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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

民主主義を破壊する者

危険な首長を見分ける方法

 小牧市の図書館問題にコミットして、様々な方々と様々な会話をする中で、気付かされることが幾つもあった。

 まず「日本で初」だとか「どこでもやっていない」と改革なり、新制度を進めようとする者を信用してはいけないし、そういった者が首長であった場合、よほど警戒しなければならない。

 相当の説明責任を果たして、結果の保証が無い限り実行を許すべきではない。

 その施策が「日本で初」という事は、「成功事例が無い」という事であり、無責任な実験を行おうというに等しい。そこに保証も議論も無いのであれば、そんな無茶なことは無い。

 医者が患者にそんな無茶をやったら問題になるだろう。
 なぜ、首長が自分の所管する自治体にこういった無茶を行うと称賛されるのだろうか?


 さらに「どこでもやっていない」という事は、他の自治体で施策を具体的に煮詰めていく中で、何らかの問題が見つかったり、効果が見込まれないと判ったからやっていないのではないだろうか?

 それなのに、なぜ「どこでもやっていない」ことは「自分が初めて考え付いたからだ」などと思えるのか不思議だ。自分に思いつくことぐらいは、世間で誰しもが思いつくことだとは想像しないのだろうか?

 自分の思い付き程度の事は、他の人が既に思いついているとは思わないほど、視野狭窄で想像力に欠如していると断じる以外にない。

 視野が狭く、想像力の欠如した者の思い付きなど、有効なわけがない。

 あなたの自治体で「日本で初」だとか「どこでもやっていない」からと、喜んで何かを首長がしようとしたならば、そこから離れた方が良い。

海老名市で発生した、予想されていた事例

 この小牧市において導入されようとしている「ツタヤ図書館」

 この同じモデルが神奈川県、海老名市で供用開始された。

 海老名市立図書館

 供用開始早々(というか、開館直前に)検索システムに問題が発見され、批判をされるより以前に「大喜利会場」となって改修される事となった。

 【sorry-city-library】昨夜公開された海老名市立図書館のサイトがXSS等の不備により大喜利会場と化す。現在はSORRY中→復旧?! - Togetter


 当たり前の企業であれば、放置しないような脆弱性を放置する独特の企業文化の発露ともいえる。

 そして、「やはり」様々な問題が指摘され始めた。(くどいようですが10月1日オープンしたばかりの図書館ですよ)

<分類問題>
 海老名市立中央図書館の蔵書分類に相次ぐ疑問 「伊勢物語」は旅行書? - ライブドアニュース

 『伊勢物語』『カラマーゾフの兄弟』は「旅行書」? 1日にオープンした海老名市立中央図書館で選書に続き蔵書分類も疑問相次ぐ





<館内排架等>
 海老名市立図書館に行ってみた - Togetter

 TSUTAYA管理の海老名市立中央図書館を観察してきた: 松浦晋也のL/D

 私は図書館には図書館の機能を求める。本が欲しければ本屋に行くし、コーヒーが飲みたければスターバックスに行く。本を買うため、コーヒーを飲むために図書館には行かない。
 図書館は長い歴史の中で培われ、知の集積場所としての機能を洗練させてきた。TSUTAYAのこの事業の担当者はそのことを知らないのか、知ろうとしないのか、図書館ではないものを図書館であるとして、図書館の運営に悩む地方自治体に売り込もうとしている。

TSUTAYA管理の海老名市立中央図書館を観察してきた: 松浦晋也のL/D


<選書問題 その2>
 「ツタヤ」管理の図書館に「女性を不愉快にさせる本」 蔵書にタイ風俗店ガイド 神奈川・海老名図書館 - 産経ニュース

 議会リポート8速報


 いわゆる「ツタヤ図書館」は他の図書館と異なる部分がある。

 1.書籍の分類に日本十進分類法(NDC)を使わずに、独自の「武雄市22進分類法」「ツタヤ22進分類」を採用している。(しかし、この21分類は、「ツタヤの企業としてのノウハウ」という事で内容が公表されていない)


 2.図書館の蔵書は開架されるべきという発想で、武雄市図書館においては閉架を廃止し、全てを開架に置いた(海老名市では一部閉架もされているらしい)


 3.図書館は年中無休


 これらの施策は一見、一々もっともらしい。確かにNDC分類にも問題があって、各図書館ではその弱点を、それぞれの図書館で補っているということだ。また、様々な分類法の提案も為されている。そうした中、武雄市でも独自の分類を採用してみることは、事例研究としては有効かもしれない。

 また、図書を全面開架にして、誰でもいつでも自由にアクセスできるべきという考え方も判らなくはない。「20万冊の知に出会える場所」という言葉には宣伝文句(コピーライト)としての力はある。(20万冊とは、当時の武雄市図書館の全蔵書数)

 また、各公共図書館の開館時間延長が望まれている中、休館日を無くし、年中無休を実現化して見せることにも意味があっただろう。

 しかし、これらのアプローチは同時に批判を受けた。

 NDCを排して、独自の分類にしてみるのは良いが、本当に利用者の利便性が上がるのか。利用者は戸惑うのではないか?また、他の図書館との間での共用に支障は起きないか。
 全面開架にする必要があるのか、蔵書によっては閉架にしておかないと劣化の恐れはないのか。また、資料を検索する際にも、開架にするよりも閉架にしておいた方が早くアクセスできるのではないのか。

 先の開架問題にも関連するが、図書館を年中無休で運営する事には問題がある。
 公共図書館は業務として資料(書籍)を分類、排架しておく必要がある。検索される際に、資料にスムースに行き着くように整理されていなければならない。その為には閉館して、部外者の介入を排した状態で、資料整理に当たる時間を定期的に作る必要がある。


 こうした批判に、ツタヤ(CCC)も、武雄市長の樋渡氏も答えようとはしなかった。

 https://archive.is/nnwoP


 一般的な揶揄表現として、一般市民(作家)が「アホンダラ」という事は、行儀が悪いおこないかもしれないが、表現として理解できないわけではない。しかし、その施策者(市長本人)が、そうした一般市民に「アホンダラはあなたのほう」と返す行いは行き過ぎだろう。

 「武雄市22進分類/ツタヤ22進分類」については、その情報も公開されないまま、議論にもならず、結果として今回の海老名市における異様な分類、排架の問題に繋がっている。そして、上記で指摘された「青少年に閲覧させるにはいささか不向きな書籍」については、図書館の自由な資料収集という観点からは、あるいは許容されるべきなのかもしれないが、であるなら閉架に置いて、未成年には閲覧させないというような取扱いも可能だったろう。しかし武雄市図書館のように全面開架の方針では、そういった対応も難しいだろう。

 また、現在指摘されている異様な排架(部分的には明白な誤り)について、それを修正するにしても、年中無休、供用しながらの軌道修正は大変に難しそうだ。


 また、高層書架について、「高い棚にある本をご希望の方は、スタッフまでお声がけ下さい」という運営をするという事は、設計において、人員負担の軽減を考慮に入れてないということだ。




「反省しない」

 武雄市の事例で、様々に指摘された問題点について、それを考慮せず、そのまま展開されたのが2号館の海老名と言える。

 消費者が娯楽として書物を読むことと、書物(雑誌等を含む)として公開された情報について、国民/市民が知る権利の下で、その内容を閲覧することは、行為としては全く同じだ。

 個人が書物を読んでいるに過ぎない。

 しかし、その行為がもつ文化的意味、社会的意味は大きく異なる。

 そして、消費者に本を提供する書店と、国民/市民の知る権利を保障する図書館も意味は大きく異なる。

 これはどちらが上でどちらが下という事ではない。

 国民/市民に情報をもたらす、出版や作家という存在を、社会的に存立させるためには、書店という流通システムは当然必要であり、そこに対価が発生する事も当然の事だ。
 しかし、その書かれている内容に対しては、国民/市民の共有知であり、場合によっては誰しもが知ることができなければならない。(書かれていることが、自身の利害にかかわる事実誤認である場合には、しかるべき対応をとる必要もある)

 民主主義とは(曲がりなりにも)国民/市民の判断が尊重される社会制度だ。国民/市民が幅広く、様々な知識に触れていなければ民主主義は成り立たない。偏った知識の下で下される決定は偏ったものになるのは当然の帰結だ。

 この民主主義社会に要請される、幅広い知識を保証し、ひいては民主主義社会を根底で支えているものが図書館、公立図書館だ。

 公立図書館が存立しえない社会は、民主主義も存立しえない。

 公立図書館の存在を脅かす者は、民主主義社会をも脅かす者なのだ。

 武雄市において、議論が成立しなかった事は残念だ。一方の当事者が「反省しない」と言われるのであれば、仕方がない。

 しかし、今からでも遅くない。海老名市においては、この議論を深めるべきだし、小牧市においても、その施策を進めようとする者は、議論の土俵に上らなくてはならない。


 議論なく、強行に図書館の価値を毀損するものこそ「<反>知性主義」と言えるのではないだろうか。



余分な脇書き:
 「反知性主義」という言葉が、相手を「知性の低い者」と揶揄し、あたかも「自分には知性がある」と高いところから批判をしていると捉える人たちがいる。

 早い話が、「反知性主義」という表現は「お前バカ」という言葉と同様だと言う訳だ。

 この解釈は間違っている。

 そもそも「知性的」とは、「自身の知性を疑う事」であって、「自分には知性があるが、お前はバカだ」というような理論を構築する者には「知性」は感じられない。

 それにそれなら「反知性」ではなく「非知性」だろう。

 「反知性」とは、こういった「内省性」に対する排除を含む姿勢を言う。

 判りやすく言うと「思考停止の態度」「考えようとしない態度」を指摘し、批判している。

 自身や、誰か権威をもった者の言葉や主張を鵜呑みにして(または、気に入らない者への意地で「逆張り」して)自分自身でも良く判っていない主張をする態度が「反知性主義」に他ならない。

 CCCの増田社長の主張である「図書館なんてものは無い、あるのは本のレンタル屋だ」という主張や、樋渡氏の「反省しない」という態度。もうちょっと具体的にいうと、名古屋の河村市長の「南京虐殺幻論」なども、こうした「内省性」を経ていない、非常に脆弱な「反知性」的態度と言える。

 「反知性」的主張をする者は、議論を拒む。考察が浅いので、議論に耐えられないのだ。

 リチャード・クーの「公共投資政策」と自身の「減税政策」の矛盾も理解できないのだ。

 なので、議論なく、強行に施策を進めようとする者、民主主義を多数決原理主義と勘違いして、議論を軽視し、民主主義の価値を毀損するものこそ「<反>知性主義」と言える。

(平成27年10月4日 公開)


追記:
 海老名市立中央“ツタヤ”図書館に行ってみた/#公設ツタヤ問題 | なか2656の法務ブログ

CCCによる海老名市ツタヤ図書館は、指定管理者制度に関する地方自治法244条の2第3項に照らして違法です。

海老名市はただちに、CCCに対して、報告を求め、実地の調査を行い、必要な指示を出し(同10項)、そのうえで、CCCに対して業務の全部または一部の停止を命ずるか、あるいは、指定管理者の指定を取消すべきです(同条第11項)。

海老名市立中央“ツタヤ”図書館に行ってみた/#公設ツタヤ問題 | なか2656の法務ブログ

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