市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

誰かが嘘を言っている。または全員が。

追記:

個人県民税の減税提案へ 大村知事
(略)
大村知事は(略)「できれば9月議会に提案したいので協議したい」と条例の提案方針を伝えた。さらに、5%減税と10%減税の2案を提示(略)

http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW1308232400006.html

 ここで県民税が10%減税になると、話が俄然ややこしくなる。



ナチ党が共産主義を攻撃したとき、
  私は自分が多少不安だったが、
   共産主義者でなかったから何もしなかった。

ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。
  私は前よりも不安だったが、
   社会主義者ではなかったから何もしなかった。

ついで学校が、新聞が、
  ユダヤ人等々が攻撃された。
   私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。

ナチ党はついに教会を攻撃した。
  私は牧師だったから行動した―しかし、
    それは遅すぎた。

     『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
      マルティン・ニーメラー

 あちこちでアルバイトの悪ふざけが続発している。コンビニではアイスボックスに入り、外食産業では冷蔵庫に入り、宅配ピザ店ではピザ生地を顔に貼り付けてふざけていたようだ。
 これはこういった外食産業において、働くアルバイトと顧客のインセンティブが一致していないから起きるのではないだろうか。

 学生のころ、ある外食チェーン店に勤めた友人が驚くような話をした。
 その店は24時間営業だが、深夜は男性のアルバイトが一人か二人でまわす。深夜シフトのアルバイト数人は、商品の味付けを薄くしたり濃くしたりしていたそうだ。また、なるべく対応を悪くして来店者を減らすように先輩アルバイトから「指導」されていたそうだ。
 つまり、時給が決まっている彼らにとって、店に顧客が殺到して忙しいよりも、潰れない程度に暇なほうが良いと考えていたらしい。

 生産性の向上を図り、生産性をギリギリまで高めた結果、人件費もギリギリに削られ、こういった外食産業ではアルバイトだけで構成されている店舗もあるようだ。
 そういった店舗では契約された時間だけ「お店番」していれば時給が支払われるのであって、来店者数も売上げも関係ない。確かに、こういった実績をインセンティブとして掲げている店もあるのだろうが、彼らに外食産業に従事するプライドとビジョンを与えるのはなかなかに困難な事だろう。

 逆に、こういったプライドやビジョンを利用してコスト削減を図っているのが、話題になった「ワタミ」であるように思える。あの会社では異常なまでに「社会への貢献」などが称揚され、結果として「サービス残業」や「不当労働行為」が横行しているように見受けられる。
 こういった違法な労働行為で、若い非正規労働者などが搾取され、それによって原価が圧縮され、顧客に安価な商品を提供する。プライスレースが労働者を搾取している。
 そしてついでに経営者の5億円と言われるペントハウスにもなるのだろう。

 正規労働者で構成される労働組合は、非正規労働者の待遇改善には冷淡なようだ。非正規労働者への労働分配率は自分たちの取り分に関わるとされれば利害は対立する。
 また、こういった民間企業労働者は公務員に対して厳しく、相も変わらず「公務員給与削減」を政策に掲げる政党に票が集まる。
 公務員給与を引き下げたところで民間給与が上がるわけではないのにだ。

 結果、労働者は公務員、正規労働者、非正規労働者、そして更にその間にある幾つもの形態に分割され「労働者の団結」は細分化されている。

 リベラル政党が壊滅的な理由はここにあるのではないだろうか。また、民主党が純然たる労働者の党としては存在できず、あたかも「自民党落ちこぼれ組」を糾合しなければならなかった理由もここにありそうだ。

 ここで本稿の一番最初に掲げたニーメラー牧師の詩に戻る。
 ナチ党が最初、排除したのは共産主義者だった。

 こういった排除の論理は留まる所を知らない。結局中国における文革や、その流れを受けたカンボジアポル・ポトの残虐を例に取るまでも無く、排除の論理を内包する社会は容易に暴走する。

 日本における現状はもう少々緩やかかもしれない。緩やかかもしれないけれども、向いている方向は同じだ。
 共棲ではなく、排除、生き残りの競争であるならば、その社会は人間性を失う。

 正規労働者は非正規労働者の就業条件を切り詰め、彼らから効率よく生産性を引き出して、いかに生産性が落ちた者を早期に選別し排除し、入れ替えるかの研究に熱心だ。公共事業においても公平な競争の掛け声の下、生産性の向上が求められる。そしてこれら民間企業労働者は自分たちに求められている「生産性」を公共セクタにも求め、盲目的に公務員給与引き下げに拍手する。まるでお互いを鞭打つかのようだ。

 「他人を守ってこそ自分も守れる、
  己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ」

 映画「七人の侍」で志村喬演ずる島田勘兵衛の台詞である。

 この労働者のヒエラルキーの中で、一番優遇されているかに見える大企業における正規労働者に対しても、今「ホワイトカラーエグゼンプション」という鞭が振り下ろされようとしている。そして、公務員や非正規労働者がこの鞭の音に小躍りするのだろうか?

追記:
寄り道ついでに、余計な事をもう一言書かせていただきたい。
こちらにある書評が載っている。
Joe's Labo : 【書評】なぜ景気が回復しても給料は上がらないのか
本来であれば、当該書を読んで論評すべきだろうが、いろいろと諸事雑多でこの書評からだけ2点だけ指摘したい。なので、この書物に対する意見というわけではない事を断っておく。

 ざっくり言って「規制が賃上げを阻み、格差を生み出し、過重労働を生み出している。規制緩和を進めるべきだ」という議論のようだが、強烈な違和感を感じる。

 企業は将来的に業績の悪化に伴って賃下げができなければ、今、安易に賃上げすることはできない。と主張するが、賃上げというのは同業他社との賃金競争の中で、人材確保の為に行われるのが実態であって、将来的な業績悪化など織り込むことは無いのではないか?と、いうか、リスクヘッジは当たり前だが、業績悪化を織り込んでこのような計画を立てるだろうか?
 同業他社の動きがもっとも大きな要因であって、下方硬直性が賃上げの阻止要因とは考えにくい。

 次に、景気の悪化に伴い人員を減らすことに対して規制があるために、景気が好転し、業務量が増えても、会社は業務量の増加分そのまま人を増やすことはできず、これが長時間労働、過重労働につながる。とする議論にも違和感がある。こういったサプライサイド経済学では「セイの法則」が喧伝される。供給はそれ自身需要を創造するとする仮説だ。
 確かにこの仮説自体怪しい代物だが、しかし彼らの理論に乗るならば、雇用はそれ自身労働を生むと考えることはできないのだろうか。日本は十分に雇用の流動化が実現している。これ以上流動化しなければ過重労働が起きるなどとするのは本末転倒である。過重労働はあくまでも労務管理の問題であって、制度をより企業に有利に緩和しても過重労働を求める企業は過重労働を行う。なぜならば、過重労働は企業が行うトレーニングという労働者に対する投資が減少しているために発生していると考えられるからである。

 つまり、前者は人材確保という市場原理に目を瞑り、後者は確保した人材に対する教育という企業の義務に目を瞑っていると思われる。

 こうやって過度な市場原理主義サプライサイド経済学は労働者を「悪魔の碾き臼」にかけていくのだが、実はこう言っている弁護士自身にも 「悪魔の碾き臼」は襲ってきているのである。
 http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW1308222400005.html




 中村孝道市議の件について、21日の報道資料が手に入った。
 リコール署名簿についても詳しく述べられているのでここに引いてみよう。
 文中 [ ] で括った部分は引用者である私の補足である。読みやすいようにセンテンス間に改行を補った。

署名簿窃盗事件について

一部報道によると元スタッフは「私が預けた」と証言していますが、そのような事実はございません。
また紛失に気づいた当時[注1]、元スタッフに幾度となく所在を確認しましたが、「知らない」との回答が返ってきました。

報道では「私の管理がずさんであった」とありますが、仮にその論理であれば「私の管理がずさんなので預かってくれ」と私が頼んだ事になる。[注2]
そのようなことは常識的には考えられません。

また仮に預かったとするならば、雇用関係が終わった時に返還するのが当然[注3]であり、それどころか報道機関に持ち込み「ずさんな管理なので預かった」と虚偽の証言をしていることは極めて悪質であると思い今回の刑事告訴に踏み切ったものであります。

 この文章を読んで、この対象が「ノートパソコン」であるとか、その他の事務用品などであれば、素直に頷く事ができるかもしれない。仕事でノートパソコンが支給され、その管理基準が緩やかなのを良い事に、家に持ち帰ったり、果ては雇用関係が終了した後も私物化したように借りっぱなしであればこの話は通じるだろう。

 しかし、今回の対象物は「リコール署名簿の写し」なのである。この理論は通じない。
 逆に、中村孝道市議が、「リコール署名簿の写し」を、上記のパソコンの様に自身の私物であると認識しているのであれば、その前提が問題となる。

 まず、[注1]の「紛失に気づいた当時」とはいつの事なんだろうか。平成24年3月28日に減税日本は「リコール署名簿流出について」という報告書を公表している。それに引き続く4月18日の市会議運の席上、余語幹事長(当時)が全ての署名簿は河村事務所に回収したと表明している。

 この調査時点で、紛失に気づいていたのだとすれば報告書に記載されなかった、または余語市議の報告から漏れていた理由は何か。

 この調査時点で、余語市議が議運の席上で明言したように、減税日本の中では署名簿の回収が行われていたのだから、中村孝道市議も回収の要請に応じたはずではないのか?

 その時は紛失に気がつくはずだ。
 何かがおかしい。

 1.減税日本は署名簿の回収を所有者に要請したが、中村孝道市議は要請を断った。
 (この場合、報告書、余語市議の発言と食い違いが発生する)
 2.減税日本の回収要請に中村孝道市議は自身で破棄した等の言い逃れをした。
 (この場合、中村孝道市議が嘘を言っていたことになる)

 3.減税日本は回収要請などしていない。
 (減税日本の報告書は回収については記載していない。回収を明言した余語市議は適当な発言で追及を逃れただけで、回収については実態を知らなかった可能性もある。そして、この余語市議の議運における発言について、中村孝道市議もそれが嘘になることを知りつつ、自身の署名簿が紛失状態であるか、または自身で保存していると思っていた。ということになる)

 やはり、この中村孝道市議の手元から、今回「リコール署名簿の写し」が出てきたということは、この減税日本の説明か、余語市議か、中村孝道市議か、誰かがどこかで嘘を言っている(または、全員が嘘を言っている)と仮定しないと、論理的整合性が取れない。

 [注2]の部分の「仮にその論理であれば」という記述は非常に曖昧な表現になっている。つまり「元スタッフが中村孝道市議の管理がずさんであるので預かった」という論理ということであろうか、そうであれば、常識的に考えられないわけではない。

 ここからこの中村孝道市議の認識がおかしいことが見て取れる。

 そもそも「リコール署名簿の写し」はリコール署名者の個人情報であって、住所、氏名、更に捺印または拇印が捺されている。法的には政治目的であるということで、個人情報保護法の適用除外になっているが、適用除外であっても個人情報には違いが無い。

 河村氏、およびその周辺には「リコール署名簿は自分たちが暑いさなかに集めた物であるので、自分たちの物だ」というような歪んだ考え方があるようだが、大きな間違いだ。
 あくまで署名簿の権利者というのは署名者にあるのであって、その収集者の所有物などではない。収集者は預かっているだけなのだ。

 出直し市議選以降、リコール署名簿の流用問題が騒がれ、河村氏は「自分たちが集めた署名簿を、なぜ自分たちで使っていかんのだ」と主張してきたが、やがて世間の批判に圧され、平成24年3月の報告以降は表面上、リコール署名簿の管理責任は請求代表者にあり、「ネットワーク河村市長 名簿管理委員会委員長」の平野一夫氏の下に管理され、市議、県議の手元にあった署名簿およびコピーは回収されて、勝手に使うことはない。としてきた。

 元スタッフとしてみれば、持ち出した時期は不明ながら、本来の権利者は署名者にある。更に言えば、この元スタッフも署名簿収集時には署名者一人ひとりに頭を下げて収集したのだから、その思いがこもった署名簿を事務所の片隅に埃まみれで放置しておく中村孝道市議の姿には耐えられなかったのかもしれない。

 つまり、署名簿本来の権利者である署名者の意思を忖度した場合、この写しを中村孝道市議の下に置いておくのが良いか自分で管理した方が良いのか。という事になる。

 そして、そうであれば[注3]のように、中村孝道市議の下を離れる時にも、返却すればまたぞんざいな扱いがされる中村市議の下には返却しないということは考えられる。

 この問題に関しては、中村孝道市議や減税日本は真っ当な対応をしていない。

 その事実を私は知っているが敢えて指摘しない。このポイントはひょっとすると、裁判になった場合、非常に重い事実となるかもしれない。



 本当は、リコール発生の経緯を書くつもりで、途中からニーメラー牧師の詩について考えていて、排除の論理の問題に逸れて、そのまま労働問題に着地してしまった。

 リコールについてもざくっとメモをしておくと。
 河村氏の2009年マニフェスト → 中期戦略ビジョン+減税10% → 議会反発 →  中期戦略ビジョン+減税10%+議員定数10%削減に言及 → 議員報酬半減+3大公約 →  リコール

 というような流れになっていた。
 最初の「 2009年マニフェスト」には議員報酬10%削減、定数10%削減などが訴えられていただけで、議員報酬半減はあくまで減税実現のための議会との駆け引きで出た数字であって、根拠があっての物ではない。
 なので、実施すれば破綻するのは当然の事だ。


 ちなみに、この動画は選挙前の世直し和尚こと、中村孝道候補。南区の議員定数を5議席から3議席に減らすと公言している。

 そしてこれが現在のHP
 http://www.nakamura-koudo.com/
 全ページひっくり返しても「議員定数」については何も触れられていない。

 偽善者は素晴らしい約束をする、
   約束を守る気がないからである。

 それには費用も掛からず、
   想像力以外の何の苦労も要らない。

         エドマンド・バーク