市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

歪んだプレビシットを粉砕せよ!

 今日の中日新聞に哲学者の内山節さんの文章が載っていた。題して「仕事が人間を頽廃させる」というものである。

 仕事とは人生の修行、仕事場は道場。というような指導を受けてきた身からすると、いささか穏やかではない題目にギョッとさせられた。しかし、読み進めていくうちにもっともな事と納得させられた。

 その昔、農業などで社会が成立している間は、地域社会の成り立ちと仕事というのは不可分だった。仕事が生活であり、生活が仕事でもあった。地域社会との関わりの中で生きていくことがすなわち生だった。しかし、商業や工業が発達してくると、仕事と社会とのかかわりが希薄になる。昔であれば自然に成立していた職業倫理を、わざわざ再定義しなければならなくなったのはこうした関係性の希薄化が原因なのだ。

 こうして近代社会になると、自分や自分の企業の利益しか考えない人が生まれてきた。さらには誠実に仕事をしているつもりでも、自分の職業だけの狭い世界の発想で行動し、結果的には社会を壊していくような現実も発生するようになった。
(内山節「仕事が人間を頽廃させる」中日新聞 2016.5.1)

 この後、内山さんは東芝経理問題や三菱自動車の不正。ブラック企業パナマ文書の例を挙げられるが、つい最近、愛知県では勝手に森を切り拓いて太陽光発電施設を作った企業もあった。


 その昔、商店街に「卵屋」があった。「卵」だけを売って商店が成り立っていた。
 考えてみれば味噌も味噌樽を店頭に置いて、味噌だけを売っていたし、肉屋にしても鶏肉と豚肉、牛肉の店舗はそれぞれ別にあった。

 その昔は「卵」だけで十分な利幅があり、それを販売する一家が生活を成り立たせていけたのだろう。こうした店舗は商店街を形成し、地域の様々な行事を賄っても居た。

 夏祭り、子ども会行事、老人会の行事、花見に年末の夜回り。

 しかし、やがて集約店ができてくると、「卵」は大安売りの目玉商品として使われ、「卵屋」は商売が成立しなくなった。「卵」が持つ収益性は失われた。それは消費者にとっては良い事なのかもしれない。「卵」を安価に手に入れることができ、手軽に良質のたんぱく質を摂り、調理の幅も広がるのだろう。しかしやがてこうした傾向は様々な分野に広がる。パン屋がコンビニに集約された、本も個別店では成立しなくなった。

 やがて商店街はシャッター通りとなり、巨大ショッピングモールとコンビニに集約されてしまった。そしてさらにそうした店舗販売がネットショッピングに脅かされている。

 効率を追求すると、もっとも非効率なモノが排除されているように見える。そう「ヒト」だ。

 こうしてみると「欲望の分配装置」「消費社会の流通手法」としての市場原理主義というのは、果たして正しいのだろうかという疑問すら浮かんでくる。

 アメリカにおいては「ウォルマート・シンドローム」という言葉があり、巨大ショッピングモールが地域社会を破壊していった。こうした傾向は日本においてもみられる。

 市場原理主義は ”今” の最適しか計測できない。

 しかし、人間は “今” 生きているだけではない。

 ”今” の価値観だけを振り回す考え方、「市場原理主義」は根本的に見落としているものがあり、そうした原理だけに頼るとすれば、人間は決定的に「頽廃」せざるを得なくなるだろう。


 市場原理主義は “今” の価値観だけをもって、商店や流通を選別しようという考え方だろう。ここには過去の尊重も無ければ未来への希望も無い。

 こうした視野狭窄が政治の世界に持ち込まれると、歴史的経緯を無視した主張となる。
 在特会の騒ぐ「在日特権」なる虚構もそれであるし、おおさか維新の会が騒ぎ立てていた「府と市の二重行政」もそうだ。

 そしていま、名古屋において「議員報酬議論」として、過去を(それも数年前の議論を)無視したイカサマのような議論が持ち出されている。

 2016-03-21 歴史的経緯を欠いた議論は不正である

 なんでも5月議会に河村市長は議員報酬改正の是非を問う「住民投票」を行おうとしているようだ。

 イカサマである。

 市民は「政務活動費」の意味すら正確には理解していない。これはマスコミが意図的にか、不勉強からかはしらないが、事実と異なる報道を続けたからだ。そして、いまだにこの誤解を拡大させようとしている事はすでに指摘した。

 2016-03-31 名古屋市が歪んでいる理由


 まず、議員報酬の「引き上げ」ではない。適正化である。
 また、655万円も引き上げるのか。というが、逆で800万円も引き下げ続けてきていたのだ。

 引き上げではなく適正化であるというのは、議員報酬800万円について、その理由を議会は求めてきた。誰も議員報酬800万円を納得させられる理論構成をしていない。
 河村市長は報酬審議会に3回、この800万円を諮問しているが蹴られている。
 この800万円という額が、論理的にも根拠がない事は明白だろう。

 また、4年間運営してきて、事実上市議報酬として相応しくない実態は明確になった。

 さらに、河村市長が主張してきたような「800万円になれば市民がこぞって市議会に参画する」などという事態も起きなかった。(「良い人を得ようとすれば、良い報酬を払うべき」)

 根拠がないのであるから、800万円にし続けている特例条例は廃止すべきだ。

 確かにこの特例条例は「市民による成案を得るまで」という条件を付けている。

 市長が主張するように、「市民による成案を得ていない中で廃止するのは条例違反だ」という事は言えるかもしれない。しかし、市民による成案を得るには、本来、「特別職報酬等審議会」に議員報酬の適正額を諮問しなければならない。それを怠っているのが河村市長ではないか。条例違反の張本人がその条例を発布した河村市長そのヒトなのである。

 条例違反を言うのであれば、議会報告会を開かないのも条例違反であり、市民の権利への侵害だ。(なぜ、マスコミはこの事を言わないのか不思議でならない。)


 議会はこの住民投票を受けるなら受けるべきだ。

 住民投票で、今回の議会による採決に反対する市民が多いのであれば「報酬審議会」を開くような条項を加え適正化すべきだろう。

 議会は逃げるべきではない。
 その代わり、条件がある。

 こうした住民投票は施行者に有利になる。(小牧市における事例では、わが目で見て呆れるほど不公平だった)

 こうした住民投票は、民主主義でもなければ社会正義でもない、プレビシットと呼ばれる歪んだ政治的行為だ。(ヒットラーオーストリア併合において使った手法だ)

 主張に論理的根拠が薄く、説得力のない政治家が、民意に頼る。
 民意というのは、歴史的経緯や将来的な持続性を考慮しづらい。

 この住民投票条例が成立し、または市長が専権事項として実行するのであれば、メディアは次の事を正確に市民に伝える義務がある。

 1.市長が報酬審議会に正常な諮問をしていない事
 2.市長が自説である800万円について報酬審議会に3回諮問し否定されている事
 3.市長与党である減税日本は議会改革推進会議の座長であるにも関わらず議論する場を設けなかった事
 4.名古屋市会総務環境委員会においても誰も「800万円である理由」に応えていない事
 5.周辺市(春日井など)との議員・市民比率と業務量の差
 6.市長給与の800万円と議員報酬の800万円ではその性質が異なる事
 7.市議が報酬800万円を受けて可処分所得がいくら残るか
 8.政務活動費の性質(按分による議員自己負担について)
 (なんなら、減税日本がなぜ政務活動費の執行が少ないのか。その理由)
 9.そうした議会の情報を市民に報告する議会報告会を市長が開かない問題

 そして、
 10.議員報酬を800万円にして市民に何か利益があったのか?


 名古屋城における2万にアンケートにおいては豪華なパンフレットであるとか、DVDまで資料としてつくそうだ。そうした資料で名古屋城木造化を進める施策の民意を問うという。私には単に2万人に名古屋城木造化をアピールしているようにしか見えない。

 この議員報酬の住民投票においても、こうした正確な情報を市民に知らせなければ、名古屋市の市政はいつまでも歪んだままになってしまうだろう。



 さて、
 この連休中。
 5月4日(水・みどりの日5日(木・こどもの日)に
 名古屋 栄 久屋広場で 「アースデイ」が開かれます。

 このアースデイにブースを借りて。 「河村市長のウソには飽き飽きだ!
 河村市長の解任を求める108の理由(仮題)」
 を開催
します。

 具体的には単に私が午前10時ごろから午後4時ごろまで居るだけです。

 適当に時間を決めて「辻説法」もする予定ですが、
 リクエストにお応えして、なんでも語ろうと思っています。

 勿論、道場破りも歓迎です。