人のジレンマゲーム20周年の大会」にサウサンプトン大学チームがある仕組みを組み込んだ60のプログラムをエントリーさせてきた。その60のプログラムは、200回の試行の最初の数回を一定のパターン(キーパターン)として認識し、合致した「キーパターン」を相手が出せば「仲間」とみなす。「仲間」でなければ徹底的に「裏切」を出す。(相手を「敵」と「味方」に峻別し、「敵」とみなせば攻撃的に対応するなんて、昨今ではよく見る風景だ)

 そして、これがサウサンプトン大学チームの戦略のキモなんだが、60あるプログラムの内、ある一定数は「裏切」を続けるが、別のグループは「協力」を続ける。つまり「仲間」の内の一部は、「協力」を出し続ける「仲間」に「裏切」を出し続けて有利なポイントを重ねる。別の一部は、相手がいくら「裏切」ろうが、自分の有利不利を考えずに「協力」を続けて収奪に耐える。ヒト呼んで「主人と奴隷戦略」この結果、20周年記念大会で、上位3位をこの「主人」が独占することになった。そして大量の「奴隷」は低い獲得ポイントに沈んでいった。

 直後から、批判も起きた。「最初に『仲間』を判別するのは、情報交換を禁じたルールに反する」とか「これはグループを組んで、一部を上位に押し上げる、集団戦略で、本来『囚人のジレンマゲーム』で求める個別の戦略とは異なる」など。

 確かに、一定のグループを組んで、多数の犠牲の上に、一部のメンバーを有利にすることは、個別の戦略論にはなじまない。しかし、この様相は、社会の実相に近い。実社会にはこの「主人と奴隷」のような、「教祖と信者」「わがまま勝手なリーダーと、それに盲目的に従う馬鹿ども」というような姿が散見される。日本には「一将功成りて万骨枯る」という言葉もある(出典は中国の古典だ)。

 こうした「パターナル」なグループでは、グループ内を「味方」とし、そうした在り方を批判するものなどを「敵」とみなす傾向がある。「主人、教祖、わがまま勝手なリーダー」の言うこと、行うことはすべて肯定される。メダルを噛もうが、デマやその場の思いつきを言いふらそうが批判されない。そして、そうした言動を肯定し、付き従う「馬鹿ども」もまさに「馬鹿」。馬と鹿の区別もつかない。インターネットで5分もあれば調べられるデマを検証もしない。

 「囚人のジレンマゲーム」で、「主人」が「裏切」続けても、「協力」し続ける「奴隷」のように、教祖やリーダーに献身する。

 はっきり言おう、「超迷惑」

 適当に、居酒屋(おお、もう八軒伝は無い)か、どこかで宗教か、サークルでも開いて、そっちでやってくれている分にはかまやしないが、いっぱしの政治を気取って、社会やら行政、経済について、何も判っていないままいい加減なデマを飛ばされるのは、迷惑以外の何物でもない。そもそもマスコミも、こうしたデマは明白にデマと示すべきだ。「政治塾が開かれます、参加費3万円、20人です」じゃないよ。いままで、その政治塾からどんな成果が生まれたのか書いてみろよ。何もない、誰もいないじゃない。

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 こんなゲーム理論を引くまでもないけれど、社会のリーダーやら、お金持ちに尻尾振って、「弟子入り」して、お金持ちやらリーダーになった例なんてあるの?

 リーダーやらお金持ちに近寄って、おこぼれに与ろうとか、引き上げてもらおうって?あーなんて「さもしい」了見。そんな「うましか」野郎は、結局、お金持ちやらリーダーの「餌」になっているだけだからね。マルチ商法やら、Clubhouseやらさ。さもしい、あさましい、せこい、陋劣、卑しい、下劣、愚劣、賎陋。そんなところで搾取されている姿は見てられない。


 重要なことは懐疑だ。自分自身の考え方への懐疑を重ね、反省を重ね、本当の生き方、生きる戦略を練るべきだ。自分の人生を他者に委ねるのではなく、自分自身の力で切り拓く、それが生きるってことじゃないのか?



余計なこと思いついちゃったけど、河村政治塾の講師に「囚人のジレンマゲーム」の説明を求めて、答えられなかったら、3万円返してもらいな。

そいつは2つ資格が欠落している。
1つめは、政治を語ろうというのに、現代ゲーム理論の基本である「囚人のジレンマゲーム」の説明ができないということ。
そしてもう1つは、名古屋市政、河村市政に重要な情報源である、当ブログをチェックもしていないって事だ。そんな奴の話を聞いてもなんの足しにもならない。

追記:「自分のブログに大きな口を」と思われるかも知れないが、現に12月24日には減税日本ゴヤの市議が会派控室に「全員集合」したようだ。



追記:
居酒屋行ってさ、プロ野球の話をするのは楽しいよね。(私は野球詳しくないのでしないけど)
あの選手がどうとか、このプレーがどうしたとか、あの監督はなんだとか。
しかし、それは居酒屋の単なる憂さ晴らしの談義だよね。
誰も、そんな話を真に受けて、次の日試合で使うべきなんて思っていない。

この3万円の講義、行っても聞かされるのは、
こうした居酒屋で展開されるべき談義レベルでしかないよ。
プロ野球の選手が、現代運動理論に精通しているように、プロの政治家なら「パレート最適」ぐらい即座に説明できる。(べきだ)

河村のやっている減税理論? どこにそれ取り上げた論文がある?(懐疑的な論文はある)プロ野球のグランドでは全然通用しない話を、3万円とってやろうってんだから、面の皮の厚さは立派なもんだ。

プロ野球に関する居酒屋談義が、本当の試合で通用しないって事を知っている人々が、同程度の政治談義で実態政治を動かそうって、本当にこの国は「うましか」の国になったのか。



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