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トマ・ピケティ「21世紀の資本」読後記

 トマ・ピケティの「21世紀の資本」を読んだ感想を述べます。

 米国でクルーグマンスティグリッツに激賞された事もあって、日本でも売れている。
 今見たら、アマゾンで金融や経済学で1位。本カテゴリーでも3位になっている。

 700ページあるうえに 5,940円とけして安くないのに凄い売れ行きだ。

 しかし、どの程度理解されるのか(というか、そもそも本当に読む人は買った人の内の何割なのだろうか?)不安な書物ではある。
 ピケティ自信が言っていること自体は難しい事ではないのに。

 すでに、あちこちから「知ったかぶり用」のコンテンツが出ている。週刊現代にも「5分で分かる!トマ・ピケティ『21世紀の資本』ここがポイント」という記事が載っているみたいだ。
 発売号別一覧 – 週刊現代デジタル

中にはこういうコンテンツもある。

 ピケティ本『21世紀の資本』は、この図11枚で理解できる(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 高橋洋一は途中で「我田引水」と言っているが、これは「牽強付会」の誤りだろう。
 その高橋洋一自身が「牽強付会」している。高橋は次のように結論づける。

こうしたことから格差拡大を示した後、格差社会を好まないピケティ氏はこの現状を打破するため、資本収益率を下げることが有効と考え、資本課税の強化を主張する。それも国際協調のもとですべての国で課税強化策を採用すべしという政策提言になる。

この政策提言はピケティ氏の価値観が表れている。別の政策手段をいってもいいし、格差を容認するのも一つの価値観である。

(略)

g(所得成長率)が高まれば、歳入庁などの所得補足措置によって事実上累進課税となり、格差の問題を解決するのはそれほどたいした話でなくなるだろう。

ピケティ本『21世紀の資本』は、この図11枚で理解できる(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(5/5)

 日本においても格差は拡大している。高橋は単純にグラフを読み間違えている。
 また、日本においても「アングロ・サクソン諸国」と同じ条件が揃い、それが強化されようとしている(いわゆる「グローバル化」)ので、今後「アングロ・サクソン諸国」同様の格差拡大は容易に予想できる。

 高橋は「格差を容認する」と言っている。ピケティが格差を好まないとみているようだが、これは主観的な価値観ではない。ピケティの導き出した「格差の拡大」は本質的なもので、好むとか好まないとかではなく、社会自体の持続可能を毀損する深刻な問題を含んでいる。高橋にはそれが分かっていない。

 また、日本においては所得捕捉措置で事実上の累進課税が実現できていると楽観的な事を言っているが、これもまったく高橋が本書を読めていない証左だろう。

 こういったレベルの孫引きを繰り返していては議論が混乱するばかりだろう。

 他にもこんなのもあるようだ。

 池田『日本人のためのピケティ入門』:pp.38-47をとばせばアンチョコとしてはOK - 山形浩生の「経済のトリセツ」

 竹信『ピケティ入門』:素養のない人が書いたアベノミクス重箱のすみつつき本。ピケティ解説はまちがってはいない。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」



 翻訳を行った山形浩生が「要約」を書いている。<全文>引用してみる。

 なんかみんな天地鳴動大地震撼の革命的な本だと思ってすっごい期待しているようだけれど、本書に書かれていることはとても簡単だ。各国で、富の格差は拡大してます、ということ。そしてそれが今後大きく改善しそうにないということで、なぜかというと経済成長より資本の収益率のほうが高いから、資本を持っている人が経済成長以上に金持ちになっていくから。その対策としては、世界的に資本の累進課税をしましょう、ということね。たとえば固定資産税は資産額が大きいほど税率高いようにしようぜ。おしまい。

ピケティ『21世紀の資本』:せかすから、頑張って急ぐけれど、君たちちゃんと買って読むんだろうねえ…… - 山形浩生の「経済のトリセツ」

 その他にも格差の話題として年間数億(ドル!)もの所得を獲得している「スーパー経営者」の問題であるとか、日本(や名古屋などの地方自治体)でも深刻な公的債務の問題などにも触れられているけれども、大きくはコーセーの要約のとおり。

 ただ、これを敷衍(牽強付会でも我田引水でも良いけど)して、「名古屋における河村流減税論の正統性への疑問」やら「財政均衡論の正誤」も考察できそうな気がする。(というか、私の頭の中ではできている)
 

 凄く面白いのは、資本主義について議論が混乱している原因は、第二次世界大戦後、この世界を形成していた資本主義社会の形というのが「特殊な形」であって、無意識のうちにこの「特殊な資本主義社会」の在り方を基盤に議論している為に、議論が混乱していたのではないかと思わされた。

 ある人は否定してみたり、ある人は肯定してみたり、時には神のように崇めたり、悪魔のように蔑んだり。

 その理由は、資本主義社会の「本来の姿」と「(戦後社会に現れた)特殊な姿」の差なのではないかという思われる。

 その部分だけ抽出してみましょう。

 まず前提から、コーセーの要約にもあった「経済成長より資本の収益率のほうが高いから」という言葉は、この本(勿論、コーセーの訳した日本語版)の帯にも印象的に示されている。
         r > g

 という式の事を言っている。
 この r が「資本の収益率」で g が「経済成長」だ。

 g の経済成長については説明は要らないと思うが、r の「資本の収益率」というのは、資本(18世紀には土地、工業化に伴って産業資本が生まれ、やがて金融資本という形になった)自身が生み出す収益の割合だ。

 この差が「資本を持っている人が経済成長以上に金持ちになっていく」結果を生み、この格差は本質的であって如何ともしがたい。


 図 10.9. 世界的な資本収益率と経済成長率の比較 古代から2100年

 たとえば、g = 1 % で r = 5 % ならば、資本所得の5分の1を貯蓄すれば(残りの5分の4は消費しても)、先行世代から受け継いだ資本は経済と同じ比率で成長するのに十分だ。富が大きくて、裕福な暮らしをしても消費が年間レント収入*1より少なければ、貯蓄分はもっと増え、その人の資産は経済よりも早く成長し、たとえ労働からの実入りがまったくなくても、富の格差は増大しがちになるだろう。
 (同書 p.366)

 高橋洋一のいうように「容認する」という問題ではない。際限なく膨れ上がる富やその格差を「容認する」社会は実現不可能だ。

  r > g という不等式はある意味で、過去が未来を蝕む傾向を持つということだ。過去に創出された富は労働を加えなくても、労働に起因する貯蓄可能な富より自動的に急速に増大する。
 (同書 p.393)


 資本を持つか否かで格差が生まれる。また、格差は資本を持つ者の間でも生まれる。


  表12.1 世界のトップ資産成長率 1987-2013年

 たとえばトップ千分位*2が資産収益率6パーセントを享受している一方、世界の富の平均成長率が年間たった2パーセントだったら、30年後には、世界の資本にトップ千分位が占めるシェアは3倍超になる*3。トップ千分位が世界の富の60パーセントを所有するというこの状態は、特に効果的な弾圧システムか、きわめて強力な説得装置か、その両方でもないかぎり、既存の政治制度の枠組みの中では想像しがたい。
 (同書 p.455)


 資本収益率 r と成長率 g にギャップがある限り、富は持たざる者から持てる者に、持てる者から、さらに持てる者へと集中し格差が広がって行く。

 様々な金融商品、制度、タックス・ヘブンなどの国家間の税制競争*4などもこういった傾向を補強していく。

 しかし、

 20世紀には財政的、非財政的ショックの両方によって、歴史上初めて、純粋な資本収益率が経済成長率よりも低いという事態が生まれた。状況の連鎖(戦時の破壊、1914−1945年のショックが可能にした累進課税政策、第二次世界大戦後の30年間の例外的成長)が、歴史上類を見ない事態を生み出し、それがほぼ1世紀近く続いた。
 (同書 p.370)


 図 10.10. 世界的な税引き後資本収益率と経済成長率 古代から2100年

 この結果として・・・。

 米国では格差は1950年から1980年の間に最も小さくなった。所得階層のトップ十分位は米国の国民所得30−35パーセントを得たが、それは現在のフランスとほぼ同レベルだ。これが、ポール・クルーグマンがノスタルジックに「みんなの愛するアメリカ」と呼んでいるもの ―― かれの子供時代のアメリカだ。テレビシリーズ『マッドメン』とド・ゴール将軍の時代である1960年代の米国は(トップ百分位のシェアが35パーセント以上にまで劇的に増大した)フランスよりもずっと平等な社会だった。少なくとも肌が白い米国国民にとっては。
 (同書 p.305)

 当時の米国製テレビコンテンツは米国流民主主義の強力なプロパガンダ素材だ。
 『ルーシーショー』や『奥様は魔女』『かわいい魔女ジニー』などで描かれるのは、豊かな中間層を基盤とした消費社会の理想郷だ。(私は『じゃじゃ馬億万長者』や『アダムスのお化け一家(アダムスファミリー)』の方が好きでしたけどね)


 その後、『宇宙大作戦スタートレック)』に夢中になると、その「開拓精神」や「押し付けデモクラシー」に免疫ができてしまい、結果として「反米意識不全症」(と、「技術信仰盲目症」)となったのでしょうね、私は。


 つまり、クルーグマン的な中間層を生み出そうとする修正型の資本主義と、それを顧みない、資本主義自体に、あの豊かな社会を生み出す力があると(盲目的に)信じている人々の間(上の高橋もその一人のようだ)で議論の齟齬が起きているようだ。


 18世にまで食い込む豊富(過ぎる!)資料と、それが描き出すシンプルな論理。そしてその評価への態度。これは読むべき価値があります。

21世紀の資本

21世紀の資本

 「名古屋における河村流減税論の正統性への疑問」やら「財政均衡論の正誤」についても整理でき次第掲載しようと思います。

追記:
ピケティ「21世紀の資本」からみた財政均衡論の正誤 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0


 http://www.asahi.com/articles/ASGDS4G49GDSUPQJ003.html
 ピケティ『21世紀の資本』オンラインページ





*1:引用者注:上の「資本所得」の事

*2:引用者注:世界の資産所有者中、トップから1000分の1の割合に入っている人々、推定平均資産1000万ユーロ、約450万人の集団

*3:引用者注:現在の推計シェアは20パーセント

*4:これがズバリ、「河村流減税論」の否定と言えるんだろうけどね