市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

平成12年4月19日 衆議院 文教委員会

人間は、というか「ホモ・サピエンス」は、数百万年の自然淘汰の中で、「徹底的に考える」傾向を失ってきたそうだ。草むらの中で「ガサガサ」と怪しい音がしたら、「なんだろうか?」と探求するよりは、我先にと逃げ出した方が正しかった。音の原因はなんだろうかと探っていた個体は、草むらから飛び出してきた獣に襲われて命を落とす。何はともあれ我先にと逃げ出した個体は生き延びて子孫を残すことができた。こうした選抜が数百万年という単位で積み重なってきたのだから、人間は「徹底的に考える」という態度を軽んじ、それよりも「誰かが逃げていくんだから、その後について逃げていく」「みんなが向かっているんだから何か良いことがあるんだろう、ついていこう」という思考停止、付和雷同が根付いている。

こうした徹底的に考える傾向を「長い思考」短絡的で直感的な思考を「短い思考」と分別し、人間は一般的に「短い思考」に支配されがちとなる。特に歳を重ねるにつれ、そうした傾向は強化されるようだ。

人間は、というか人類はこの「短い思考」「直観」で数百万年種として生き延びてきたのだから、「短い思考」にもメリットはある。そもそも「短い思考」で痛い目に遭ったとしても、そうした「反省」という行為は「長い思考」の範疇にあって、「短い思考」の住人には「反省」はなく、「忘却」のみがある。つまり、「反省」などという過ぎ去った過去に煩わされずに、そんな事は「忘れてしまう事」というのが、人類が数百万年かけて勝ち取った傾向という事だ。

また、「懐疑」や「批判」も「反省」どうよう「長い思考」の入り口であり、その先には面倒で厄介な時間が待っている。なので「懐疑」を投げかけるものが居たのなら、その口を塞ぎ、「批判」を繰り返す者には近付かないようにする。

こうして「長が命じ、我々は従う」*1という付和雷同と、「言挙げせぬ」「和を以って貴しとなす」うるわしき日本が生まれてくる。

日本では他者を批判する者は排除される。それが権力者であれば猶更だ。
権力者、権威に対して批判の目を向けることそのものが、犯罪であるかのように捉えられる。「頭が高い」とでもいうわけだろう。

しかし、私はこうした思考停止や付和雷同が嫌いだ。
こうした傾向を嫌ってすでに半世紀にわたって生きてきた。
いまさら止められない。いささかトウは経っているが、今日も言わせていただく。「王様は裸で、市長は嘘つきだ」と。

ある人はこういう「河村市長だって人間だ、思い違いもあれば言い間違いもある、そうした事をあげつらって何がしたいのか?」

まず「政治家は有権者にウソを言ってはいけない」「信なくば立たず」
なぜ、政治家は有権者にウソを言ってはいけないのか。それは有権者代理人として政治を行うのが政治家だからである。有権者との約束を守れない者は、有権者の代理として政治は行えない。なぜなら代理人とは本来の権利者(有権者)の意向を実現する者であって、約束の履行こそが代理人代理人足る資格だからだ。

有権者との約束を軽んじるものは、自分自身の代理人という立場を軽んじるものであって、そのような者に有権者は見向きをする必要はない。

実行もできない、しない事柄を約束のように言い立てて金員を得る行為は詐欺でしかない。*2

また、思い違いや言い間違いはあるだろう。それは認めるし、私はそんな事は当ブログで扱っていない。

しかし、例えばこれなどはどうなんだろうか?



いわゆる「尾張藩書物奉行」とされているのは「河村秀頴= 秀興 」さんであって、その弟である「河村秀根」さんは「書物奉行」ではない。(そもそも「書物奉行」とは名誉職のようなもので、「河村秀頴」の博学を称賛して送られた役職であり、「河村家」が代々受け継いだという役職ではない。
詳しくは

http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/20140402

なぜ自身が誇示する「河村家、尾張藩書物奉行」事績にこのような誤解が生じるのだろうか?

まあ、こんな事は良い。幼稚なウソ。子どもじみた虚栄心の末路というものだろう。

少々許しがたいのは次のような 嘘 だ。

平成31年2月4日 市長記者会見

(記者) 5月の文化審議会に、解体後は諦めているということですか。5月の文化審議会に復元の許可を得ることは、もう諦めたということですか。

(市長) 復元のほうにせずに、そのときは、まず、解体の許可申請をするということです。

(記者) それはもう復元は5月の文化審議会には諮られないことは、もう了承していると、市としてもそれはしょうがないということでしょうか。

(市長) しょうがないというか、とりあえず、それは僕が言っとるんじゃないですよ。石垣部会から推薦を受けたコンサルタントがそう言っとるんですよ、これは。

(記者) そう言っとるというのは。

(市長) そういう方法がええと。

(記者) 解体を先にやったほうがいいと。

(市長) そうそうそう、そういうことですね。

名古屋市:平成31年2月4日 市長定例記者会見(市長の部屋)

連休前に名古屋市文化庁に提出したいわゆる「名古屋城天守先行解体案」について、この市長会見で河村たかし名古屋市長は「コンサルタントがそう言っとるんですよ」とコンサルタントの提言であると公言した。

ところがこれはとんでもない嘘である事が名古屋市会本会議の討論で明らかとなった。市長の嘘が市会本会議の議事録に掲載されるのである。名古屋市政の汚点だ。

19/3/6名古屋市議会本会議 名古屋城関連質疑 (名古屋市民オンブズマンによる半自動文字起こしアプリによる文字起こし)

(議会の正式な議事録はまだ公表されていない)

追記:正式な議事録が公表されたのでまとめた。
平成31年2月定例会における名古屋市長河村たかしの嘘 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

浅井正仁議員(自民・中川区): 文石協所属のコンサル会社勤務のご両名が、名古屋市名古屋城について会談したことは事実ですが、復元と解体を分割申請する提案はしていないと言明しました。
会談の中で、名古屋市が復元と解体を分割申請するアイディアを示し、同意を求めたというのが真相のようです。もちろん 2 人は同意しておりません。

http://www.nagoya.ombudsman.jp/castle/190306.pdf

これも幼稚な責任逃れではないか。

幼稚な虚栄心からの嘘はまだ許されるかもしれない。市政に影響がなければ、しかし、こうした責任逃れのための幼稚な嘘は、市政を歪め、善意の第三者を傷つける行為だ。

名古屋市長がこんな事をしてはいけない。

名古屋市長が自らの責任を逃れるために、市井の人物に責任を押し付けるとすれば、それは名古屋市民がその人物に責任を押し付けたも同然である。

名古屋市民は自分の責任を回避する為に、このような幼稚な嘘をつくのだろうか。名古屋市民は無責任で嘘つきなんだろうか。



2月4日 の市長記者会見では二つの注目点があると思われる。
一つは、河村市長の言葉で、文化庁との話し合いの中で、現天守建物が十分、「登録有形文化財」としての価値を持つという事を認識しているという事だ。(「登録有形文化財」としての価値を持つ歴史的建築物を破壊する重要性は気が付いていないようだが)

ちょっと前行った文化庁の課長さんが言っとったけど、そのときに僕は、それは、歴史的価値というのは、50年たった建物で、その当時の時代のシンボルとは書いてないけど、象徴というか、建物については、登録有形文化財になりますと、申請が要りますけどね、そういう条文があるんです。だから、名古屋城も、そういうことでしょう言って。まあ、そうですという話だったんです。

 やっぱり向こう側からすると、「申請すれば登録有形文化財になる可能性のある建物を壊すということについて評価してくれということでしょう」言ったら、「そうです」って言ってましたから、それはちゃんと書いてありました。

名古屋市:平成31年2月4日 市長定例記者会見(市長の部屋)

これについては、蒙昧な思考の為に、自分が何を言い、何を行おうとしているのか自覚できない人物の例として理解し、「嘘」とは言い立てない。

ここで「旭ヶ丘高校の件」という話題が出ている。
これについては

第147回 衆議院 文教委員会 平成12年4月19日 第12号

を参照する。18ページ以降に河村(た)委員の質問、意見が書かれている。少々長いが資料的価値もあると思うので要所要所を抜き書きしていく。

やはり今までの建物というのは、古くなれば壊して新しくつくる、これはみんなそう思っていたんですよ、それしか知らなかったから。しかし、後で質問しますけれども、いろいろな工法が、特に大震災以降完成されてきて、例えば下に免振装置を入れて、コンクリートは劣化防止をやって、中は反対に全くリニューアルして新品同様のものにしていく、欧米なんかそれは非常に多いんですけれども、そういう工法が完成されてきた。しかし、時代がちょうどその境でありまして、その認識がないころにできた計画の場合は、壊していっちゃうんですね。
ですから、ぜひ政治家として、取り壊しだけではなくて、ほかもそれをやれというんじゃなくていいですが、しかし、そういう工法もやはりあり得る、検討してほしいという、ぜい御答弁をいただけませんでしょうか。

「耐震補強しても40年しかもたない」などという主張は成立しない。

「耐震補強」と「コンクリートは劣化防止」「取り壊しだけではなく」「 そういう工法もやはりあり得る」この当時の主張と今の発言の差はいったい何ごとなのだろうか?

やはり文化というのは産業と違って弱いんですよ。
なしでも食べられるんですよ、言ってみれば。
だけれども、教育の話は、きょう午前中も出ておりましたけれど、やはり一つの社会の環境をつくるのが重要なんですよ。
文化財というのはそういうものなんですよ。
やはり常に何でも壊していくんじゃなくて、文化というのは人の営みですよ。こういうところにこういう人の営みがあった、そういうのに常に自分が思いをいたすようにする。
そうすると、本当に、非常に思いやりのあるというか、そういう人間が形成されていくだろう。そういうのが文化財の一つの趣旨だろうと思います。

昭和34年に総工費の内の1/3を市民がこぞって寄付した事実。
それから半世紀以上、その姿に親しんできた事実。
「何でも壊していくんじゃなくて、文化というのは人の営みですよ。こういうところにこういう人の営みがあった、そういうのに常に自分が思いをいたすようにする。
そうすると、本当に、非常に思いやりのあるというか、そういう人間が形成されていくだろう。そういうのが文化財の一つの趣旨だろうと思います」

古いものというか人間の営みを大事にする環境がないということなんですよ。
これはびっくりしたんです。だから、こういうものに対して緊急の必要があるから(有形文化財の)登録制度をつくるんだというのは僕も非常に大賛成なので、こんな生ぬるい話じゃなくて、これはもっとがんがんやってもらいたいと思います。

やはりそういうもの(歴史的建造物)があると、人間は優しくなるんです。
うちの地域でも、祭りなんか大事にする人間はみんな非行をやりません。
いろいろなことをやっておっても、話をすればわかる人間ばかりなんだ。
それはなぜかといったら、人間のつくったものを大事にしようという気持ち
があるからだ。
だけれども、それがこの驚くべき数字なんです。だから私は、今回の旭丘高校問題が一つの突破口になって、世の中の流れはこうだからどうしても初めはこうなるんです。
だから突破口になって、文化庁がもっとどんどん大きく活躍して、日本の中にこういう古いものも残って、人間の営みが残っていくようにしたいということなんです。


「人間のつくったものを大事にしようという気持」
「人間のつくったものを大事にしようという気持」
「人間のつくったものを大事にしようという気持」

大切な事なので3回書いてみました。

三つほど誤解がありましたかね。

結局、一つの大きいのは、先ほども言いましたように、やはり残すというと本当に古いまま残すんだという感じなんですよね。
だから、二十一世紀の教育環境に対応するためには新築しかだめなんだという認識がありますので、まずそれを、これはお約束いただきましたけれども、
そうでないと。リニューアル型でも十分それは対応できるんだということでしょう。

それから、耐震診断はやっていなかった、取り壊し前提の話はやはりまずいという風に思いますね。

それからもう一つ、四階の継ぎ足し部分がありましたので
実際登録には無理だという認識があったんですけれども、これは本当に感謝しております。
こうやって文化庁が要件に該当する、申請さえしてくれればいいんだというふうに言っていただいたことによって、大分変わってきました。

これで終わりますが、こういった文化を残すためには、本当に熱を入れて、NHKテレビでこういうようなことなんだということを言うぐらいのことをしてやらないと欧米との格差は埋まらないし、こういう文化を大事にしていく日本的な世論というか、風土というのは盛り上がってこないと思いますので、文部大臣、ぜひひとつ熱を入れて河村次官も御支援をいただきたいと思います。

標準語なので皆さん誤解されるといけませんが、これすべて河村たかし衆議院議員の平成12年の発言です。



告知:
名古屋城天守有形文化財登録を求める会」が起こした名古屋城木造化事業における住民訴訟
第一回公判の日程が決まりました。
5月16日(木)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。

傍聴席の整理券は午後1時45分頃、
1102法廷前 で配られます。

名古屋城天守の有形文化財登録を求める会


*1:この言葉は、「総統が命じ、我々は従う」というナチス・ドイツの言葉をもじったものだ。

*2:おおっと、慌てなさんなよ。ここで「河村たかしは詐欺師だ」なんて言っていないよ。主語は無いのだから