市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

名古屋市長、河村たかしに足りないもの

河村市長の南京発言問題が再燃している。


APAホテルが客室に歴史修正主義に即した本を置いたことに端を発し、中国外務省が同ホテルの対応を批判。そのさいにも日本の現職公人として南京虐殺を否定する河村市長に対し、不快感を表明したと伝えられている。

この問題は、政治的にも法的にも決着がついているはずだ。歴史修正主義に根拠などない。
否定派はいつまでたっても認めようとしないが、「嘘も百回つけば本当になる」とでも思っているのだろうか。

日本の外務省のページに「日中共同歴史研究」のページがあり、ここに政府見解を含め、現在の歴史学が認める見解が掲載されている。そこでは被害者数についての確定は出せないものの、逸脱行為があったことは否定できないと明言されているのだ。

 2014-06-17 南京事件に対する法的に認定された事実、客観的事実

また、私は「偕行社」の南京戦史研究を評価する。
ここにおいても、現に当時、現地にいた人々の生々しい証言が採録されている。

こうした証言者の中には、すでに鬼籍に入った人々も多くいる。
今、こうした資料に当たりもしないまま、あやふやな妄言を振り回し、こうした貴重な言葉を否定する者共は、こうした証言者たちを侮辱している。人として恥を知るべきである。

河村市長のメンタリティでは、南京虐殺南京事件を認められないようだ。

日本人がかくの如き残虐行為を行ったのであれば、土下座をして謝らなければならないらしい。

では土下座するべきだ。

南京事件は過去の出来事ではない、今日ただ今も、私たちは南京事件と同じ問題の上に立っている。

河村市長にはこうした問題意識は無いのだろう。

説明してみよう。

南京問題が人道的、法的に許されないのは、非戦闘員に対する無差別な殺害。または、投降した捕虜に対する不当な扱いがあったからだ。このような問題は今日ただ今もある。

今、この時でも「空爆」という行為は行われている。
それが非戦闘員を巻き込むであろう可能性は排除できていない。

そして、昨今では「空爆」は「ドローン」と呼ばれる無人攻撃機によって行われ、攻撃するものと攻撃されるもの、さらにそこに巻き込まれるものの間の非対称性は戯画的なほど深刻だ。

湾岸戦争の当時、ステルス爆撃機によって空爆を行うパイロットはウォークマンを聞きながら爆撃をしていたという。ステルス航行時には通信管制が行われる為に、パイロットは話す相手も居ないまま、数時間の航行を強いられていたそうだ。彼らはあるいはU2の音楽でもBGMに、爆撃を行っていたのかもしれない。こうしたことは倫理的に深刻な事態であると批判を浴びた。

しかし現在になると事態はより深刻となり、人間性すら揺るがすような風景が現れる。

ドローンによって行われる空爆では、そこにパイロットすらいないのだ。
アフガニスタンやアフリカの「テロリスト」に向かって空爆を行うドローン(無人攻撃機)は、
上空3万ft(9千m)の高さからミサイルを撃ち込む。

しかし、その引き金は米国内の空軍基地に有る。
ラスベガス郊外の米軍基地に、ドローンの操作装置が置いてあるのだそうだ。

パイロットは場合によっては、空爆を行った数分後には、シャワーを浴びて自宅で寛ぎながら、ビールを飲むことさえできるのだ。

映画「ドローン・オブ・ウォー」や「アイ・イン・ザ・スカイ」で描かれているこうした無人攻撃機の姿は、まさに戯画であり悪夢だ。

U.S. stealth bombers, drones launch airstrikes against Islamic State in Libya - Los Angeles Times



「アイ・イン・ザ・スカイ」という言葉には「神の目」という含意があるという。
つまりすでに、テクノロジーは人間を超えてしまっているのだろう。

考えてみれば、原爆や毒ガスなどの大量破壊兵器、戦車や新型爆弾など、工業が戦争と結び付いた。つまり、産業革命が戦争と結び付いた第一次世界大戦以降、戦争という「人を殺すテクノロジー」は進歩をつづけ、人間を超えてしまったのだ。

それ以来、攻撃するものと攻撃されるものの非対称性は深刻化し、一瞬の攻撃による被害者数も拡大した。

そのあり方は人間性を脅かすに十分だ。(上の動画「ドローン・オブ・ウォー」で繰り返し描かれる空爆の様子は、あたかも神が人間を押し潰すよう。または、人間が虫でも押し潰すように見えないか。これは闘いではない、虐殺だ)

空爆」という人間性の否定に対し、怒りを込めて抗ったのがピカソの「ゲルニカ」だ。

しかし問題は深刻さを増すばかりで、矛盾は放置されたままだ。

映画「アイ・イン・ザ・スカイ」で語られているように、米国は(そして同盟国(英国)は)テロとの戦いに非対称のまま挑んでいる。追い詰められたテロリストは、地下にもぐり、民間人を巻き込んだ自爆テロを企図し、それを阻止しようとする米国(及び同盟国)は、やはり民間人を巻き込む危険性を承知で空爆という手段で対抗する。

こうした非人間的な攻撃は、米国およびその同盟国の安全の為に行われる。

つまり、まぎれもなく日本は、こうした戦闘の上に立っている。

日本の安全は、すなわち我々の安全は、今日ただ今も、非人間的な戦闘によって守られているのだ。

我々の手はけして血に汚れていないわけではない。

我々もけしてイノセント(無実)だと声高に言えるわけなどない。(映画「アイ・イン・ザ・スカイ」を見た帰りに、私は文字通り土下座したくなった)

我々は心すべきだ。

今、自分たちが安全で、心地よい人生を送っている間にも、
危険にさらされ、あるいは不条理にもむごたらしい被害に遭っている人々がいることを。

我々は被害者面をすべきではない、加害者の側に立っているという自覚を忘れるべきではない。

彼のヴァイツゼッカーの言葉にあるように

「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目になる」

時間や空間を超えて、人間が何をやってきたか。人間という存在は、何をどこまで<しでかす>可能性があるのか、目を見開いて見据える行為は、今後起こりうる同質の悲劇を抑止する契機かもしれない。


確かに、人は、自分が行っていない罪を背負う事も、償うこともできない。
しかし、その罪を人間の罪として自覚することは、明日に向けて、そうした悲劇を回避する勇気と知恵を生み出すだろう。


つまりは責任感の問題なのである。

覚悟の問題なのである。

こうした全体への責任感を認識し、それを引き受けようという覚悟がないものは、一私人にとどまるべきだ。古紙回収業でも画廊でも、テレビタレントでも結構だから、勝手に活計を立てる道を探ればいい、公的な場面に出てくる必要はないのだ。


話はぐぐっと矮小化する。

今年の正月に、名古屋市の大江破砕工場(ごみ処理工場)が火災に遭った。
遭った、といっても出火したのも同施設だ。(1月1日午前10時半頃)

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017010290225634.html

つまり、名古屋市は「火を出して」しまったのだ。

さいわい類焼もなく火は消し止められたそうだが、排煙で周囲の住民に広範に、多大な迷惑をかけた。

その発災の時間、名古屋市の責任者。
この施設の責任者は何をしていたのか。

ご覧頂こう。

髙木よしひで公式ホームページ ひと・まち・ナゴヤ 名古屋市会議員(中川区選出)

奥田かよさんのツイート


一企業の経営者といえども、もし自社施設が火事を出し、周囲に迷惑をかけているのであれば、発災地に駆けつけ、あるいは謝罪を行うのが当然の行為だろう。ましてや市の責任者たるものが、その市民に少なからぬ迷惑を(それも元旦早々)かけているのだ。(大江工場の施設責任は、市長たる河村たかしにある)

酒など飲んでいる場合ではないだろう、恥という言葉を知っているのであれば、その姿をこうやって公表することもないだろう。恥を知っているのならば!

名東区の丹羽市議(自民党)のブログでこの事実を知って、怒りがこみ上げてきた。
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平成23年の3.11の際、港区に居た河村たかし市長候補は堤防に登って海の様子を眺めていたそうだ。10月におきた守山区内水被害においてもまるで他人事のような対応だった。
守山区吉根地区の「語られていない真実」について | 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!

河村市長は言うだろう、そしてその「取り巻き」もそう応えるだろう。

「関係ないじゃないか」
「法的に問題でもあるのか」

河村市長には他者の痛みは解らないのだ。


(ここでもう一度この人物の南京問題に対するスタンスを見直してみよう。東中野修道などの主張に根拠を求める彼の主張には客観性など無い。歴史修正主義者の中でも疑わしいものの範疇だ。そして、被害者やその遺族、子孫の痛みには向き合わない。それらを代弁し、「自由な議論」を行おうという呼びかけにも応えない、卑怯な態度を続けている。他者の痛みをあまりに顧みない態度ではないか)

他者と自身とが、たまたま今のような位置に立っているということも理解できないのだろう。デリカシー、立場が入れ替わった時、それが許されるのかという客観的な視点がないのだろう。だから、どこまでも利己的になれ、他者の困難を救う事になど興味が持てない。そして、同質の者たち、利己的な者たちが取り巻きとなる。(だから、減税日本は内紛が絶えず、組織として成立しないのだ)

河村市長が「選挙モンスター」? 
彼が一体何をやった?野党の代議士として、結果として何もできていない。
そして、テレビに出て何をしていたか。政治評論家にバカにされて常におちゃらけて誤魔化していただけではないか。
(テレビで*1名前を売った、その「既得権」にすがりついているだけに見える*2

民主党時代、党首選に挑む河村たかしに推薦人が20人集まらなかった。
あの、民主党の国会議員でさえ、なぜ、河村たかしを党首に推薦しなかったのか。
その理由がよく分かる。


名古屋市市政資料館 収蔵資料より

昭和34年毎日グラフ特別版名古屋城再建

名古屋城天守を「戦後復興市民のシンボル」に

名古屋城天守閣木造復元について 鉄筋コンクリート造り天守閣は‟市民の宝” | 自治体問題研究所(自治体研究社)

いたずら?不仲? 名古屋城の金鯱、逆を向く


*1:バカとして

*2:まったく、横山ノックなどと同類だ