市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

集団浅慮


12月10日 (月) 18時半〜  
名古屋城天守閣木造立て替えはいらない」住民訴訟 説明会

名古屋城天守有形文化財登録を求める会」は、12/17(月)に名古屋城天守閣木造化基本設計の費用8億4693万6000円の返還を求める住民訴訟を提訴致しますが、住民監査請求人、原告希望者ならびに関心のある方に対して、名古屋城天守閣木造化の問題点ならびに住民訴訟の説明会を以下開催致します。

※どなたでもご参加いただけます。

日時: 12月10日(月) 18時半-20時

会場: 北生涯学習センター 第一集会室(名古屋市北区黒川本通2-16-3)
 地下鉄「黒川」下車4番出口より黒川交差点北へ約50m(東側)
北生涯学習センターHP

タイムテーブル
 ・「名古屋城天守有形文化財登録を求める会」の説明 10分
 ・住民監査請求結果の説明 15分
 ・住民訴訟のポイント 15分
 ・質疑応答 50分

入場無料 

主催 名古屋城天守有形文化財登録を求める会



症状1:自分たちは絶対に大丈夫という幻想を持ち楽観論に陥る。

症状2:自分たちは正しい事をしていると信じ込み、時として法や倫理をも無視する。

症状3:自分たちに同意しない者(外部の者)は、誤った認識を持っているといった偏見を持ち、その影響力を軽視する。

症状4:外部の者は間違っているのだから、それらが発する批判や警告を軽視し、時としてそれらは「自分たちへの攻撃」と捉える。そして自分たちの理論を再考しようとはせず、却って内部の「正しさ」に固執する。

症状5:内部に居ると、疑問をとなえることへの自己抑制が働き、皆がそれぞれに疑問を持っていても、それを口に出す事が出来なくなる。

症状6:こうした同調圧力が高まると、異議をとなえることへの圧力が生まれる。こうなると集団はより一層外部と隔絶し、集団の意思は「集団極性化」されたものとなる。

症状7:集団が外部と隔絶すると、内部では相互依存が始まり、より全員一致という幻想が強化される。

症状8:集団の合意、存在を脅かす情報から目をつぶるようになる。こうした歪んだ情報選択は集団の意思をより極化し、さらに自分たち「内部」と「外部」との溝が深まる。

アーヴィング・ジャニス の唱えたグループシンク(集団浅慮)である。
(「集団極性化」の提唱者はジェームズ・ストーナー

減税日本は相も変わらず、他人に迷惑をかける事をなんとも思っていないようだ。

減税日本ゴヤの団長であった浅井康正市議が自宅に違法な「ブロック塀」を作り、突然記者会見を行ったのが12月4日の午後4時すぎ。この時には自身の違法行為について。言葉で釈明するのみでなんら処遇については決めていなかった、決められていなかった。

ところが、12月5日になって、「教育こども委員会」の副委員長を辞任し、同委員会の委員も辞職するとした。
6月に大阪の地震で起きた、幼い子供が亡くなるという不幸な事故を受けて、全市的に「ブロック塀」の撤去、改修を行うとする時に、自身が違法な「ブロック塀」を作っていたのでは委員会審議に参加する資格が無いのは明白な事で、こうした措置は当然ともいえる。しかし、お粗末なのはこうした人事の動きが、議会の議事に影響を与えるという事を考慮していないように見える事だ。

午前10時半開始予定だった「教育こども委員会」は調整のため、開会が午後の4時までずれこみ、終了は午後7時を越えた。この間、多数の市職員が残業をする事になり、それだけでも多大な人件費、市税の無駄遣いとなる。*1

今回でも、減税日本ゴヤの市議は自分たちの所管委員会が終わるとそそくさと退庁する者も居たようで、まったく自分の問題という意識に欠ける。

議会は混乱し、結果として12月6日の夜10時半ごろ、浅井市議自身が減税日本ゴヤを離団した。

・・・一人会派で何ができるんだろう*2
そんなに議員報酬を下げるべきだというのなら、自身が貰う議員報酬を返納すればいい。つまりここでスッパリ議員辞職すればいいじゃない。

減税日本を見ていると、本当に面白い。

典型的な「集団浅慮」に落ち込んでいる。

彼等は自分たちが「正義」を行使していると思っていそうだ。
既存の政党や議員、議会は「利権」や「既得権」に塗れており、市民を蔑にして「議員特権」にうつつをぬかしている。とでも思っているのだろう。

彼らが批判する「議員特権」は確かに「特権」としてあるかもしれないが、それは正当な理由や歴史的経緯から生まれた「特権」であって、今のあり方の、それも一方的な側面だけを捉えて批判する事は的を射っているとは言い難い。*3

ちょうど、差別排外主義者たちが「在日特権」と言い立てて「ヘイトスピーチ」を繰り返してきていたが、そうした「特権」批判に近しい。
そうした彼ら差別排外主義者は「在日特権」に説得力が無くなると、次に「WGIP」などを持ち出してきている。
まったく、「ネトウヨはバカだ、ではなく、バカだからネトウヨになるのだ」という批判を地でいっている。

最近この傍証がもう一つ現れた。あの創作家*4百田尚樹が、御大層にも「日本国紀」という「創作」*5を上梓した。その内容についても酷いものだが、面白いのはインターネットで(特にツイッターなどで)「日本国紀」と検索すると、その内容の批判や、誤りの指摘、剽窃の疑いを指摘するものなどがある半面、「日本国記」で検索すると、この本を絶賛するコメントが現れる。(あまり記述内容に触れたものはない、読んではいないのかもしれない。本を神棚に飾っている者までいる)
まったく、「ネトウヨはバカだ、ではなくバカだからネトウヨになるのだ」

知恵の有る者と、知恵の無い者では明確に差がある。
知恵の有る者は、自身の思っている認識は間違っていないか、その間違った認識の上に築かれた自身の思考は間違ったものなのではないか、常におびえ、恐れている。であるので学ぶ事を止めない、止められない。しかし、知恵の無い者は、自身に知恵の無い事に気が付かない。その為にどんな誤った認識を持とうが、どんな歪んだ思考をしていようが気にならないし、気付くこともできない。知恵の有る者は、おびえ恐れているにもかかわらず、知恵の無い者のあの自身に満ち、堂々とした態度。まったく羨ましくなる。彼等は素っ裸でも堂々とパレードを行うだろう。

「地域委員会」・・・問題の捉え方には間違いは無かった、初期の設計は確かなものだったかもしれない、しかしそのキーマンが離脱してからの改変はいただけないし、なによりこのアイデアが破たんした以降、問題自体は放置されたままだ。

「減税政策」・・・経済学的には正当性は無い!(誰か支持する「経済学者」(会計学者ではなく!)を出してみろ)そして何より、日本において、名古屋市以外の全地域で「地方税減税政策」が取りやめになったという事実を見れば、この政策の誤りは明白だ。

「議員報酬半減」・・・単なる縮小均衡論であり「安売り」「プライスレース」に過ぎない。その昔「選挙権を放棄した国民に、一定のお金を戻す。そうすればそのお金を払ってまで参政権を得たいと思う国民だけで選挙がおこなわれ、この国の議員の質は上がるだろう」という主張をした者がいた。そうしたら「そんな事をすれば、この国の議員は宗教政党と、共産党の議員だけになるだろう」と反論があり即座に却下になった。

地方議員も他の職業と同じであり、質の良い議員が欲しいのであれば、それに見合った報酬を用意すべきだ。
あまりに当たり前の事で、反論が成立すると思っている方がおかしいだろう。

歪んだ認識に行き着いている者は、歪んだ情報が与えられ、当たり前の思考をたどっていない。




地域の優秀校に無理やり入れさせられた。それは母親の、友人への見栄の張り合いだったのかもしれない。
おかげで丸暗記だけは得意になった。けれども、そうやって暗記した事柄のつながりや関連を深く考えることはできなかった。それよりも点数を取る事が大切だったから。

そうやって、有名大学に入った、大学では地元を離れたけれども、持ち前の気の弱さから大きな問題も起こさずに、何という事も無い4年間を過ごした。
就職活動はしなかった、いくつか紹介も受けたけれども、そういう面倒は避けたかった。
それともう一つ、母親がどうしても地元に帰るよう促し、東京で就職するという選択肢は無かった。

結果として大学卒業と同時に家業を手伝うことになった。

家業は言ってみれば単純な業務で、難しい事は無かった。

ここで家業を大きくすれば父親も自分を見直すかもしれない。

勝手に廉売を行い、業務を拡大した。

これはうまくいくかに見えたが、廉売は地域の同業者の知るところとなり、同業者の中で信頼されていた父親の信用を傷つけることになった。

こっぴどく怒られた。

しかし、なぜ怒られたのかは承知できない。
商売は競争なのだから、廉売をかけて業績を拡大させて何が悪いというのだろう。

外回りは止められ、中の業務に回されたが、退屈だった。

そんなある日、陶芸家の話を耳にした。

適当に皿や壺を作って焼けばバカみたいに儲かるという。

さっそく窯業学校に通った。この通学列車には、近くの女学校の生徒も乗り込むので女性ばかりだった。

その内絵画の売買を知った。

これも目利きとお客を押さえれば簡単にもうかる。

自宅を改造して「画廊」を開くことにした。

画廊のオーナーの名刺を持ってあちこちに顔を出した。

家業の二代目よりも皆の見る目が違う思いがした。

そうこうするうちに書を扱う事を思いついた。

絵画は仕入れなければならないが、書で有ればサラサラと書いてそれらしく装丁すればバカのように売れる。

バカが買っていく。

そうこうするうちに母親がライバル視させていた地元の秀才が弁護士となり独立し、事務所を開いた。

開所祝いに絵を持って弁護士事務所を訪れた。

やっぱり、社会的地位の有る仕事が良いな。彼が弁護士なら、自分は検事になってやる。

自宅のすぐ近くの法律学校に通い始めた。

司法試験を受け続け、9回落ちた。

司法書士行政書士の選択は無かった。

司法試験の道がふさがれた後、次に考えたのが議員だ。

できれば国会議員、そしていつかは総理大臣。

夢はでっかく持つべきだ

地元の有力者の下に修行に入った。

選挙に落ちた。やがて追い出された。

しかし人生一発逆転、ある風に乗って国会議員となる事が出来た。

党は新設の党、世間は清新な党と好意的に受け止めているが、

新設の党というのは、結果、中は好き放題、自由ではなく放逸であっただけで

結果として政治とは何かなどという訓練を受ける機会を失った。

仲良しごっこを続けて、世間の受ける事を良く判らないながらも口にすれば
人は褒めてくれるし票も入った。

最初の頃はそこそこ地元もこまめに回ったが、

テレビに出てみると、そうした地域回りがバカバカしくなるほど得票数が増えた。

そしてテレビに出るときには、難しい理屈は要らない、ワンフレーズ、受けの良い事を言っていれば良い。

有権者の受けの良い事を言う事、別に実行する必要はない。

夢を語れば良い。

それをどう実行するなんて考えなくても良い。




なんと哀れな人生だろうか。

私は人の生とは自己の変容可能性を探る旅だと思っている。

教育を受け、自己の認識を社会の有りように合わせていく。そして社会に出て、仕事をする中で、自分の過ちを修正していく。社会にとって自分の果たす役割を見つけ、そこに自己を変容させていく。

人と出会い、家庭を築き。その度に様々な要求が自身に突き付けられる。そうした困難を乗り越えるために、あるときは耐え、またあるときは考え方を変え、自己を変容させる。

人間の生が、生まれたまま、その我儘な有り様を、何の困難もなく続けていくのだとしたら、こんな退屈な人生は無いだろう。そんな人生にはなんの発見もない。自己の有り方すら見誤るだろう。

何の困難にも突き当たらずに、自身では何一つ作る事も出来ない。

こうした小物ほど、自分の名を残そうとする。
頭の悪い学生が、名所に自分の名前を落書きするようなものだ。

雲 ― 大事を做し出すもの、必ず、跡あるべからず。跡ある時は、禍必ず生ず。跡なき工夫如何。功名を喜ぶの心なくして做し得べし。

水 ― 是も亦是なり。功名を喜ぶの心なきは、学問の工夫を積まざれば出まじ。周公の事業さえ、男児分涯のこととする程の量にて、はじめて跡なきようにやるべし。然らざれば跡なき工夫、黄老清浄の道の如くなって、真の道とはなるまじ。細思商量。

松浦静山甲子夜話


おまけ:
自己保身のうまい人の特徴「自己中心的」「○○だろうと思います」|「マイナビウーマン」


*1:市民税減税審議やら議員報酬議論、そして彼の「議運離脱宣言」など、いままでも我儘なお子様よろしく、深夜議会を生みだしてきた減税日本であれば、今更驚きはしないが、そうした際の批判をまったく学習していないようにみえる

*2:減税日本にいても何もしていないようなものだけど

*3:これは、中日新聞も悪い。議員の海外視察が何でもかんでも悪い事なのだろうか?それは確かに議員特権だが、そうした特権によって視察できることが政策に反映される事もあるだろう。そうした内部についての評価も無く、形式的に海外視察を議員特権と批判していた中日新聞の論調が、今日の歪みの一因であると言える

*4:やしきたかじんの家族の問題など、見事な「創作」だ

*5:というよりも、すでに創作でも無く、あちこちの著作や wikipedia からの剽窃集の趣が強いが