市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

桜散る

民意の捻じ曲げ

 前回のエントリーの通り、名古屋城木造化に対する市民説明会において、河村たかし名古屋市長の特別秘書が、木造化推進に肯定的な市民参加を、減税日本ゴヤの市議である中川市議に依頼し、なかんずくそうした市長の意向に沿う市民意見を司会が当たるように工作したらしい事実が市議会で明らかになり。
 田中特別秘書が公務員としての公平性にかける行いをし、河村市長もそれを知っていた疑いが深まっている。

 河村市長が度々口にする「パブリック・サーバント」という言葉は、主権者たる市民を主人公として、その市民の意向=民意を実現する者という意味であり、そうした市民の意向=民意を誘導し、捻じ曲げる行為はあってはならない。

 名古屋城の木造化に関して言えば、いわゆる「2万人アンケート」において「コンクリートが概ね40年の寿命」などという虚偽を設問に加え、すでに民意を捻じ曲げている。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/ichi-nagoyajin/20211205/20211205154206.jpg

 そして、前代未聞の知事リコール署名における署名簿の偽造。

 民意の偽造、捏造を繰り返し行ってきているのが河村たかし名古屋市長であり、名古屋市民はなぜ、このようなインチキな人物を市長として選ぶのか、そこにも中日新聞という地元メディアの誘導による市民の意向=民意の不当な捻じ曲げがある。

北角市議離脱報道の問題

www.chunichi.co.jp

 本日も元特別秘書まで努めた北角市議が減税日本から離脱するという衝撃的な(というか、理解できない)ニュースがあったわけだが、この中日新聞の報道を読んで、その理由が理解できるものは居ないと思う。

 タイトルなど「減税日本の幹事長・北角嘉幸市議が会派離団、離党届も提出 『今後は外から河村市政を支援』」などと、河村市政は正しく、北角市議は今後も肯定していくと記述されていて、事の原因であるはずの河村市長への批判など微塵もない。

 直接の原因となったであろう、田中特別秘書を使っての「サクラ」問題や、差別発言などなど、記事は一切触れられていない。

 中日新聞では河村に批判的な記事を書くと、頭の上からコショウの瓶でも落ちてくるんだろう。


 本論の前に一つ余計なことを書いておくと。

 減税の市議、県議は河村市長の年間報酬800万円の公約に合わせ、年間議員報酬を800万円にしている。市議会の減税会派の場合、本来の年間議員報酬1455万円から800万円を差し引いた余剰金は、大規模災害の被災地などに寄付するなどしている。


 しかし、北角氏によると、会派を離れた市議や元市議が寄付をせずに余剰金を持っていくケースもあるという。

 いやいやいやいや、「余剰金を持っていくケース<も>ある」って、全部じゃない。

 結局年間報酬800万円、余剰分は積み立てて返納って、返納した例を知らない。あるなら教えて。

 中日新聞も、北角市議の発言と、括弧に括れば何書いてもいいってもんじゃないだろう。
その発言が明らかに事実と違っているのであれば、それを指摘しなければ読者をミスリードする。

 中日新聞は河村市長の発言を真に受けて、元旦一面で「あおなみ線中部国際空港への延伸」を書き立てたわけだが、そんなこと続けていたら誰も信用しなくなる。

残ったメンバーの整理

 さて、減税日本ゴヤはこれで10人となった。
 残ったメンバーを整理しておきたい。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

このリスト中、氏名が黄色のものはいわゆる「河村派」とでも言うのか、河村が「これはカレーだ」と言われれば「●コ」でも食べかねない、ミソもクソも判別がつかない連中であると思っていた。(その筆頭の北角市議デモ離脱するわけで、なかなか深刻だ)

残ったのが
・大田とみひこ
・大谷ともひろ
・豊田薫

緑色は市議執行部、及び地元の支援者の影響が強い市議と目している。
佐藤夕子
・大村光子
・鈴木孝之

最後にスタンスがはっきりしない者、または別次元でスタンスのはっきりしている者
・中川敦史
・沢田仁実
・永井ゆり

以上、10人である・・・・あれ?
ひとり足りないなぁ?

あ、田山が居た。

 田山は或る時には市議執行部派、或る時には河村の「ン●」を美味しくいただく派で、両派からコウモリのように扱われているそうだ。

 今回の北角市議の離脱の底流には河村たかしの日本保守党共同代表就任も影響を及ぼしているのではないかと観測する。なにせ北角市議の選挙区は千種区で、ここの河村支援者というのは古くからの支援者、反自民、左派の人々が多い。

 実は、今年の河村たかし元旦街宣に佐藤夕子市議も合流していなかった。

 佐藤市議の選挙区も東区、ガチガチの左派、市民運動派が支援者に居て、どうしたって日本保守党とは親和性がない。ひょっとすると、北角の次に離脱するのは、佐藤夕子市議かもしれない。

減税日本ゴヤお家芸

 減税日本ゴヤの空中分解はお家芸のようなもので、これほど組織運営能力に欠ける組織も珍しい、河村たかしは総理大臣にったら、日本も空中分解させるのかね。

 この減税日本ゴヤお家芸、議員数の変遷を整理しておこう。


2010年12月 1人(市議会リコール、河村もトリプル選挙のために市長辞職)民主党市議団所属の則竹市議が減税日本ゴヤに移籍。

2011年3月 28人(出直し市議選で28人当選)
2011年6月 27人(則竹市議が積立を公約していた費用弁済を流用、辞職)
2011年6月 28人(済藤実咲繰り上げ)
2012年3月 27人(中村孝太郎、議長職を降りず会派除名)
2012年4月 23人(新生会結成、舟橋猛、堀田太規、玉置真悟、加藤修離脱)
2012年4月 22人(山嵜正裕離脱ー後ほど新生会合流)
2012年4月 21人(河合優除籍、いわゆる「ポルシェ河合」騒動※1)
2013年2月 20人(済藤実咲離団、新生会合流)
2013年2月 19人(宇佐美汝久愛離団)
2013年3月 18人(片桐栄子離団)
2013年3月 17人(荒川和夫離団)
2014年1月 15人(中村孝道、黒川慶一政務調査費の不正発覚、除名処分)
2014年11月 14人(冨田英寿離団)

2015年 4月 12人(市議改選、18名擁立、12人当選)
2017年10月 10人(佐藤夕子、余語冴耶香衆議院立候補のため失職)
2018年7月  9人(鎌倉安男離党)

2019年4月 14人(市議改選、14人当選)
2019年9月 13人(前田恵美子「伊勢湾台風で街が綺麗になった」発言離団)

2021年6月 12人(増田成美離党)
2021年8月 11人(手塚将之離党)
2021年8月 12人(前田恵美子復団)

2023年2月 9人(鹿嶌敏昭、前田恵美子、河本有子離党)

2023年3月 14人(市議改選、14人当選)
2023年10月 13人(村瀬貴代美離党)
2023年12月 11人(金城裕、野田留美離団)
2024年3月 10人(北角よしゆき離団)

 トラブルや不正があって議席が減っても改選されれば14議席ほどの確保ができる。
これが、河村たかし中日新聞が作り上げてきた、河村たかし生活共同体で、「人生に行き詰まって」も、河村に忠誠を誓えば能力や志など不問で、生活の保障を得られる議席数で、この議席数に対する出費に見合う便益を、名古屋市民が得ているとは思えない。


※1 いわゆる「ポルシェ河合騒動」についても、河合優元市議にも同情すべき点が多々あると私は考えています。

※2タイトルの「桜散る」は、前回のエントリー「桜咲く」の対比で、SNSでも提案を受けたので、そのままパクった。


名古屋市会 議会運営委員会 令和5年12月05日議事録より

名古屋市会 議会運営委員会 令和5年12月05日議事録より

https://ssp.kaigiroku.net/tenant/nagoya/SpMinuteView.html?tenant_id=207&council_id=592&schedule_id=15

村瀬市議の発言要旨。

・新人議員であるにも関わらず、会派の団長になったのは北角幹事長の要請による。
・団長の職務、責務など、内部から具体的な指導や説明は全くなかった。
・北角幹事長は優越的な関係性を背景に日常的に逆上や暴言、独裁的な運営、ハラスメントを押し付けられた。
・他の減税日本議員からもハラスメントを受けた。
・精神的に限界を超え、適応障害を発症した。

・私(村瀬)は会社経営に携わっていたので会計は明確にしなければならないと考えていた。
・会計チェックを行うと、議員報酬800万円以上の「過剰金」について、金銭管理や通帳管理が為されていなかった。
・政党正当が行う会計処理とは思えないひどい状況だった。
・河村代表から団員に対して、早く毎年寄付をしなさいという話があった。※1
・団会議の席上、それに対して幾人かは「辞めてから寄付をする」と反論した。

・河村代表に、国会議員時代の議員年金はどうされているのですかと問いただしたところ、プールしてある、辞めてから名古屋城に寄附をするという返答がありました。
・全員があきれ返った。
・代表自らが公約を遂行することはできないと確信いたしました。

・私は会計士に相談し、改善策を検討していたところ、北角幹事長から仕組みは考えてあるとして議論にならず、暴言をはかれ、会計士との検討は断念することとなった。

・団長として責任を押し付けられると思い、団長辞任を北角幹事長に申し出ると「評価が下がる」などのハラスメントとも言える脅しをかけられた。

・800万円条例や任期条例など、減税日本が市議会に提出した条例案は、河村代表の突然の指示によるもので、団長である私や団員に対して全く説明さ相談がなかった。※2
・北角幹事長が河村代表の意を受けて独断で進められた。
・団長である私は説明責任だけを押し付けられた。

・このような状況が毎日のように続き、私への言論封殺のためのハラスメントが悪質化した。
・私は体調を崩し、精神的にも限界を感じた。
・代表に執行部をつくって、会派運営の権限を会派に託してほしいと懇願したが、聞き入れられることはなかった。

・突然表明された日本保守党との特別友党関係の締結、河村たかし氏の共同代表就任においても、減税日本の議員には全く相談もなく、独断で進められた。
名古屋城天守閣木造復元に関わるバリアフリー対策をはじめ、政治集団の根幹に関わる政策の議論がされたことも全くなかった。

・そんな減税日本ゴヤ市議団のハラスメントの常態化、ガバナンスの欠如、そして、河村たかし代表の独断による政治の蔓延は、今後、名古屋市民の利益を大きく阻害することになると感じ、私は離団をすることを決意した。

・私は10月26日に離団届を提出した、減税日本ゴヤ市議団は受理したにもかかわらず、現在も私にはまともな控室は与えられていない。

・議会事務局の配慮で委員会室を一時的に利用しているが、コピーも電話もなく資料を都度持ち歩いている。

・11月8日に豊田団長からは、減税日本ゴヤ控室内のパーティションで囲った小部屋を使用するように指示があった。元々会派内のハラスメントにより適応障害になり、主治医からも豊田団長の提案は、問題であるとの指摘を受けたこともあり承諾はしなかった。しかし豊田団長からは、このままでは元の机の場所のままになると、脅しとも思える執拗な説得を受けました。

・その後、減税日本ゴヤから何も連絡がないため、11月20日に北野委員長へ控室における問題の要望書を提出した。

・11月24日に、豊田団長から減税日本ゴヤ分室の4分の1のスペースを用意するとのお話があった。分室で減税日本ゴヤの議員と部屋を共有するという案は、精神的にも物理的にも不可能であるので承諾をしなかった。。
・私が減税内部でハラスメントを受け、適応障害になったことを知りながら、部屋を共有するという案を提示するという当事者意識のなさは許し難く感じた。

・私は11月27日に豊田団長に対し、控室問題の提案書を提出いたしました。

・11月30日に豊田団長から、同じく分室のパーティションで仕切った4分の1を用意し、分室にできるだけ入らないようにすると回答があった。

減税日本ゴヤの組織としてのガバナンスのなさ、人の心を踏みにじる弱者切捨てのハラスメント体質には、私はもう関わりたくない。



※1 ・・・ 減税日本の市会議員は、報酬800万円を超える分に関しては、名古屋市にお返しすると公言している。しかし市会議員が自らの選挙区(名古屋市)に寄付を行う行為は、公職選挙法の禁止する寄附行為に当たり違法となる。
 ここで河村が「毎年寄付をしなさい」と支持していたとすれば、違法行為を支持していたこととなる。
 そもそも選挙の際に、自らの報酬を寄付すると約束することは、事後の寄付を公言する行為で、それ自体が公職選挙法に抵触する行為であって、地元メディアをはじめその違法性を追求しない姿勢は問題である。

※2 ・・・ 河村たかしという人物が「民主主義」を全く理解していない証拠でもある。
 自ら率いる党の会派運営においてすら、団員や団長との議論がない。そして、突然(思いついただけの)条例案提出を行わせる。当然、減税日本は単独で条例を成立させる議席数はなく、会派内においてすら議論されていない条例案について、他会派の同意を得られるわけもなく、成立のための根回しもできない。つまり、河村たかしにとって、こうした条例案(議員報酬800万円条例や任期条例)は単にマスコミや有権者にアピールするためのパフォーマンスでしか無い。そうした意味では、河村たかし有権者を騙そうとしている行為である。

 これらを伝える地元マスコミにも問題がある。河村が条例案を提出するについて、減税日本会派内や、他会派など周辺に取材をかければ、河村が本気で条例案を成立させて市政を改革しようとしているのか、単なるパフォーマンス、空手形で有権者を騙そうとしているのか、簡単に分かりそうなもので、そこまで追求してこそ、ジャーナリズムと言えるのではないか。単に市長である河村の口からの出任せを記事にしているだけでは、広報とも言えない。



名古屋市会 議会運営委員会 令和3年06月22日議事録より

https://ssp.kaigiroku.net/tenant/nagoya/SpMinuteView.html?tenant_id=207&council_id=592&schedule_id=15

増田市議の発言要旨。

・昨年度、減税日本ゴヤは、幹事長が多数交代するなど、団の異常事態ともいえる状態が続いた。
・混乱の原因をつくった佐藤団長の辞任を含めた党・団の組織体制の改善を代表である河村市長に申し入れたが、聞き入れられなかった。

・特に、佐藤議員が行った自民党控室における無断録音について、会派内では、非を認めおわびしたほうがいいとの意見が多数あるにもかかわらず、佐藤議員本人は、今日まで自身の正当性ばかりを主張している。

・昨年11月13日に議会運営委員会に提出された無断録音についての見解を取りまとめるために開催された減税日本ゴヤの団会議では、佐藤を除く全員が、今後無断録音をしないということに賛成の挙手をした。しかし、実際に提出された文面には、唐突に必要性・相当性という表現を使って、無断録音を認める文言が入り、団員の思いを一切酌み取っていない文章となっておりました。

・どうしてこうなったのか、田山議員に尋ねると、ゆうこさん(佐藤議員)がぎゃあぎゃあ騒ぐから仕方がない、これでいいんだと理不尽な返答が返ってきました。これが事実です。


・無断録音の件だけでなく、会派人事や昨年9月の「委員間討議についての申し入れ」等、団会議で諮るべき案件でも、一部の団員だけで決定をし、事後報告とするのが常でした。このような運営を改善するよう何度要求しても、市長と相談していることを理由に、団員の声を軽視する姿勢を続けてきた。
常任委員会での発言についても、佐藤議員は、委員会は自分の意見を言う場ではないと主張し、「委員間討議についての申し入れ」が議論されていたときには、佐藤議員自身が作成した偏った考えのQAを団員に配付し、これ以外のことは絶対に発言しないよう、それに逆らったら離党・離団処分、または次回公認しないと、脅しとも取れる発言を繰り返し、団員の言動を制限しました。


・佐藤議員が、減税日本副代表という優越的な地位を背景に、団員の言動を制限したことは、パワーハラスメント以外の何物でもありません。自分の身を守るためには他の団員を犠牲にすることをいとわないその姿勢が、昨年度の大混乱を導いたと思っている。

・恣意的な言動を繰り返し、名古屋市会全体を混乱させているにもかかわらず、何の反省もない佐藤議員と行動を共にするのに限界を感じ、半年ほど前に離党の意志を固め、離党の時期は影響の少ない市長選後と決めていた。

・ここまでが離党・離団の理由として、報道においても御説明してきましたが、それだけが理由ではなく、離党・離団を決断せざるを得なかった最大の理由は、これまで佐藤議員から信じられないほど受けてきたモラルハラスメントパワーハラスメントです。それについて一部御説明させていただきます。

 まず、市長選中である4月19日、佐藤議員が私と他会派の男性議員が男女の仲であるという事実でない情報を吹聴していると聞きました。同日にLINEにて、佐藤議員の真意を確認するとともに、そのことを抗議いたしましたが、現在に至るまで何の返答もありませんでした。

 私も家族を持つ身でありますので、吹聴された以上、事実でなくてもうわさが流れる可能性があるため、すぐに主人に報告しました。主人からは、こちらが悪くないのは分かっている。だけど、事実でなくても、うわさでも流れれば、子どもが--すみません。ちょっと待ってください。こちらが悪くないのは分かっている。だけど、事実でなくても、うわさでも流れれば、子どもが学校でからかわれたり、いじめに遭う可能性だってある。佐藤さんの嫌がらせは年々エスカレートしていて、このままでは、いつ何どき、子どもの生活に影響が出ることが出てくるかもしれない。だから、子どもの生活を守るためにも議員を辞めてほしいと言われました。私はこのとき、市長選後に離党する意向をまだ伝えていなかったので、それを伝えると、主人は、佐藤さんと離れられるならそれでいいと納得しました。

 このときを境に、私を追い出す嫌がらせに拍車がかかるようになりました。恐らく私がこのことを知ったことで、これから顔を合わせにくくなるために、執拗に私の過去の言論に難癖をつけ、離党に追いやりたかったのだと思います。

 また、その後の南区の補欠選挙の際にも、ほかの所属議員に、増田を会派から追い出すと言っていたことも聞いております。ほかにも、私や他の議員が他会派に情報を漏らしているスパイであると代表に吹聴し、代表から突然いわれのない叱責を受けたこともあります。また、私ともう一人の議員が市役所控室内に盗聴器を仕掛けたと思い込み、団員に無断で団費を使い込み、盗聴器発見業者に発注した事実も確認しております。

 まだまだ挙げれば切りがないほどの、たくさんのハラスメントを私は佐藤議員からこれまで何年も受けてきました。

 6年前、今までの環境を変え、子育てしながらの議員生活となることを決めたときは、相当な覚悟が必要でした。その覚悟と決意を持って議員となったにもかかわらず、身内に背後から矢を打たれるような形で退路を断たれたことが、ただただ悔しくてなりません。

 私は離党・離団したときには、理由は当団の組織体制のみしか触れていなかったのに、なぜ今になってこのような形で皆様にお知らせしたかと申しますと、減税日本内でこれからもこのような不当な制限がされていく中で、佐藤議員に指摘した議員が第二、第三の私のようなハラスメントを受けるのではないか、団を私物化し、正当な議員生活を恣意的に制限、抑圧し続けるのではないかという懸念が消えず、私の発言がそれを少しでも抑止できればと思い、公表する決意をいたしました。

 ほかにも、会派所属議員の政務活動費の使途や、議員報酬800万円にまつわる金銭管理の在り方など、今後お伝えしなければならないことが少なからずあることを、加えてここに申し上げておきます。


名古屋市会 議会運営委員会 令和3年08月27日議事録より

https://ssp.kaigiroku.net/tenant/nagoya/SpMinuteView.html?council_id=550&schedule_id=20&minute_id=294&is_search=true

増田市議の発言

◆増田議員 

 本日は、私に発言の機会をくださいましたことを感謝申し上げます。
 令和3年6月22日の議会運営委員会での私の発言において、地域政党減税日本が事実無根の虚偽発言であるという理由で私を除籍処分したことにより、再度混乱が生じ、御迷惑をおかけしましたことを心よりおわびさせていただきますとともに、私の発言の根拠を御説明させていただきます。
 議会運営委員会での発言の翌日、田山議員が私の控室に断りもなく突然入室し、離党届受理を撤回して除籍にすると一方的に言って去っていきました。私はその後、田山議員に、党の決定事項であれば、口頭でなく書面で処分の決定をいただきたいこと、また、除籍の理由についても説明してほしい旨お願いをしましたが、何の返答もないまま、翌日、除籍の理由が、議会運営委員会での発言が事実無根の虚偽発言であり、所属議員の名誉を著しく毀損したという文書を市政記者クラブに投じたことを知りました。
 私自身には、何の理由の説明もないまま、また発言の事実確認をしないまま、そして不服申立てに関する告知もないことにも疑問を感じたため、除籍決定について問う文書を減税日本河村代表及び減税日本幹事会へ送りましたが、後日、問いに対しての答えが一切ない、加えて党代表である代表名すらない回答が返ってきました。
 私の議会運営委員会での発言が事実無根の虚偽発言であると公表するからには、その根拠をこの委員会で説明する責任が佐藤議員、田山議員にはあるかと思いますが、それは議会運営委員会での取扱いでありますので、私は委員外議員として、私の発言が自身の体験を根拠としており、真実以外にほかならないことを御説明させていただきます。
 まず、私の発言には幾つかの案件が含まれており、その全てについて根拠を持ち合わせておりますが、全てを説明するには大変時間を要することから、私の発言が事実無根の虚偽発言でないことが御理解いただける程度の主な案件についてのみ、この場では御説明させていただきます。
 まず、無断録音や会派人事、また委員間討議についての申入れ等について、会派内の多くの意見を反映することもなく、佐藤議員本人の見解を主張、決定してきたという私の発言について御説明させていただきます。
 昨年度の団幹就任以後、団の決定事項や提出書類の作成については一部の所属議員のみで決めることが多く、その体制は、当時の幹事長であった大村議員への理事不信任動議が出された頃から既に始まっておりました。
 具体的には、佐藤議員をはじめとする減税日本ゴヤ執行部は、名古屋市役所東庁舎4階の委員会室を頻繁に借り、一部の所属議員でそこに引き籠もっての話合いが続けられ、他の所属議員には何の意見も聞かないまま決定事項を事後報告、もしくはこちらが問うまで何も知らせないこととするのが常でした。これにつきましては、減税日本ゴヤが年間にどれくらいの頻度で委員会室を借りているのかを確認していただければ、お分かりいただけるかと思います。
 当時から控室にも相談できるスペースはあるにもかかわらず、会派の運営という大切なことを閉鎖的な空間で話し合っていることに、何人かの所属議員は疑問を感じておりました。それについて指摘をしても、市長に相談している、弁護士に相談していると、団運営にもかかわらず団員の意見は聞かない状態が続いておりました。その結果が、昨年の混乱を招いた原因の一つだと思っております。
 こういったことが続いたことから、昨年の12月に、これまでの執行部の独断的なやり方による会派内外の混乱を静めるため、組織のガバナンスについて及び今後の無断録音の対応について、また、人事について、執行部に一任をしない旨を伝え、会派規約にのっとり、総会の招集を一定の数の所属議員と共に請求しました。しかしながら、当時の佐藤団長からは、検討すると答えたきり総会が招集されることはなく、一任しないという一定数の所属議員の意見を聞くこともなく団の運営を強引に進め、結果、現在まで混乱は続いております。これが私の体験したことであり、この発言の根拠です。
 次に、常任委員会での発言について、委員会は自分の意見を言う場ではないとして恣意的な考えのQAを配付し、団員の言動を制限したという私の発言について御説明いたします。
 昨年の9月23日の団会議において、各委員会での発言についてQAが所属議員に配付され、これ以外のことを言わないこと、また、執行部から説明を受けていないことを聞かれたとしても知らなかったと言ってはいけない等、所属議員の発言を制限しました。このQAが配付されたときには、守らなければ離党・離団処分となるという脅しとも取れる言葉を、当時の団長であった佐藤議員から聞きました。
 なお、そのQAについてですが、内容があまりにも都合の悪いことを隠すようなアンサーばかりで、とても委員会で使用できるような内容ではありませんでした。
 加えて申し上げますと、佐藤議員自身ですらも、QAにはないことを委員会で発言していたため、次に開かれた団会議で、私が佐藤議員に対して、QAにない発言をした佐藤さんも処分の対象となるのですかと聞いたところ、「え、私」と、まるで自分だけは処分の対象ではないとでも言わんばかりに困惑した様子でした。さらに追及したところ、「まあ、代表が処分と言うなら」と言葉を濁しました。
 このように、佐藤議員は、私たちには処分すると言っていたのにもかかわらず、自分自身が行ったことに対しては処分の検討さえしませんでした。これは不公平で恣意的な団運営がなされている根拠にもなるかと思います。
 以上、私の発言の中から、議会を混乱させた要因となった主な案件について、事実無根でないことを御説明させていただきました。このことから、私の発言は全て真実であり、何をもって事実無根の虚偽発言と決定されたのか、なぜ何の説明もしないのか、その理由も分かりません。つまり私は、理由も分からないまま不当に除籍処分となったという認識でおります。
 なお、先ほど御説明しました案件を含め、私が発言した全てについて、その根拠となっている文書や控え、音声等の資料はありますが、報道においても私が事実無根の虚偽発言をして除籍をされた議員とされていることから、自身の名誉を回復する必要があるため、減税日本代表に対し訴訟をすることを予定しており、既にその準備に着手している段階でありますので、訴訟に影響するおそれがあることから、資料に関しましては、ここでの公開は控えさせていただきたいと思います。
 しかしながら、発言の根拠を担保する必要があることは承知しておりますので、必要が生じた場合には、減税日本ゴヤを除く各会派の代表の方に、個別に資料を確認していただく形をとらせていただければと思います。
 最後に申し上げますと、もし、私の発言に対して事実を確認した上で、互い理解にそごがあることが納得できれば、発言の訂正、削除をさせていただく良識も持ち合わせていたつもりではおりましたが、過日、7月23日に減税日本ゴヤから、今になって事実確認の公開質問状が届きました。そもそも事実確認が除籍処分の以後ということ自体、減税日本のガバナンスは支離滅裂であることの証左であると思われます。
 また、その公開質問状の最後には、質問の回答がない場合には事実でないと判断し、自ら撤回するとともに、議事録の削除を要望しますという言葉が添えられており、回答の内容いかんではなく、回答をしなければ事実でないと判断するという非論理的な判断や要望がされていたことにおいては、大変残念に思っております。この公開質問状は、事実確認が目的でなく、自身に不都合なことが載っている議事録の削除が目的であったという印象を強く受けました。
 先ほども触れましたように、佐藤議員に都合の悪いことを発言すると処分されるということが、減税日本の中ではこれまで当然のように言われてきました。今回の私の除籍処分や名古屋市会における議会運営等の混乱は、佐藤議員の運営手法や所属議員へのハラスメントが原因の一つであると考えております。
 様々申し上げましたが、私の発言が事実無根の虚偽発言であるという指摘には当たらないことを釈明させていただきました。
 議会運営委員会の皆様には、幾度となく御迷惑をおかけしましたことを心よりおわび申し上げます。また、御迷惑をおかけした1人として、全てが解決するまで、本日限りでなく、必要であれば何度でも誠意を持ってお答えさせていただくことをお約束いたします。このたびは大変申し訳ありませんでした。

なごや平和の日(仮称)の制定についての基本的な考え方(案)に対する意見

名古屋市が「なごや平和の日」(仮称)の制定についてのパブリックコメントを募集している。(12月12日まで)

www.city.nagoya.jp

以下の意見を送りました。

 名古屋空襲を語り継ぎ、戦争の記憶を風化させないことは貴重なことであると考えます。特に今制定されようとしている「なごや平和の日」を5月14日に定められた意義は、資料にもある通り、数年にわたり63回もの空襲を受けた中でも、1945年5月14日の空襲はB-29爆撃機440機による最大規模の爆撃であり、死者338名、被災者66,585人、被災家屋21,905棟という甚大な被害をもたらし、その中には当時国宝であった名古屋城まで含まれていたという象徴的な日であったからでしょう。


 戦国の末期に建てられ、江戸時代、幕末の戦乱においても戦争や災害に巻き込まれることなく、永く尾張徳川家の象徴であった名古屋城は、名古屋市民の誇りであり魂の拠り所でありました。それが失われた事実は、名古屋市民にとって誠に重いものであったと忍ばれます。


 そうした意味からも、5月14日を「なごや平和の日」として、名古屋大空襲を語り継ぐ事には意義があると思います。


 歴史を胸に刻み、その教訓を糧とする事は重要な行為です。記憶から学ぶことができるからこそ、ヒトはヒトであるとも言えます。


 昨今、名古屋城天守を木造で建て替え、「史実に忠実な復元を行う」などという意見を耳にしますが、こうした行為は名古屋城の歴史的事実を正確に反映した行為とは思えません。名古屋城の歴史は1612年天守が完成し、1945年戦災で焼失し、1959年に当時の名古屋市民の力で近代建築として外観復元されたもので、それが正しい歴史であり、史実に忠実な建物とは、まさに現存する名古屋城天守こそがそれで、正しい歴史を体現する建物であります。それを碌な議論もなく取り壊し、内部構造、木組みに関する資料もないものを(飛騨の匠の関わった木造建築の粋は、その内部構造にあります)、写真や矛盾を内包する実測図から適当に推測し、木造化して、選択的に慶長期の姿、または宝暦期の姿として再現する行為は、何よりも1945年に起きた悲しい歴史的事実から目を背ける行為であり、幼稚な歴史修正主義であります。


 鉄筋コンクリートで造られた名古屋城天守を訪れた者は、或いは落胆するかもしれません。しかし、木造のオリジナルが失われた事情を知ることで、戦争の悲惨を思い、外観復元された事実を知ることにより、より一層名古屋市民が名古屋城にかける気持ち、歴史を受け止め、先人たちの事跡を尊重する心が想起されるのではないでしょうか。


 そうした先人の残したものを軽々しく破壊する行為は、また、後世の人々により、我々の行いも軽んじられると知るべきです。


 5月14日を「なごや平和の日」とし、歴史を正しく伝える現存する名古屋城天守有形文化財として登録することで、戦争の悲惨、名古屋市民が名古屋城に思う気持ちを永く後世に伝えましょう。

 ところで、「愛知県民の日」(11月)に対抗して、名古屋だけ5月に休日を設けるような話も聞きますが。今ですら新入社員、新入生が「5月病」になる原因の一つと言われる5月の連休を増やすようなことは止めていただきたい。
 私も、新入社員に講義をしていて、5月の連休明けに、それまでの苦労が水の泡になったことがよくある。

 11月のシルバーウィークを充実させたほうが良い。
 5月の「なごや平和の日」制定には賛成だが、休日は11月の「愛知県民の日」に合わせるべきだ。

 「名古屋は愛知県の植民地じゃない」などと私怨に任せて口走っている子どもがいるが、
 「名古屋市民は、市長の奴隷ではない」と言っておく。


日本保守党大阪街宣状況

2023年11月11日に行われた河村たかしも参加した日本保守党による大阪街宣の模様を、X(旧ツイッター)の投稿から拾う。

以下のX投稿は、投稿者に断りなく引用させていただいております。
問題がございましたらお手数ですが、下にあるコメント欄にご指摘いただければ是正いたします。

河村たかしによる事前告知>

<現場の様子>


<更なる混乱>


<喜ぶ日本保守党シンパ>


河村たかしの街宣>

<有本香、河村たかしコメント>


市長を10年以上続けているような者が、雑踏事故の危険性を認識していないなど、無能の極である。
街宣途中で緊急車両が接近しても、街宣の音を止めない。

名古屋における街宣でも同様の問題があった。

自分の街宣と、緊急車両の運行、当該者の命、どちらが大切なんだろうか。

河村たかしにとって大切なのは、自分の生活、市長、または議員としての身分でしか無いのではないのか。そのような者が、言い訳に「子どもの命」を持ち出すな。

大切な事を判っていない無能、河村たかしは政治家を辞めろ。


<包括的な報告>






note.com

ameblo.jp


リコール署名偽造問題  ー1.0

 中日新聞が、「イチから知りたい~リコール署名偽造問題~」として、あいちトリエンナーレを発端として、各記事のリンク集を作っている。

www.chunichi.co.jp

 これはこれで良いのかもしれないけれども、ではなぜ、そもそも知事リコール署名が始まったのか、その前提状況を理解しないと、この問題は理解しにくい。裁判において、弁護側は「虚偽にリコールを成立させる考えは持っていなかった」*1と主張しているが、では佐賀県まで行って偽造作業を行い、名古屋市内における指印作業の手間をかけ、巨額の費用を投じてまで行った偽造の意図はどこにあったのか。それを理解するには少なくとも、大村秀章愛知県知事の誕生までは話を遡る必要がある。

 大村知事は昭和35年(1960年)生まれの63歳。河村たかしが昭和23年(1948年)生まれの74歳なので、大村知事は11歳河村の年下ということになる。
 東大法学部から農水省に入り、地元政界の要請で衆議院に転身する。家族や係累にも政界の者はおらず、徒手空拳の政界転身となった。初の衆議院選挙では選挙区敗退し、比例復活で議席を獲得した。自民党小渕派に所属する。

 衆議院議員時代の抑えておきたいエピソードとして、名古屋市藤前干潟埋め立て問題がある。名古屋市のゴミ最終処分を藤前干潟の埋め立てで行おうとしたことに反対運動が起こり、大村は名古屋市議会自民党からの批判を受けながらも埋め立てに反対する。

 もう一つは、この頃からだったと思うが、河村たかしが準レギュラーとなっていたテレビ番組「TVタックル」に自民党議員として出演するようになる。それ以降、大村の得票数は伸び、タレント議員としての人気を獲得する。これは河村の紹介によるものとされ、これを期に河村と大村は政党をまたいで協力関係が作られていく。

 河村にとって「TVタックル」は大きな意味を持っていた。原口一博なども、河村の紹介で出演するようになったとされ、河村が名古屋市長となった際、減税政策について総務大臣の印が必要となり、民主党政権総務大臣を行っていた原口が印をついたと言われている。

 こうしたメディア露出も手伝って、地元では確固たる地位を築きつつあった大村だが、永田町の中では思うような活躍の場は得られなかった。そうしたところ2011年の愛知県知事選挙への出馬を河村から持ちかけられた。この知事選挙は名古屋市では市議会リコールの署名成立から行われる住民投票*2と同時期に行われる事となっていた。河村は自身が市長を辞職することで市長選挙住民投票の解散票獲得を目論んでおり、そこに知事選において、自派の候補(大村)を立てることで、名古屋市内だけにとどまっていた河村人気を愛知県全県に広げようとしていた。
 こうして、愛知県知事選挙、名古屋市長選挙、市議会解散住民投票のトリプル選挙が行われることとなったが、河村の思惑はズバリ的中し、大村知事が誕生、議会解散は成立し、自身の名古屋市長選挙では前代未聞の66万票の獲得という大勝利を遂げた。*3

 大村知事は自民党愛知県連と袂を分かつこととなり、「日本一愛知の会」を立ち上げた。河村としては当然大村知事は「減税日本」に入るものと期待していたが、大村はここから距離を取り始める。

 大村知事と河村市長の対立は、大村知事誕生の際の構想として提示していた「中京都構想」への河村の無理解が上げられるだろう。その頃、行政改革、行政の効率化という観点から、いわゆる県と市の二重行政批判が高まり、各地で道州制などの議論が起こっていた。大阪維新の会などは、大阪府大阪市を一体化する「大阪都構想」を掲げていたものを、大村知事は愛知県を「中京都」として一体化する構想を述べていたが、「名古屋市は名古屋という名前がなくなるのか?」などの批判が高まり、河村は「尾張名古屋共和国構想」などと口からでまかせで誤魔化して「中京都構想」の協議を止め、議論を逃げ回っていた。大村知事が河村に対し不信感を抱いた最大のきっかけはこれだろう。

 河村は「住民税の10%減税」を謳っており、名古屋市の住民税は課税対象額の6%から5.4%へ「10%の減税」が行われていた。次に河村は愛知県においても、この「10%減税」を実施するように求めたが、元々経済学的に地域経済の減速を引き起こす*4住民税減税には大村は乗ることはできず、これを固辞する。これに対し河村は「公約違反だ」などと怒ったものの、その後(平成29年度から)愛知県より名古屋市に義務教育教職員の給与を名古屋市が負担する制度の整理が行われ、その費用負担として住民税を2%愛知県から名古屋市に付け替える措置が取られた。なので名古屋市においては所得割の税率は8%となった。

 この税率8%に対して、「減税5%」が適応されて7.7%となっている(?)

名古屋市:個人の市民税の減税について(暮らしの情報)

 ここから話がややこしい、そもそも河村の公約は「減税5%」に後退している。この2%移管以前の減税比率が0.3%であり、税率6%であったものが5.7%になっていた。そこに2%の移管が行われ、どういう理屈か不明だが、この2%については「減税5%」の枠外という扱いになったために、「税率は8%が7.7%で、市民税減税5%実現」となっているのである。*5

 「中京都構想/尾張名古屋共和国構想」や「住民税減税10%」などの河村の空約束のために名古屋市と愛知県、河村市長と大村知事の亀裂は大きくなっていった。

 そこに持ち上がったのが「国際展示場問題」だ。まず押さえておきたいのは、愛知県には国際展示場はない。トヨタの地元でありながら、国際的なモーターショーが開けるような大規模展示場を愛知県は持っていなかった。・・・河村市政の以前には。

 名古屋の金城ふ頭に国際展示場がある。これは名古屋市の施設だ。老朽化がすすみ国際的に展示場が巨大化する流れの中で、建て替えが求められていた。

 河村市政の以前には、こうした巨大コンベンションセンターの展開は、宿泊や飲食、交通の利便性などを考慮すると、現在の金城ふ頭においては不可能と判断されたようで、別の場所に移転し、金城ふ頭は誘致するレゴランドなどを軸に別のベクトルで開発を進める腹積もりだったようだ。レゴランドを誘致しておいて、そのまま金城ふ頭で国際展示場を展開するというのは矛盾だ。

 さて、こうした要請から河村市長はおっとり刀で国際展示場の設置場所を探し始めた。もう、この段階で素人以下の政治家とはっきり判る。いまさら場所を探すなんて付け焼き刃の話で国際展示場ができるわけはない。ところが河村市長は無理強いをして、あろうことか「ヤクザの事務所に特別秘書が飛び込みをかけて名刺を置いてくる」という不始末を引き起こしたそうで、その名刺を一般職員がそのヤクザの事務所を訪ねて頭を下げまくって冷や汗をかきながら回収したそうだ。

 名古屋市がこうして国際展示場の建て替えで迷走している間に、2019年愛知県は中部国際空港島に愛知県国際展示場を開設した。結局、河村市長は「県と市の二重行政の解消」と主張しておきながら、国際展示場については愛知県と名古屋市が二重で持つという事になってしまった。

 元々政令指定都市とそれを含む中間自治体としての県は利害対立が激しい。

 この国際展示場問題など明白な名古屋市の敗北で、こんな事はそうそう起きるものではない。如何に無能かという証明だが、地元メディアではあまり取り上げないから、住民も意識していないだろう。

 こうした中で、無理が明白となった河村の名古屋城木造化などにも、大村知事の方からからかい半分のチャチャが入るような事もあった。*6

 そうした大村知事に対する、幼稚な私怨が河村の中に溜まっていたのは間違いがない。

 幼稚だろう、中京都構想にしても、減税政策にしても、国際展示場問題にしても、河村が大人で、一端の政治家ならどうとでも対応は取れただろうし*7、今のような状況にはなっていなかっただろう。この見事なまでの惨状。何もできていない。

 すべて河村自身の無能と、それを認めず打開策を模索しなかった幼稚で空疎な自尊心が為せるものだ。

 こうした中で起きたのが「あいちトリエンナーレ問題」だ。

 これも、元徴用工による日本企業への賠償を認める韓国大法院判決と、それに対する日本と韓国政府間の政治課題が影を落としている。ここではこの判決の是非は議論しないが、そのために韓国における反日グループと、日本における嫌韓グループがお互いを批判し合うという情景が深刻化した。そのような中で韓国の市民団体が国際的に展開している「少女像/慰安婦像」に対する批判が高まり、それを「あいトリ」の展示として置くことを耳にした松井大阪市長(当時)が河村に電話をかけて、それに呼応して河村が座り込みなどをした事がきっかけで。ここでも「あいトリ*8」の在り方や「表現の自由」はさておいて「大村知事の責任」が口にされている。*9

 つまりは河村の行動は、国民*10から批判のある「少女像/慰安婦像」の展示を愛知県知事たる大村知事が主体となって行っていることを、国民にアピールすれば、大村知事は支持を失うだろうという思い込みに起因するもので、「少女像/慰安婦像」の展示に対してネガティブな感情を持つ国民というのは、当時の安倍政権下で韓国に対しての政府プロパガンダに乗せられた、いわゆる「嫌韓」といった政治的に歪んだブームの上の話であって、芸術表現としてあるものに、そうした政治的プロパガンダを対峙させる行為自体がはしたない。さらに、それを知事の責任と追求する行為は無理がある。上でも述べたように、会長としての知事が批判されるのであれば、会長代行の河村本人の責任はどこにあるのか。

 結局、あの「あいちトリエンナーレ」における河村の行動は政治的意図や戦略があるわけではなく、大村知事に対する幼稚な私怨と「鞘当」でしかない。その為にいざ本当に知事リコールを始めたところで、大村知事に解職を求めるだけの説得力のある理由、大義名分が立てられていない。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 「愛知県知事大村秀章解職請求の要旨」の詳細は上記記事を。

 こんないい加減な「解職請求」が説得力をもって県民に受け入れられるわけがない。

 そこで署名収集直後の大村知事の会見でこのような発言がなされる。


知事のページ:知事の記者会見

 関係者等々からは、あまり集まっていないというふうに聞いておりましたので、(約43万筆の署名数というのは:引用者補足)何か変な感じはするなということは、先週申し上げたとおりであります。何があったのかなと。要は、実質的な署名活動や戸別訪問はほとんど行われていなかったと。そりゃ、そういう活動から分かりますのでね。ほとんどなかったということの一方で、こういう署名の数だというの何か書類を出されたということでありますけれども、一体どうなのかということはですね、是非それはですね、問いたいなというふうにも思います。


 いずれにしてもですね、中にはかなり少ないのではないかという、有効なものは、ということを言う人もいますけれども、その点は、今後どうなるかはよく分かりませんけれども、現段階ではそれ以上のコメントはですね、できかねるということではないかなというふうに思います。


(略)


 河村氏は応援団ではなく、河村氏が首謀者だと思ってます。というふうに聞いています。河村氏が高須氏に頼んで、頼んでやってもらったというふうに聞いてます。もうとにかく全ての中心は河村氏だというふうに聞いております。
 ということでありますので、その間の言動、これまでの言動も含めて言えばですね、一体どういうことなのかな。というか、かつて9月議会にね、河村氏が議会まで来て、いろいろやじも飛ばしておられたのを見てですね、私は、悲しい哀れな人だなということを申し上げましたが、その思いは変わっておりません。


(略)


 地方自治法等の法律に則(のっと)った制度でありますので、法令に基づいてですね、これは法律、ルールを守ってやっていただかなければいけないですね、ということと、


 二つ目、事実でないことを言い募るというのは、誹謗(ひぼう)中傷、名誉棄損になるので、その点は注視していかなければならないということ


(略)


 これはあくまでも、私は常識的なことを申し上げていると思いますが、そうした点に照らしてどうだったか、ということは問われるのではないかというふうに思います。その実際の活動自体が問われるのではないかということ。それからまた、公園、それから道路等々のところでですね、やはりルールを守らずにやられておられたということについても、それは各方面から指摘をされているということだと思います。

 こうした指摘に河村は11月16日、公開質問状で反論を寄せる。

(公開質問状 令和2年11月16日)

公開質問状 令和2年11月16日 1of3
公開質問状 令和2年11月16日 2of3
公開質問状 令和2年11月16日 3of3

 しかし、実際には43万筆の署名は、その大部分が偽造であることが明白となっている。
それでいてこの公開質問状は撤回も訂正も、謝罪もされていない。「悲しい、哀れな人だな」と呼ばれるべき者は誰か、あまりにも明白ではないか。

 さらに3で述べている負担金については、現在最高裁まで持ち込まれているが、勝てる見込みはとてもなく、国はすでに負担金を県に支払っている。誰も河村に支持、同意できるものはいないのである。*11

 また5で触れられているドイツ、ベルリン市ミッテ区における「少女像/慰安婦像」の設置については「あいちトリエンナーレ」の展示とは別に行われていたものであって、その設置も1年間の限定であったものが、河村などの行動が災いして「永年設置」に変更になっているそうだ。

www.sanseito.jp

 お仲間の「参政党」が報告している。

 さて、ここで最初の問に戻ろう。

 「虚偽にリコールを成立させる考えは持っていなかった」が、巨額の費用と、佐賀県まで出向いて秘密裏に偽造署名を大量に作成しなければならなかった理由。

 高須克弥会長は政治には素人なので*12本当に86万筆の署名が集まると考えていたかもしれないが、それが7万筆だからと偽造を行おうとするだろうか。

 高須会長は自分が県知事に成りたかったと言われている。直接高須会長に「知事になるおつもりですか」と聞いたヒトは言下に否定されたので「高須会長は自身で知事になるつもりなど無い」と主張していますが。知事リコール運動開始の際、武田邦彦百田尚樹、有元香、竹田某などを集めた席上、百田が高須会長に同じように知事になるつもりか水を向けると、高須会長が否定した、それを受けて武田邦彦が「じゃあ、僕が知事になろうかな」と口走り、その場は冗談めかして和やかに進んでいったが、それ以降武田邦彦は呼ばれなくなった。この一事をもってしても明白で。他にもリコールの会周辺では次の知事候補の腹案が全く浮上しなかった。逆に禁句でさえ有った背景には、次期知事候補は高須会長で、それを邪魔すれば会からオミットされるという空気が出来上がっていたからと言われている。

 なので、解職請求が成立しない以上、7万筆でも43万筆でも高須会長にとっては同じことだろう。

 43万筆を揃えて、それは「リコールを成立させる考えは持っていなかった」が、「虚偽に」よって、「約43万名もの愛知県民が貴職の解職請求に賛同し署名された(略)約43万名もの愛知県民から貴職が『ノー』を突きつけられたことは、貴職にとっては重大な汚点であり、貴職の方こそが『悲しい、哀れな人だな』と思う」と「鞘当」を返したいと思っていたのは誰か。



ところで、これはなんなのだろう。
正気を疑うのだが。

6月ごろに政治資金パーティ開いたそうだが、
解散は無いし、解散が有っても選挙に出ないとなれば金は余ってきているから制作費は出るんだろうか。
その上、今は減税日本の市会議員、県会議員から1人頭一月10万円、
一ヶ月で160万円入ってきますからね。笑いが止まりませんわなぁ。


*1:2023.10.14 中日新聞

*2:ここで解散賛成が過半数を取れば市議会は解散される

*3:対立候補2人の得票を足して倍にしても66万票には届かない

*4:通貨発行権の無い地方自治体が行う減税政策は国の減税政策とは異なる

*5:ゆるゆる、いい加減は河村品質、減税日本スタンダード

*6:今、大問題になっている木造化名古屋城におけるバリアフリーについては、国の法律ではなく、県の条例が問題となる。法的に見ると知事の承認がなければバリアフリーの条件はクリアできない

*7:というか、それが取れるものが政治家と呼ばれるべきだ

*8:美術展

*9:あいちトリエンナーレ実行委員会 会長は大村知事だが、会長代行は河村たかし本人で、それまで準備会議に参加していなかった怠慢や、松井の電話以前に少女像の展示について聞いていながら何もしてこなかった不作為については、河村と地元メディアは不問と来る

*10:いわゆる「ふつうの日本人」

*11:一部、特殊な政治的傾向を持つ人々は除くが

*12:さらに、アレなので

愛知県知事リコール署名偽造事件第2回公判/河村たかし終身名古屋市長の話

愛知県知事リコール署名偽造事件第2回公判

 10月13日、金曜日。愛知県知事に対する解職請求における署名簿偽造の疑いで、刑事告発を受けている100万人の会の事務局長、田中孝博元県議の第二回公判が名古屋地裁第ニ法廷で行われました。

 10時からの公判に9時15分から整理券が配られ、84席ある傍聴席が一杯になった場合には、抽選が行われると言う事でしたが、この整理券発行期限の9時35分には整理券の発券枚数が64枚ほどにとどまったということで、抽選は行われず、整理券を持ったヒトはそのまま傍聴できることとなりました。やはり事件発覚から2年も月日が経てば、人々の関心も薄れてくるということでしょう。


 15分前に私が傍聴席に入ると、弁護側最前列に見慣れた顔(山田豪元常滑市議、榎沢利彦減税日本名古屋市議候補、水野昇瀬戸市長選挙候補と、鵜飼幸孝請求代表者「はるること、河津さん」だそうです)が仲良く座っておりましたね。私に気が付かないまま色々楽しそうにお話されておりました。

 やがて定刻通りに田中孝博事務局長が弁護士を伴って登場、髪の毛は伸び、後ろでポニーテールのようにまとめていました。髭に関しては大きなマスクをしていたため、どの程度伸びているのかわかりませんでした。

 田中事務局長は裁判長から正面の被告席に移るよう促され、第一回公判から長い期間が過ぎ、裁判長も替わったために、更新手続きが手短に行われ、検察より起訴状の朗読が行われました。裁判長から意見を求められると、田中事務局長は「弁護士の方から」と手短に応え、弁護士が一、ニ点確認すると「事実関係については大筋で認める」旨を述べました。

 検察側冒頭陳述が行われ、それに対して弁護側冒頭陳述が行われましたが、ここで主な争点は以下の2つであることが明らかとなりました。

1.警察が押収した各選挙管理委員会(64ヶ所)にあった署名簿について、請求代表者から返還の申し出があり、返還されるべきものなのに、返還されず、警察に押収されるに至った。これは違法な証拠の収集であり、これら証拠は採用されるべきではない。

2.署名簿を佐賀県において作成したことは認めるが、その総数は直接請求を成立させる法定数に至らず、直接請求をこれら作成した署名簿で行おうとしたものではない。

 弁護側証拠と陳述は次回以降。

 今のところ3人の証人申請がなされており、これらが順次行われる。今日の法廷でこれらの証人の名前が「イトウ、カトウ、アマノ」と呼び上げられたが、イトウは、請求代表者の伊藤ゆきおさん*1。カトウは愛知県選挙管理委員会委員長の加藤茂さん、アマノは選挙管理委員会事務局職員のアマノさんではないかと(事情通により)推測されている。

 つまり、上記論点の1について、「署名簿の法的所在と、警察の押収の合法性」について証人を立て主張を行うようだ。

 今後の期日は、(証人の一人が現在入院中のため、期日が少々遅れる)

 第3回公判 12月21日 午後2時 (被告証拠提出、証人尋問、イトウ、カトウ)
 第4回公判 12月27日 午後2時 (証人尋問、アマノ)
 第5回公判  1月10日 午後2時 (被告質問)
 第6回公判  2月 9日 午後2時 (論告求刑)
 第7回公判  2月20日 午後2時 (弁論)

 判決

 となり、3月ごろには判決が出る見通し。

 ここまでで、10時40分、公判終了。
 途中、260号証とかまである検察側証拠物件の証拠調べがあり時間はかかりましたが、淡々と進んでおりました。

 ごらん頂いて判るように、高須克弥の名前も河村たかしの名前も出ませんでしたし、佐賀における人件費や会場費、名簿購入の代金、それに田中事務局長本人の保釈金1千万円(2年間の保釈となれば、金利が年5%と考えると、それだけで100万円!)の出処なども不明のままです。
 
www.chunichi.co.jp

 今日の公判で示された論点を元に、田中事務局長だけの判断で、署名偽造が行われたと考えるのは自然なのか。違和感はないのか。

 河村たかし名古屋市長は今日の公判を受けて「全部話して」と言っているようなので、全部話してしまえば良いのではないかと考えるんですけどね。

 署名簿の偽造について、事実関係は言い逃れが不可能で、従犯と言うべき偽造作業を行った会社社長や事務局長の息子の有罪は確定しているわけですから、ここで田中事務局長の罪状を少しでも軽くしようとするのであれば、田中事務局長は本当に自発的に偽造を行ったのか、誰かの指示によって行ったのではないのかという論点について主張し、犯意の従属性を主張すれば良いだろうにと思いますし、それは、署名偽造、または知事リコール運動における指示命令系統、責任の所在という最も興味を掻き立てられる部分についての議論を引き起こすでしょう。

 追記:そういえば、調査報告書ってどこ行ったんでしょうね?

河村たかし終身名古屋市長の話

 ところで、私がわざわざ公判に出かけたのは、どういうヒトが来ているのかと気になったからで、上で述べたようにどこにでも顔を出すようなヒトは顔を出していましたし、現在減税日本ゴヤの市議で、河村事務所の職員であった大谷さん(署名提出時にもKKRホテルに居たらしい)が傍聴席に来ていたように見受けられました。(見間違いならすいません)(追記:関係者からの話によると、大谷さんは傍聴に出かけていないそうです)


 署名簿偽造は極めて政治的なスキャンダルであり、上記のようにその実態は名古屋市河村たかしの実態を示すだろう。裁判でその事実が解き明かされるのか不明だが、すでに河村市長の存在が、今般の問題を引き起こした事は疑いが無いし、こうした「虚偽体質」と言ったようなものが、例えば地域委員会の問題、河村氏自身の国会議員年金問題、市民税減税政策、名古屋城木造化における2万人アンケートの虚偽や、今般の差別発言を引き起こした昇降機方針の虚偽性にも影響を与えている。これらの問題に通底しているのは、政治家河村たかしの虚偽性であり、それを報じてこなかった地元メディアの怠慢ではないのだろうか。

 そしてここで、またまた、またまた、河村たかしの呆れた実態が事情通からもたらされた。

 岸田政権の支持率が上がらないことから、衆議院解散は遠ざかって行っているように見えるが、河村たかし衆議院解散が行われても国政転身はしない、できないというのだ。

 2009年、「名古屋市長として名古屋市民の皆さんのために働く、国政転身は考えない」としながら、衆議院議員から名古屋市長に転身したが、そんな言葉は嘘八百、東京で解散風が吹くと、市政の課題など二の次で国政の情勢に一喜一憂して見せた。減税日本を成立させると、国政政党の要件を得るために現役国会議員の引き抜きに躍起となり、それ以降も石原新党(太陽の党)、維新の会、小沢一郎国民の生活が第一)、日本未来の党、小池新党との連携など、まったく一貫性のない政党連携に血道を上げている。一貫しているのは国政政党としての政党要件を満たすこと。衆議院議員選挙において選挙区で落選しても、比例区で復活できる「セーフティーネット」があることだ。つまり、政策など二の次三の次で、もっとも大切なのは河村たかしの「セーフティーネット」、保身なのだ。

 そして現在、一番近いように見えた日本維新の会は河村に忖度しなくなった。これは維新の会の愛知県内の勢力情勢にも起因するが、なにより、河村の実像を維新の会が見破った結果と言えるだろう。

 そこで河村は政党要件(=衆議院選挙における比例復活のセーフティネット)確保のために、なんと、驚くことに、というか、呆れることに、あの「参政党」と減税日本の連携を、武田邦彦を通じて提案したそうなのだ!

 あー、腹が痛い。

 河村たかし、恥を知れ。

 ついに、減税日本は参政党と連携を模索するほどのポジションになったそうです。あーおかしい。

 これだけでメシウマ過ぎてドンブリ5杯は行けそうなのに、現実は更に上を行き、この模索の結果。河村たかしは参政党側から連携を断られたんだと!

 あー、腹が痛い痛い。メシがうますぎる!

 もう一回言いますね、衆議院の解散風を受けて、河村たかしは、国政復帰を目指す下工作に、減税日本の国政政党化、または、自身の国政政党からの立候補(=比例復活のセーフティネット確保)を期して、あの参政党と連携する打診を行ったが、参政党の方から断られたんだってよ。

 河村たかしは「比例復活のセーフティネット」のない衆議院議員選挙は絶対に立たない(政策の実現や、国民生活のために自身の身分を賭けるなどといった犠牲精神なんて、毛ほども有りませんから)、そしてその目は今のところない。河村たかしには、名古屋市長しか行き場がないんだと。

 河村たかし終身名古屋市長。のようだよ。給料は800万円かもしらんけど、なんもしてないから十分だよね、国会議員年金も貰っているし。総理を目指すどころか、国政転身もできず、このまま朽ち果てるんでしょう。名古屋城名古屋市とともにね。

追記:
参政党から断られたら、事もあろうに「日本保守党」だって、
共同代表だって。
www.chunichi.co.jp


genzeinippon.com


堀川をドブ川に戻したのは、河村たかし

 2月14日(火曜日)、名古屋市河村たかし木曽川導水路事業の方針転換を発表した。公式発表の前に中日新聞によるスクープという形で報道された。

 もちろん、事の重大さ、ニュースバリューから、当該記事は当日朝刊の一面を大きく飾ったが、中日新聞の取材とは思えず、明らかに河村市長から「投げ渡された特ダネ」としか思えない。

 ゲンキンなもので、このスクープ以降、あれほど河村の顔を映すことを拒んでいた中日新聞市民版に、15日、16日、21日と「笑顔の河村市長」の連続登場とござい。

笑顔の河村市長()

 まあ、こんな事はご愛嬌。この程度の歪みにイチイチ反応していたらモタない。しかし、中日新聞を読んでも、後追いをした各社の報道を読んでも、この突然の方針転換の理由が判らない。

 河村にとってこの方針転換は、木曽川導水路事業反対を唱える少なくない支援者を敵に回すことになる。それも、すぐ目前に名古屋市会議員選挙や愛知県議会議員選挙を控えての時期にだ。

 もしも河村にして、この方針転換をしなければならない事情があったとするのなら、その発表は選挙後まで引き伸ばすだろう。いままでの河村のやり方から考えると、そうしなかった理由が判らない。

 逆に考えると、市会議員選挙、県会議員選挙の前の段階で、一部の支援者を裏切ってまで方針転換を図らなければならなかったとも思える。つまり、方針転換によって得られる「ナニカ」は、こうした支援者よりも影響力があると河村が値踏みしたということだ。

 ここに少々気になる情報が2つある。

 まず、この木曽川導水事業再開について、名古屋市会のドン(?)である、自民党の某市議が動いていたものを、河村が直前に成果を掠め取って市長室から中日新聞にリークして書かせたのだ。という観測だ。

 この観測には、そもそも河村が木曽川導水事業再開を願っていたという前提が必要になるが、河村のスタンスは、支援者との関係もあって、導水事業停止のママというものであった。よしんばこのドン市議が事業再開を決定的にしたとしても、そもそも無理筋を通して河村は止めたのであるから、河村が今まで通りのスタンスを守ろうとすれば守れるはずだし、再開するのであればそれも河村には容易いことだ。

 中日新聞にスクープを上げさせて、市議選、県議選の前に中日新聞と手打ちにしたかった?

 にしては、木曽川導水事業の事業規模や、支援者の存在は大きすぎるだろう。そうしたハレーションを考えれば、一発のスクープや、一時的なメディア懐柔にこれほどのネタを使うのは理解できない。

 もう一つの話というのが、2月14日の発表の一ヶ月ほど前に導水事業反対派の市民の元に河村から電話がかかってきたという話だ。

 この電話もいい加減なもので、「●●さんか、木曽川の導水路事業、いま(反対運動している人たちは)どうなっているか、ちょっと電話変わるから教えたってちょう」と、挨拶もそこそこに別の男性に電話が引き継がれたそうだ。
 どうも、特別秘書の田中秘書が引き継いだようだが、電話の内容は、今思うと方針転換の前の根回しだったようだ。それ以降特段この支援者のもとには河村市長側からの働きかけはなく、突然の方針転換が報道発表され、3団体の抗議、記者会見となってしまっている。

 つまり、ここから判ることが2つ有って。1つはいつものことながら、河村市長には根回しとか政治的交渉なんてものはできないという事と、その河村市長の側としては、すでに1月前には方針転換の準備が進められていたということになる。そして、それは1月の中旬から年明けの頃となる。


 ここで私の妄想の翼が大胆に広がる。

 つまり、まったく根拠もない妄想でしか無いが、こうした出来事が有ったのではないかと推測されはしないかということだ。

 昨年の年末、どこかの忘年会で河村市長と、このドン市会議員が顔を合わせる。そんな事は当たり前にあるだろう。

 その席で、今年の市議選の話題が上り、ドン市会議員がからかい半分に河村に「お宅のところ(減税日本)も、改選で二桁確保は難しいでしょうね、どうだね、止まっている木曽川導水事業ね、あれ再開してくれたら、ウチの会派(自民党)は減税日本さんが現有議席確保できるように配慮するよ」

 河村たかしにとって、そもそも市議選など誰が受かろうと落ちようと関係ない。いままでも市長選挙の際には必死になって政策や公約を捏造してきたが、市議選挙においては「市議報酬」一本槍で、何か考えたという形跡すら無い。そうした個々の議席についてはどうでもいいことなんだろうが、やはり元々有った議席数28を回復しないまま現在は9議席に追い込まれ、改選で二桁確保できないという状態は「みっともない」特に、維新が敵に周り、いくつかの議席が奪われる可能性も考えると、この申し出はありがたい。

 こうして、河村が木曽川導水事業再開に翻意した。と考えるのはどうだろう。*1

 もちろん、実はこんなことをドン市会議員が約束したからと言って、他会派が減税日本ゴヤ議席確保にできることなど実は知れている。せいぜい「選挙のトークで金メダル噛んだ事はあまり言わないようにしましょう」ぐらいが精々なところだ。

 しかし、年明けから河村が現有議席のある西区、千種区に「身内」とも言える者を候補者に当てるよう方針転換したり、こうした選挙区における議席確保に自信を見せる理由も説明が付きそうな気がする。

 さらに、減税日本は県会議員の議席を諦め、それを維新に提供する代わりに市議選挙における協力を求めているとも聞く。減税日本ゴヤ議席二桁とバーターで木曽川導水事業が再開されたのか、選挙結果が楽しみとも言える。

 さて、それはさておき、またぞろ河村はこの事業を14年間も放置してきた責任を前任者や名古屋市職員、国交省に押し付けようとしているそうだ。「700億円、ほかっとけん」ということかもしれないが、その700億円を14年放置していたのは誰で、その金利は幾らかと聞いてみたい。*2

 
 かの「西部医療センター賠償金問題」では、2015年(平成27年)4月28日にADR和解案として日立と1億5,300万円の賠償という合意ができていたにも関わらず、それを蹴って*3ずるずると、2021年03月に3億8,500万の賠償が裁判所から言い渡された。それにも関わらず「名古屋市は儲かった」などとトチ狂ったことを言っていたが、同じ様なことを言い募るのだろう。この「西部医療センター」の件での2億2200万円程は、河村のグズのために名古屋市名古屋市民は明白に損をしている。*4

 しかし、中日新聞はそうとは書かないので、名古屋市民は知らない。

 何にせよ木曽川導水事業が正常化する事はめでたいことだ。徳山ダム木曽川導水事業は一体の事業で、そこに様々な問題が有っただろうことは想像に難くはない。しかし徳山ダムは既にできてしまったし、名古屋市揖斐川水系の水利を得ておくということには意味がある。

 そして何より堀川導水事業も再開の見通しが立つのであれば大歓迎だ。最近の堀川の水質、臭いは以前にも増して酷いものだ。この酷いドブ川になってしまった堀川を作ったのは河村たかし名古屋市長だ。堀川の水質悪化は河村のせいだ。

 正式には、徳山ダム木曽川導水事業、それから堀川への導水事業は別の施策であり、名古屋市国交省もそう忖度して扱っていたが、木曽川導水事業再開に絡んで堀川の水質向上、導水事業の再開を御本人が公言し、木曽川導水事業と堀川導水事業を関連付けるのであれば、遠慮はいらないだろう。

 この数年、堀川導水事業を理由もなく停止して、堀川を汚し続けて、せっかく底が見えだした堀川の水の浄化を後退させたのは、他ならぬ木曽川導水事業を乱暴に遮断した河村たかし名古屋市長であるという自白と捉えていいだろう。

 この数年、中日新聞などが「堀川の水がきれいになった」とか書くたびに、「水がきれいになる要因がなくなったのに、どんな根拠で提灯を上げているんだ」と鼻白んだものだが、これでやっと本当に堀川に清水が戻ってくるのであれば歓迎だ。

 ところで、この堀川導水事業再開は、一昨年の市長選挙対立候補となった横井元市議が掲げた公約である。横井元市議のコロナクーポン券事業に引き続き、堀川導水事業再開という政策泥棒。堀川を汚していたのは自分であるという自白。この2つは明確に覚えておきたいものと思う。


*1:尾張ゴヤ共和国構想の時に、河村はこのドン市会議員と似たようなよく分からない約束をしたとも聞く。

*2:もちろん、この場合単純に700億円が債務としてあったわけではないことは百も承知で書いている。

*3:市会議員選挙の直前に賠償金支払いが明白化するのを恐れた。

*4:というよりも、まともな政治家ならそもそも賠償金など1円も支払わないようにしただろう。