市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

この選挙結果を受けて判った事、その2

この選挙結果を受けて判った事


市井の人々は、政治家に嘘をつかれても
たいていの場合は気がつかない。


やはり、権威のある人。肩書きのある人の言葉を信じるのであって、
それに対して否定的な意見というのは、
偏りがあると思われるか、そちらこそ嘘であると思ってしまう。


自分に実害がない限り、言葉と言葉のやりとり、議論には耳を傾けない。


特に、市民、有権者自身が選択した市長であれば、
その権威や肩書は自分たちが与えたものであって、
その言葉を信じることは自分を肯定することにつながり、
自身が選択した市長を否定する言葉は、
自分を否定する事につながる。
ヒトは自分を否定する言葉を受け入れがたい。


つまり、今、河村市長を否定する言葉は、45万人の選択を否定する行為であって、この45万人が易々とそのような言葉を受け入れるとは思えない。


ならば諦めるのかというと、私は一層このブログの価値を確かめる事が出来たように思える。この選挙期間中、当ブログの過去ログがあちらこちらで参照された。そして話題になった。私にできる事は、市民が自分の問題として疑問を感じた時に、その疑問に応える情報を積み上げ、待っている事だけだ。しかし、そうした機会は確実に来ると信じている。


そして、ここに提示されている情報を、そのまま信じるのではなく、自分で検証してもらえば、ここの情報の信憑性はご理解いただけるだろうし、このブログが指し示している事柄が何を意味するか、ご理解いただけるだろう。そして、その事実は非常に興味深いものであるはずだ。


以上は、2017年、前回の市長選挙の際、河村再選が決まった後に書いた文章だ。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

この内容に、いささかも揺らぐところはない。

敢えて言えば、45万人の内5万人は、今回気がついたのであり、当時書いたように、このブログや、横井候補のブログに書かれている事柄を参考に、河村市政の虚偽性を検証しようという方々が増え、「自分の問題として疑問を感じ」る人々が増えている。

現在、そうしたサイトを収集している。知事リコール運動の問題を指摘する様々な意見とともに、リンク集を作ろうと思っている。


古い歌に次のようなものがあるそうだ。

掃けば散り、払えばまたも塵積もる  人のこころも 庭の落ち葉も

自分の心の中に、驕慢心や、執着心というものは常に降り注ぐ。
上の文章でも指摘しているように、疑問を持っても、あいかわらず河村に一票を入れてしまう有権者の判断というものは、この「執着心」、それも「己への執着心」に他ならない。また、今回の結果を「残念」と感じるのは、やはり私個人の執着心であり、こうした有権者の判断を批判する心は、驕慢心だろう。選挙における人の心を読みきれなかった。人の心を読み切れなければ、その人が形作る社会を云々しようなどとは、奢りであり、驕慢にすぎる。

そうした自身の中の表面的な情動に突き動かされ、短絡的な行動を行うのではなく、落ち葉があれば掃き清め、埃が積もれば拭い去るように、淡々と、社会を歪める嘘や不合理を洗い清めていく。そうした営為は人の当たり前の営為であり、その成果を定めるのも自分ではない。


そうした中でも、こうした結論が出れば、自分なりに考えることはある。考え直さなければならないという事柄もある。

私は、折りに触れ「実は自分が間違っているのであり、自分が批判している人々の考え方が正しいのではないか」と考え直すようにしている。常に自問自答し、時にある自分の考えの誤り、や、他の可能性への気付き。というものは、自分の人生をいくらか広げてくれるささやかな喜びでもある。

次の事についても、自分なりに「自分の考えが間違っているのではないか」と幾度か問い直してみたが、やはり自分の考えには誤りがなく、こうした考え方は誤っていると思える事例だ。

ある方が、横井候補の過去の文章をひいて批判をされていた。

横井利明オフィシャルブログ(名古屋市会):本会議質問「知事解職請求について」

昨年実施された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ表現の不自由展」では、昭和天皇の御影を燃やしたかのような映像や、慰安婦像とされる展示が行われたことに関し、私自身は極めて不愉快であり、この愛知で展示がなされたこと自体、残念なことだと感じている。昭和天皇の御影を燃やしたかのような映像は「天皇陛下の戦争責任を問う」といった政治的な主張に過ぎず、芸術であるとも到底思えない。

そしてその批判者は次のように締めくくる。

有権者の選択によってもしも名古屋市長になられたら、文中にある「不愉快」といった個人的感慨にとどまらず、文末にあるようにフェアな議論をなさり、二度と、公金を支出した事業において問題が生じないよう努力なさることを、望みます。

こういうバカな議論が、この問題の根底を歪めている。「公金を支出した事業」というのは、プラットフォームである。道路であり公園である。公共セクタが行うことは、こうした「場」を整備することであって、その中で行われていることに介入すべきではない。もちろん、違法行為であるとか、専有によって他者の利用を阻害するような場合を除いてだ。

道路や公園にどのような者が居ても自由であり、国民はそこで自由に行動できる。くどいようだが、違法行為は除く。

図書館は、当然公金の支出によって維持されている。そこにはどのような思想のどのような主張も置かれており、置かれるべきである。

表現の自由、様々な国民の意見の表明を促すことは、その社会に多様性を与える行為であり、その社会の持続可能性を高める。表現行為と、その表現行為が公共空間にどうあるべきかについては議論が必要となる。例えばポルノグラフィーや性的刺激の高い表現は、どんどん生産されるべきであると、個人的には思うが、そんな物が街に溢れかえっても良いとは思わない。却って一般には目に触れることができないために、秘すれば秘するほど、ポルノグラフィーには力が生まれる。宗教的権威に対する揶揄であるとか、ヘイトスピーチもなんの事前警告もなく、一般に触れられるような形で放置されるべきではない。天皇という存在が、一方では公的存在であり、もう一方では宗教的存在であることは、この国の未成熟な部分、議論が足りていない部分だが、宗教的存在であるとするならば、その取り扱いに一定の配慮が必要であろうとは理解できる。~なので、その画像が損傷されたような状態のイメージを、チラシに刷って撒く行為も、あってはならない行為だろう。

特定の表現行為に対して、その内容を俎上にして「公金を支出した事業」であるからと問題にする考え方は、決定的に間違えている。こんな者が少なくないマス・メディアで意見を吐き、「オピニオン」とされているから、この社会は歪んでいるのである。

さらに、横井候補のこうした意見(一市会議員としての意見、市会議員、議員は自身の主張を行っていい、行うべきだ。様々な意見が議会という場に提示されることは、やはり意見の多様性を涵養することである、推奨されるべきことだ)を捉えて、市長候補、市長として云々と議論することは間違っている。

ここが、あいちトリエンナーレにおける大村愛知県知事と、河村名古屋市長の議論の最も根幹で、最も重要であり、そして最も単純な、民主主義社会であれば全ての国民が心得ておくべき要諦である。

つまり、「公務員は全体の奉仕者であり、首長も当然ながら、全体の奉仕者であらねばならない」ということだ。公務員は住民を差別してはならない、特定の人々の意見を聞かないとか、逆に特定の人々の意見だけを受け入れるというような態度をとってはならない。河村市長が決定的に間違えていることは、こうした全体の市民の意見よりも、自身の主観を優先させていることだ。その他の事柄でもそうで、名古屋城の問題でも、SLの問題でも、自分と、自分を中心に据えた一部の市民の意見だけを優先して、全体の意見には耳を傾けない。翻って、大村知事は、自身の価値判断は表明もしていない、自身の価値観はさておいて、客観的なキュレーターや学芸員、更には展示会の監督者の意見を尊重し、そうした意見が実現化できるプラットフォームの構築、維持に腐心したと言うだけのことであり、これは「全体の奉仕者」たる知事としては当然の態度だろう。原則に忠実な大村知事と、その原則を大きく踏み外している河村市長、どちらが社会の成立、持続可能性に期するものか、議論も要らないぐらいに明白ではないだろうか。

そして、横井候補。当然ながら横井候補には横井候補の価値観、ものの考え方はある。しかし、そうした主観よりも、市長としての職責、全体の奉仕者としての立場を重要視するのであれば、その行動は自ずと導かれる。立場の違う、市議の頃の個人的感想を捉えて、云々と議論する態度は大きく誤っている。

その個人の主観と、職務的見解のケジメが必要だということである。

河村たかしには、無責任な野党的批判しかできない。

無責任というのは、自ら議員特権と批判した国会議員年金を受け取っていたように、そして、野党的批判しかできないとは、あれほど力を入れている「名古屋城木造化事業」一つ、まともに前にすすめることができないように。河村たかしの主観、個人的な好き嫌いを、あたかも名古屋市民や愛知県民の意見でもあるかのように押し付けることしかできず、そうした得手勝手が、国会議員年金の問題となっているのであり、名古屋城事業が文化庁に対して、説得的でない理由でもある。

河村たかしにはまともな「施策」などできるわけがなく、今回表明されたマニフェストも、ほとんど何も実現しないだろう。その中でも極めつけに面白いのは「ウーブンシティ」構想と「(「愚民政策」と河村たかし自身が評価した)30%キャッシュバック(年間5000円を4年間)」だろう。これらのマニフェストの進捗については、特に注目していきたいと考えている。