市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

減税日本は民主主義の否定者、破壊者である

名古屋市長選挙が始まった。
市内のポスター掲示板には、やはり有力な2候補のポスターが早々と掲示された。
このポスターを巡って、ツイッター上で少々ざわつきが起こっている。などと、他人事のように言うのも白々しい、このざわつきの一端は私のせいでもあるだろう。
何かというと、簡単なことで現市長 K村たかしのポスターの写真が若すぎるのだ。

これは某有識者に確認したところ約20年前の「気さくな52才」ぐらいの時のポスター写真を使いまわしたものらしい(なので、写真上はヨコイ候補より若い事になってしまう)、公的な証明写真でも半年以内とか制限があるはずだろうに 「K村はポスターの写真の段階で嘘ばかりじゃないか」と、色々かまびすしい。藤前干潟がどうのと紙資源の消費削減を言うのであれば、ポスターも使い捨てにせず、使い回せばいいのに。どうせ公約なんて誰も読んでいない、写真も同じなら書いてあることも似たようなもの。どうせ守る気もないし。今までのポスターは捨ててしまったのであれば、今回のは取っておいて「次の多選時」にも使えばいい。

ま、それはさておき。これを切っ掛けに K村たかし のおもしろ写真の投稿合戦が始まった。そういうコンテンツなら豊富にあるので、投稿していたら、一風変わった写真を見つけた。ポスターと同じ公式宣材写真を使った「レコードジャケット」のゲラだ。

https://pbs.twimg.com/media/Eys8c1xUYAExEgK?format=jpg&name=900x900

「名古屋大好き」問題
「名古屋大好き」問題(前篇) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

「名古屋大好き」問題(後編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

ある方がツイッターに概要を投稿してくれた。

「衝撃的な話!
河村たかしがプロ歌手にCD制作を依頼。デュエットする予定だった。製作費も歌手側が全て持ったのに、河村側が売り上げ金を要求。拒否するとレコーディング直前で河村が突然翻意。河村は謝罪もせず、人生の集大成として病気をおして臨んだ歌手は失意のまま亡くなってしまう。」

この出来事には、現在のリコール署名問題にも通じる次のような特徴がある。

1.言った言わないという不毛

リコール署名問題で、知事リコールを始めようと言ったのは、高須代表であったのか、K村たかしであったのか。また、リコール事務局は K村事務所を排除していたのか、それとも10月の中旬以降も、K村と田中事務局長は一緒に飲み歩くなど、親しく交流していたのか。

K村の幼稚な言い逃れ体質、責任からの逃避体質が現れている。

2.問題を追求すると、次々と新たな論点が提示され論点ずらしが行われる

これも、リコール問題に先駆けるあいトリの議論において、当初「少女像/慰安婦像」の設置に関する問題を主張していたものが、説得力が無いと見ると、大浦さんの作品に対する「天皇の肖像を燃やした」というデマに問題をシフトさせたり、中垣さんの作品を「特攻隊の犠牲者を揶揄するもの」などと曲解したり。

議論から逃げて、次々に新たな問題を押し付けることで、論破したような気になっているだけ。ただ、嘘は口からでまかせを言うだけで済むが、それを論破、検証するのはとんでもない労力がかかる。

私は主張したい。公職にあるものが、公的に発言したことについて「嘘」があり、それが立証された場合、弁明を行わない、釈明が成立しない場合には、この公人はそれ以降公人とみなすべきではない。特に中日新聞などのメディアに言いたい。「嘘」をこととする者のコメントを、その者が口にしたからと、そのまま掲載することは、メディアの自殺だ。無責任な行為だ。メディアはしっかりとその発言のファクトチェックを行う責務があるし、自身、誤った事を掲載してしまったら、素直に釈明すべきだ。(名古屋市の減税で市中に1128億円の経済効果があるのか?)そして、メディアに嘘を書かせた公人の責任追及は、そのメディアにある。そうしなければマス・メディアといっても、嘘ばかり並べ立てる無責任なデマゴギーと何も変わらなくなる。

3.支援者の使い捨て

一般市民に損害を与えても意に介さない。逃げる。まるで支援者の使い捨て。
支援者など使い捨てても、どうせ後から後から、ワラワラと寄ってくる。テレビに出ている有名人で、名古屋市長という権威があれば、ちょっと頭をなでてやるだけで、喜んで何でもやる。
リコール運動から以降 K村支援を始めたニューカマーのバカどもに言っておく、自分より先に K村支援をしてきた者をあまり見かけなかったりしないか?なぜ、自分が突然 K村 にあれこれ意見を言えるのか考えるべきだ。「お前さんの番」が来たってだけで、お前さんの前のひとは、すでに「使い捨て」にされたんだよ。

K村は自身のポスターにあるように、寄ってくるものには「気さく」に対応する。気さくなだけで、別に心を許したわけでも、支援者のために何かをするということもない。単に「気さく」に対応するだけだ。しかし、支援者が何かを要求したり、責任を追求すれば、途端に逃げる。それを繰り返せば排除される。その場合も、原因は排除された側にあることになる。なぜなら、K村は常に無謬で、絶対に誤りを起こさないからだ。K村は常に「被害者」だからだ。
もはやカルトだ。

K村一派の動きで(政党、減税日本というよりも、遵法意識に欠けたならず者集団の様相のほうが強い)
他に事例はないのかとのことなので、いくつかピックアップをする。

しかし、様々な事から(大体は却って被害が拡大するとか、第三者に迷惑がかかってしまうなど)、このブログで書かれていないこともある。いくつか、このブログ内からピックアップする前に、一つだけ「釈明」をしておきたい。
減税日本ゴヤの市議の中でも河合優元市議の話題は一時、名古屋中のメディアが注目した。「河合優」という名前は判らなくても「ポルシェ・河合」といえば、「ああ、あれ」と思いつく方もおられるだろう。当ブログでも河合元市議の事はあれこれ書いてあるが、件の「ポルシェ当て逃げ事件」やら「公費視察、女性同伴問題」など、調査していくと世間で言われているような状況ではなかった事がわかってきている。細かくは説明しないが、私の判断では河合元市議というのは、お調子者であるだけで、根は悪人というわけではないようだ。ただ、こういう姿を見るにつけ、K村が言っていたような。「人生行き詰まったら、選挙に出ろ。うまく当選すれば税金で食ってウハウハな生活だ」などという事の虚偽性がはっきりする。公職選挙に出るということは、有権者代理人としての重責を担うということで、その意味や重みを理解していないまま「うまく当選」してしまうととんでもない事態に巻き込まれかねない。

そういう意味では、美濃加茂市の元市長である藤井氏の事例も、少々趣は異なるが、問題の起点はK村一派であったりする。藤井氏にはまさに迷惑な話だったろうが、こうした事柄を引き込んだのも、K村に責任がある。(詳しくは書けない!なんせ、この件はあの郷原信郎さんやら江川紹子さんまで騙されたような代物なのだから。機会があれば何らかの集まりを設けて(録音、録画禁止)「裏ブログ公表大会」をしたいぐらいだ)

・・・K村一派の動きで他に事例と言われれば、いくらでもある。その「名古屋大好き」問題でもちらりと触れられているように、K村たかしの古くからの支援者とされるM元県議の話や、怪しさ炸裂N村元市議など、過去ログをご覧になれば、下手なゴシップ記事より面白いかもしれない。

しかし、そうした「元職」について、新規に紹介するとなると、色々と問題が生じそうな気もする。そうした意味からも、現職の話題だけに限らせていただこう。(こうやって「元職」に対する批判が成立しないということを以ってしても、減税日本の市議の「積立退職金」問題やK村市長の国会議員年金問題が、彼らの釈明が成立しない理由がおわかりいただけるだろう。議員は辞めてしまえば、批判が届かなくなるのだ。逃げた者勝ちなのだ)

最初はなんと言っても減税日本副代表で現市会議員団団長、元衆議院議員で、元愛知県会議員の佐藤夕子市議の事例だろう。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

佐藤夕子市議の自宅に泥棒が入り、玄関ドアなどを壊された。その修理費を保険会社に請求する際に、業者に過大な見積もりを出させたのではないかという話だ。見積書の写真であるとか、「佐藤ゆうこ先生」から携帯電話に送られてきた「保険会社から120万円弱振り込まれました!」「ありがとうございました」などのメール写真があり、これらがどういった意味を持つものなのか、佐藤夕子市議からの釈明を求める記事だ。

こちらは、更にその後日談

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

もう一つは、これも長く団長を務められた浅井康正市議の事例

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

2018年6月18日の大阪府北部地震において「ブロック塀」の倒壊から、幼い命が奪われ、各地で「ブロック塀」を取り壊し、軽く、安全なエクステリアに改築しましょうという運動が起きている。

名古屋市においても地域における見回りや、改築費用の助成等が行われ、地域からブロック塀を無くそうと議論している矢先に、素人工事の新築ブロック塀を作ったわけで、議員としての見識以前に、市民としての常識が疑われる事例だろう。まさに「あんたバカ?」としか言いようがない。

K村市長だけではなく、K村一派には、一纏まりで名古屋の市政からお引取り願いたいものだ。

何も彼らが仕掛けた市議会リコールのときのように「パブリック・エネミー」と糾弾するつもりなど無い。
しかし、公職者たる資格がない K村一派が、今後も名古屋市の市政を壟断することは、名古屋市民への不要な負担でしか無いのだ。


ある減税日本ゴヤの市議にどう感じると聞いたところ「自分たちを市議にしてくれたK村市長を裏切れない」と回答した。人間的に正しいようにみえるが、間違っている。
市議の座は市長の私物ではない。減税日本ゴヤの市議といえども、それを選んだのは市民であり、市議は市民の代理として市議会にいるのだ。「市長を守る男/女」などというスローガンが間違っている。こんな事は中学校の公民レベルのお話だ。
市議は市民のため、有権者のためにあるのであって、市長のためにあるのではない。市長に代表される行政を監視し、その改善を求めるのが市議の職責であって、その責任追及の対象である「市長を守る」者が市議の座に座り、行政への追求をしないということは、単に行政の問題を不問に付しているだけだ。そんなものは二元代表制の否定であり、民主主義の破壊でしか無い。

今般、知事リコール運動において、大量の署名偽造が発見され、「民主主義の破壊」が言われているけれども、すでに6年前「市長を守る男/女」というスローガンを減税日本が掲げた段階で、減税日本、K村たかしは民主主義を否定してかかっているのだ。