市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

政治を語る時に必要なもの

 次回の話題は「減税日本ゴヤの病巣」を書くとしていた。もちろん佐藤夕子幹事長の問題であるが、これは河村たかしの問題でもある。河村たかし減税日本を立ち上げて10年。政党としてまったく役に立たず、どんどんと人が離れていく。その病巣の依って立つ淵源を覗いてみたい。

 しかし、話をもう少し広げて考えることができる事に気がついた。というのも、12月11日(土)、「頑張れ日本」(政党として「新党くにもり」設立者が「チャンネル桜」なので、結局この3者は同等と考えていいだろう。代表者である水島の手による、政治団体、政党、メディアという見え方の相違でしか無い)が愛知県による「愛知県人権尊重の社会づくり条例(仮称)」(以下「県人権条例」という)制定に対して、反対をするという街頭宣伝を行った。

www.ch-sakura.jp

http://www.ganbare-nippon.net/www.ganbare-nippon.net

kunimoritou.jp

追記:
こんな物があるようだ。
ganbarenihonaichi.blog24.fc2.com

※非常に参考になる。敢えて批判、指摘はしない。あまりにも面白すぎる。

 愛知県の制定しようとしている「県人権条例」は先に制定された、いわゆる「ヘイトスピーチ禁止法」(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)制定時に定められた第4条の2項。

(国及び地方公共団体の責務)
第四条 (略)
2 地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=428AC0100000068

elaws.e-gov.go.jp

及び、施行の際の衆議院附帯決議

二 本邦外出身者に対する不当な差別的言動が地域社会に深刻な亀裂を生じさせている地方公共団体においては、その内容や頻度の地域差に適切に応じ、国とともに、その解消に向けた取り組みに関する施策を着実に実施すること。

https://www.moj.go.jp/content/001360681.pdf

並びに、参議院附帯決議

二 本邦外出身者に対する不当な差別的言動の内容や頻度は地域によって差があるものの、これが地域社会に深刻な亀裂を生じさせている地方公共団体においては、国と同様に、その解消に向けた取り組みに関する施策を着実に実施すること。

https://www.moj.go.jp/content/001184403.pdf

 を受けて、愛知県が明文化された条例として制定されたしようとするものであって、「国」の要請によるものであり、この行為に反する行動こそ「反国家的」であると言えるだろう。

 街宣の弁士の一人である「新党くにもり」の本間奈々という候補が次のようなことを言っていた。

kunimoritou.jp

本間発言(大意)「すでに国に『ヘイトスピーチ禁止法』があるのだから、県で条例を作る必要はない」

反論:上に示したとおり、「ヘイトスピーチ禁止法」において各地方自治体における具体的な施策が求められているのであって、本間の発言は法律の条項、及び国会における附帯決議に則していない。

本間発言(大意)「日本人が本邦外出身者に対して悪口を言うと、法律で禁されるのに、外国人が日本人に対して悪口を言ってもいいというのは不公平で差別だ」

反論1:あたり前のことだが、日本人、外国人、本邦外出身者の誰であっても、公然と人を侮辱すれば侮辱罪に問われる。(刑法231条)その他にも名誉毀損罪(刑法230条)というものもある。訴求される対象について、属性の制限はなく法の下に平等に裁かれる。

反論2:そもそも「ヘイトスピーチ」は「悪口」ではない。常識的な社会人が差別主義者に対して一定の侮蔑意識を持つことは不思議ではないし、差別を受けるものから一定の憎悪(ヘイト)を向けられるのは当然だ。

 差別主義者は、差別するという行為で、すでに被差別者に加害している事を自覚すべきだ。(心の中に差別意識があり、それを抑えきれないというのであれば家でやりなさい。私は他人の主観までは踏み込まない、そこを無理やり変えろとは言わない、しかし、そうした歪みを社会に対して公言すればその差別憎悪と同等の憎悪を受ける事を自覚すべきだ)

反論3:そもそも「ヘイトスピーチ禁止法」には罰則はない。「ヘイトスピーチ」自体を禁止もしていない。
 法の中で「不当な差別的言動はあってはならず」とし、「不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を推進する」とされているが、法によって定められているのは「相談体制の整備」「教育の充実」「啓発活動」であって、罰則は無い。

 あたかも罰則があり、強権的であるかのように主張する本間の発言は典型的な藁人形論であり、虚偽だ。


本間発言(大意)「愛知県で条例が制定されると、岐阜県では良い事でも愛知県では違反となってしまう」

反論1:本間は「法律を超える条例は制定できない」ということは知っていたようだ。

徳島市公安条例事件」判例
徳島市公安条例事件 - Wikipedia

 「ヘイトスピーチ禁止法」に罰則規定がなければ条例にも制定できない。岐阜県が条例を制定しておらず、愛知県だけが厳しい条例を制定しようとする。本間が主張している県ごとに罰則が異なるというような不合理も成立しない。

反論2:愛知県における「県人権条例」の案にも罰則はない。

https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/396519.pdf

追記(12月15日):上記「骨子案について」には、川崎市の事例が引いてあり、そこには罰則が記載されている。私がパブリックコメント募集時に見た「骨子案」に罰則はなかったために現場では「罰則はない」といった。

その「骨子案」はこちらになる。

https://web.archive.org/web/20211026110423/https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/395463.pdf

なお、地方自治法で罰則を規定する場合は
1.2年以下の懲役もしくは禁錮(行政刑罰)
2.100万円以下の罰金、勾留、科料もしくは没収の刑(行政刑罰)
3.5万円以下の過料(秩序罰)
となっているようだ。


つまり、「新党 くにもり」「頑張れ日本」「チャンネル桜」は、白昼堂々と、名古屋駅の街頭で、大きな拡声器を使って、嘘を振りまいていたということになる。


 彼らが使うレトリック「日本人へのヘイトスピーチ、許さない」という主張について考えてみる。米国やヨーロッパ、はたまた中国や韓国などにおいて、彼の地の人々が「日本人は出ていけ」とか言うのであれば、それは確かに「 日本人へのヘイトスピーチ」というものだろうが、その昔デトロイト市民が日本車排撃を行ったような日本人への排外主義的行動というのは幸いなことに昨今ではあまり見られない。(韓国における水曜行動ぐらいだろうか)

 「マジョリティがマイノリティに対して行う行動」とも言われる。
 「その人が自分では如何ともし難い、出自、肌の色、宗教などを捉えて差別すること」という問題が本質的で、その数の多寡は副次的なものだろうとも思われる。

 更に言うとこうした属性を同じくする者同士の間では「ヘイト表現」は成立しても、「ヘイトクライム」「ヘイトスピーチ」は成立しない。

 属性を同じくする者同士の間で「ヘイトスピーチ」は成立しない。自身の属性に対する批判は批判であり、それが「ヘイトクライム」につながったところで自己責任の範囲だろう。

 「ヘイトスピーチ」を社会が警戒しなければならないのは、日本における関東大震災後の「朝鮮人虐殺事件」やドイツにおけるユダヤ人虐殺、ルワンダ内紛時の「千の丘ラジオ」の事例など、そうした言動が深刻な「ヘイトクライム」に繋がるからである。

 日本における関東大震災後の「朝鮮人虐殺事件」については、どうせ歴史改竄主義者は「でっち上げた」ぐらい言い出しそうなので内閣府の次の見解を示しておく。

 関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。流言は地震前の新聞報道をはじめとする住民の予備知識や断片的に得られる情報を背景に、流言現象に一般的に見られる「意味づけの暴走」として生じた。3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した。

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/index.html

 ここで語られている「意味づけの暴走」という解釈は興味深い。「新聞報道をはじめとする住民の予備知識や断片的に得られる情報を背景に、流言現象に一般的に見られる」

 現在の在り方を背景にすると、「チャンネル桜・頑張れ日本・新党くにもり」などのデマゴギーが扇動する流言を「情弱」(情報弱者)が疑いも入れず信じ込み、挙句の果てにこの事例では殺人、虐殺まで行き着いたということになる。

 今回の街宣でも「大村知事」に対する批判が行われていた。「リコール運動を行った愛国倶楽部に対して街宣できなくさせるための復讐だ」などとする主張も有った。別に「ヘイトスピーチ」しなければ「街宣」はできるんだけどね、自分たちの街宣が「ヘイトスピーチ」であると自覚しているんだろうかね?

 河村たかし名古屋市長のあいちトリエンナーレにおける大村愛知県知事への批判は、支離滅裂でメチャクチャなものだった。それを知事解職の趣旨とした高須克弥の知事リコール運動も同様にデマだらけだった。(一つ例示した大浦さんの作品についての言及は下に移す)

 話を一般化しよう。

 まず、当たり前の前提だが、政治的議論は事実を起点としなければならない。主張の前提となる事実提示が誤っているのであればその主張は失当であり、それ以上議論する必要もない。そうした誤りを指摘された時に、その指摘に反論できなければこれも失当だ。(特に、何某かを主張しようとするのであれば、その挙証責任は主張する側にある)しかし、そうした当たり前の前提を踏まえない、そうした批判に聞く耳を持たない。はたまた自身の誤った主張を修正もしない者 ーー誤りを修正できないものを馬鹿というのだろうーー には政治的議論への参加権はない。勝手な主観的妄想を振り回して時間を浪費するだけだからだ。

 もうここまで言えばお判りいただけるだろう。

 佐藤夕子河村たかし減税日本においても病巣になるのは、彼らが事実を元に議論しようとしないからだ。誤りを訂正することもできない。同じ誤りを繰り返す、それどころか誤りをごまかすために、より大きな嘘をつく。こんな事を繰り返していけば破綻するのは当たり前だ。

 少々前に「哲学はすべての学問の親であり、数学や物理学は哲学を卒業したのだ」という議論を交わした。すべての学問は哲学の方法を身に着けておかなければならない。哲学の方法とは「テキストクリティーク」を成立させられるかということだ。

 様々な言明の中で、徹底的な批判をくぐり抜けてきたものだけが「(前提付きの)事実」とみなされる。批判に耐えられない言明は議論の対象とする必要もない。

 故に、こうしたヘイトスピーカーデマゴギーの議論を取り上げる必要もないし、そうした虚偽を見破れない態度には知性を感じられない。そして名古屋における河村たかし減税日本佐藤夕子の在り方も政治的には有り得ない。

 あまりに長くなってしまったために、佐藤夕子における問題については、次回まで続けることにする。



 一つ例示する知事リコールにおけるデマ。

 一つ例を挙げると、大浦さんの作品には昭和天皇と思しき人物が描かれているコラージュ作品が出てくる。大浦さん自身が富山県立近代美術館で展示していた作品だ。その展示を右翼街宣の影響でできなくなり、そのため作成された図録も焼却処分された。大浦さんはそう表明しているわけではないが、この問題を雑誌「創」などで追っていた私の目から見ると「天皇陛下の肖像を燃やした」のは富山県立近代美術館で、そう仕向けたのは右翼である。

 あいちトリエンナーレにおいては、このコラージュ作品が焼かれる状況を映し出していたが、天皇陛下の肖像が焼かれるというのは全体の一部であり、大浦作品を見れば気が付きもしないような瞬間でしか無い。そしてその灰を踏みつけると言っているが、その間に作品としては重要な「熾火が星のように見える場面」というものがあり、踏んで消しているのはこの熾火である。

 批判者はこの作品も見ずに話している。

 更に、この作品を見るには入り口で注意書きが書かれているのであって、嫌がる人に無理やり見せるような類のものではない。昭和天皇への配慮というものは、同展覧会においては一定程度されているのである。

 しかし、その大浦作品の動画を勝手に引用し、さらに編集で切りとり、天皇の肖像を燃やして、それを踏みつけているように見せているのは、テレビのワイドショーやそれを勝手に再引用しているネットメディアだ。

 そうしたメディアでは警告もなくそうしたコンテンツを流し、更にBGMを付けて作品を改ざんし扇状的に伝えている。

 昭和天皇への慮りが無いのは一体誰かということだ。

 更に呆れ果てるのは、そうした改変画像から一部を抜き取って、カラーチラシにしたてて配布していたのが、知事リコール派なわけだ。「不敬」なのは一体どっちだろう。

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リコールの会チラシ(一部人権に配慮して画像処理を施してあります)