今日は3月31日に名古屋市教育館で開催された「河村市長 南京発言を検証する緊急市民集会」の模様をご報告させていただきます。
その前に、なんでもマスコミでボツになったというネタが2つ投稿されてきましたのでご紹介します。(なんだか、名古屋市政ローカルな「噂の真相」じみて来ましたが)
リコール署名簿についての小ネタ
リコール署名簿については、どうも最初から河村事務所では「選挙利用」を想定していたようである。
なんでも、河村市長がリコール署名簿に「電話番号記入欄」が無い事を問題視して、この記入欄を設けるように指示したのだが、さすがにそれは運動体の中から異論が起こって却下されたらしい。
何が何やら判っていない人たち
この3月の末に減税日本ナゴヤの市議が「尖閣諸島」を視察しようと沖縄に向かったらしい。(参照)
メンバーは荒川市議、中村孝道市議と林直樹市議である。
ところが、幸いというか、やっぱりというべきか。上陸はおろか「視察」もできるような船が見つからず、ただ沖縄に行って帰ってきただけに終わってしまったらしい。
まったく単なる沖縄観光になってしまったわけだが。
この旅費について政務調査費で支払うとか、政務調査費から按分で支払うとしているようだ。
果たして公費を投入するような価値があるのだろうか?(海外視察とどちらが意味がありますかね?中日新聞さん)
実はこれだけでも充分、トホホな話なのだが、これだけで終わらないのが我ら民主主義発祥の地、名古屋の誇りである減税日本ナゴヤの市議の皆さんの凄い所である。
なんと!この行程に3月29日が含まれていたのである。
3月29日には「公社対策特別委員会」が予定されていた。(参照)
減税日本ナゴヤの中村孝道市議は、この「公社対策特別委員会」の委員である。 (参照)
直前に藤田委員長に欠席の知らせを電話でしたらしい。
しかし、委員会を欠席して、結果として公費で(政務調査費を使って?)沖縄に観光旅行に行って来るって?
なぜ、議員の公費視察には煩い中日新聞は、このネタを紙面に書かないのだろうか?
(その他、減税日本にまつわるボツネタ大募集!できれば女性議員の方がPVが稼げるようなので大歓迎! ページの脇に一行ネタのエリアでも作ろうかな?*1)
緊急市民集会報告
3月31日に行われた「河村市長 南京発言を検証する緊急市民集会」に行ってきました。当日の模様は "河村市長南京発言を検証する会" に動画も含めて資料等がございます。
式次第に準じて個人的感想を。
1)DVD上映 大阪毎日放送作成の「ファイルは証言する―南京大虐殺から半世紀」はちょっと象徴的な気がしましたね。というのも、この番組は当時毎日放送のアナウンサーをされていた平松邦男さんがキャスターを勤めていたのですね。
ご存知の様に平松さんはその後大阪市長として、河村市長の盟友(?)である橋下現大阪市長と政治的に争う事になるわけで、なんとなく因縁じみたものを感じました。
2)旧日本軍兵士の三上さんの証言は、現在93歳というお年だそうで、その搾り出すような証言は非常に重いものでした。(本当に、まぼろし派が言うように「南京大虐殺は目撃者が居ない」などとは、完全に目が節穴という以外にない)
同会の資料2 (参照) の最終ページに「虐殺の光景 わが遺言」と三上さんを取上げた朝日新聞の記事があります。
3)小野賢二さんの証言も興味深いものでした。小野さんを紹介された日本テレビ製作の番組も紹介され、丹念に一次資料に当たって検証をされている姿勢に打たれました。
こういった現物、ご本人に当たるという、足で稼がれた研究に対して、東中野修道氏*2のような印象論による検証は、一体いかほどの価値があるというのか。
同会の資料1 (参照) の通ページ7から19ページが小野氏の資料で、特に9、10ページ目に掲載されている新聞記事の引用に、資料を探る小野氏の丹念な作業の模様が語られている。
あと二点。私はこの問題に当たると、「被害者には同情しやすいが、加害者をどう理解するのか」という問題を感じてしまう。この会場でも「被害者である中国の人々と連帯する」というような発言に出会うと戸惑いを覚える。そして失礼だが「それは比較的簡単な事なんだけどね」と思えてしまう。
誤解を怖れずに言うが、山口県光市の母子殺人事件においても、北朝鮮拉致問題においても。「被害者に同情を寄せる」「被害者と連帯する」事は心情的には比較的簡単なのではないかと思っている。真っ当な人間であればこの心情を駆動させられない方がおかしい。
しかし「加害者をどう理解するのか」*3という設問の方が、問題の本質に近づく第一歩ではないかと思えて仕方がない。
もう一点は、南守夫愛知教育大学教授のコメントにあった「学問研究の成果が正しく社会に受入れられていない」という問題意識である。
上でも触れたように東中野修道氏の証言は、既に歴史修正主義者の間でも信憑性に疑問があるのであって、まともな論者は根拠としない。
河村市長は東中野氏の主張を根拠としているのであって、そんな不見識が通用するわけがない。そういった学問研究の成果が、正しく社会に受入れられ、コモンセンスとなれば、無駄な問題も起こらない。
ここにはマスコミの責任も重いと言わざるを得ない。*4
臆病で口先ばかり威勢のよい小物
さて、というような会合の内容はいったんおいて。
同会の資料2 (参照) の 後ろから7ページ目をご覧戴きたいと思う。
ここに、「公開抗議書」というものがあり、いわゆる「南京大虐殺記念館」の館長でもある朱成山氏から、河村市長に宛てた2月21日付け(つまり、発言の翌日)の文書がある。
河村市長はこの文書に対して回答を寄せてはいないそうである。
また、同会の資料1 (参照) の最後の2ページは、この集会に河村市長本人の参加を呼びかけた文章である。
発行は3月21日であって、確かに10日前ではスケジュール調整も難しいだろうとは思えるのだけれども。
当日、参加はなかった。*5
また、コメントが寄せられる事もなかった。
同会の資料2 (参照) の 後ろから11ページ目(49という数字が打たれている)には「『南京大虐殺はなかった』河村市長発言を支援する国民集会(2012-3-6)への河村市長メッセージ」という文章が掲載されている。
すでに当ブログでも取上げた("参照")こちら 南京の真実国民運動 に向けたコメントなのだろう。
このメッセージの中で、河村市長は「意見交換が一日も早く日本・中国間で行うことができる日がくるよう」とか、「率直な議論ができる日が一日でも早くくるように」とか、「率直な意見交換、話し合いをしたいと申し上げているのが私の真意です」と言っている。
一日でも早く、率直な意見を、朱成山館長にお送りするべきではないのか?
意見交換、話し合いをするためにも、河村市長自身が主張の根拠とされている東中野氏の主張が、どのような評価をされているか議論されればいい。
ところが、そのような場には参加もせず、コメントも送らない。
議論などする気も無ければ、意見交換などもできやしないのではないのかな?*6
政治とは
これは、非常におもしろい。
ナゴヤ庶民連、減税日本、そして河村市長。全てに共通している。
彼等はこのように、利害や価値観、イデオロギーを共通にしている人々とは語り合うことができる。しかし、利害や価値観、イデオロギーを異として、対立する人々とは語り合うことができない。
昨年の7月30日に北区生涯学習センターにおいて、田山市議の「市政報告会」が開催された。私はそこに参加したが ( 7.30 A.A.K. 行動報告 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 ) 河村市長に(ちょっと)反論をしただけで、この人物は硬直して、非常にストレスを感じているのが判った。*7気の小さな男で、反論を出されると、それに対して再反証するような勇気もないことが見てとれた。
(実際に、河村氏の行う再反証は、その大部分が論点を外すだけのものである)
政治とは意見の相違や利害の対立を調整し,紛争を解決する手段である。
つまり政治とは、利害や価値観、イデオロギーを乗り越えて語り合う技術である筈だ。
しかし、小心者の河村市長には、こういった対立する人々に向き合う胆力がない。
対立する人々に対して、説得力をもって語るだけの知力もない。
哀れな二流政治屋、政治漫談を語る芸人でしかないのである。
河村たかし氏を「ホンモノの政治家」と思って、市長選挙だの、国政選挙だのでこの御仁に投票するという行動は、楽しい漫談で有名な、ケーシー高峰師匠を、ホンモノの医者と思って診察をお願いする事に等しい。
*1:調子に乗って作ってみました。
*2:河村市長も主張の根拠とされている。しかし現在において、同氏の研究は近代史の研究としては根拠とするに値しない。
*3:勿論、これは「加害者と連帯する」であるとか「加害者を肯定的に捉える」などといった事ではない。
*4:ここで、特に名古屋においては、減税を支えるという「正しい経済理論」とは何か?とかリコール署名簿の流用はリコール制度そのものの有効性を毀損させるのではないのか?という、経済学やら行政学から当然沸き起こる疑問を、マスコミが社会に伝えていないという問題も考えてしまう。
*5:仄聞するに、同日河村市長は、篠島に観光視察に訪れたとある。
*6:4月2日には「アジア太平洋・平和文化フォーラム」から池住氏が質問書等を携えて市長を訪れるそうである。
*7:本当に、私はちょこっと反論しただけであるのに、SPは飛んでくるは、田山市議に至っては携帯電話で警察に通報するのだからおもしろい。