市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

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名古屋城の本質的価値

今日、ブログに掲載しようとしていたネタは別のところに飛んでいきましたので、急遽差し替えネタを。

名古屋市名古屋城の全体整備計画を平成18年に策定しました。
いわゆる「全体整備計画」ですが。これは「(案)」のまま確定しませんでした。

ただ、ここにすでに大天守建物の耐震性への危惧が書かれており、
耐震改修の必要性がうたわれていました。

もう一度確認しておきます。
名古屋城天守の耐震性の危惧がうたわれていたのは、
平成18年の「全体整備計画」にすでに明確化していたのであり。

今になって、看板を掲げてみたり、立ち入り制限をしてみたり。
では、いままでの10年間、放置していたのはどういった理由なのか。

それも問題ですが。
名古屋市はこの「全体整備計画」を破棄し、
「保存活用計画」を全体整備計画として策定しました。
これは「(案)」でもありません。

呆れたことに、この「保存活用計画」は「有識者」なる者たちに支持され、文化庁に提出もされております。

中身について、キチンと読んでいるのだろうか。

この「保存活用計画」様々な問題がありますが、その最大の問題は「名古屋城の本質的価値」を定義した第3章。

たった8ページ程度の所論なんだから、なにか言いたいのであれば、これぐらい読むべきだ。

http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000105/105368/keikaku.pdf

この第3章の何が問題って、まず、そもそも。この全体整備計画が「保存活用計画」という名前に変わっている。これは文化庁の方針が「全体整備」から「保存活用」つまり、文化財を活用するという方向に向いていることに歩調を合わせたつもりなんだろうが、これにもすでに文化庁内でも批判があることを踏まえていない。

一周遅れの議論であるということなんだが、それはいい。

「本質的価値」という言葉。これはあくまで「本質的価値」の理解に資するという復元計画を睨んだ言葉であることは明白であり、浅薄だ。

それもいい。

この「保存活用計画」が「本質的価値」として中心にそなえた議論の、その根拠となる基盤が。
「昭和7年の史跡名古屋城の指定説明文」と「昭和27年の特別史跡名古屋城跡の指定説明文」なのだ。つまり、昭和27年以降の歴史。その中には当然、昭和34年の天守復元事業も含まれている。
そうした歴史を無視して、「本質的価値」としていることだ。

私が子供の頃から見てきた天守建物は、一体何だったのだろう?

名古屋市名古屋城天守を木造で復元することは、その「本質的価値」の理解に資すると説明するが本当だろうか?

木造復元しても、外見は現在のコンクリート天守とさしてかわらない。
なにせ、壁は土壁なんだから。木造である必要性はない。

中に入ると違うという。現在の天守建物は中にはいると単なるビルと同じでがっくりする。というが、では、木造にすれば「本質的理解」になるのだろうか?

慶長の本物の天守建物の中を知っているものは少ない。
歴史的にも中にはいった人数は知れている。

天守などというものは、圧倒的多数にとっては
「外から見るもの」である。

そして、それは名古屋城天守の「本質的価値」でもある。
外観を整えて、徳川幕府の威光を知らしめる。
そうした戦略的目的、政治的目的が築城の理由であろうし、
それ以降、金の鯱とともに、尾張徳川家の象徴として君臨してきたのが、名古屋城の「本質的価値」だろう。

そうした歴史的な「本質的価値」の中に、「中に入って雰囲気を味わってもらう」などという視点があっただろうか?

あるわけない!

それは完全に名古屋城の「本質的価値」を歪めるものである。

バカの言うことだ。

または、インチキ画廊の売り言葉だろう。

そして、昭和34年の名古屋市民の復興、再興にかけた思いを無視し、無にする行為は、忘恩者、忘八者行為と言わざるを得ない。

今次の名古屋城天守閣整備検討会議なる「有識者」を標榜する者たちには、この昭和34年の事実は見えないらしい。それで「有識」とは片腹痛い。

では、最後に。

1996年に、名古屋城を名古屋のシンボルとして紹介している、国会議員1年生(3年目)を紹介しよう。

外観だけを捉えて「名古屋のシンボルである」と正しく価値を伝えている初々しい姿だ。

インチキ名古屋弁も使っていない。



追記(2018/9/8):
この外観をHPのタイトルバックに利用している会派もあるではないかというご指摘をいただいた。
確かに。
彼らは「名古屋の象徴」として「現コンクリート天守の外観」を引用しているのであるとすれば、それは正しい感覚だろう。しかし、それを取り壊すという判断はどうなのだろうか?

また、名古屋城を借景としてプッチーニの「トスカ」を上演するそうだ。
これもまた、外観に城の「本質的価値」が重くある事の証左であり、外観について「忠実に再現(一部、異なるが問題とはされない)」されている現在の天守建物の文化的価値を証明する事例だろう。

これを本気で壊すのか?