市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

名古屋市、石垣部会の同意なく先行解体案を文化庁に提出?

追記(3月26日):昨日の石垣部会を受けて、毎日新聞がもっともな記事を載せています。
名古屋城復元 工期遅れ決定的に 有識者会議、解体方法を否定」

名古屋城復元 工期遅れ決定的に 有識者会議、解体方法を否定 - 毎日新聞

この最後にある市幹部の談話として。

「遅れることは分かっていた。後は河村市長がいつ(工期遅れの発表を)決断するかだ」

が載っています。この「犯人探し」を河村市長がしているようですが、その「尋問」に際しては、必ず、ボイスレコーダーを持参しましょう。


本日、特別史跡名古屋城跡石垣部会が開かれましたが、
名古屋市の示した現大小天守を破壊する計画について、
石垣部会構成員全員から反対の意見が出されました。

そうした石垣部会の意見を無視するかのように、
名古屋市は計画を文化庁に提出するそうです。

文化庁有識者会議=石垣部会の同意を
現状変更許可の条件に付けており、
そうした条件を無視するかのような
名古屋市の決定は、
石垣部会の存在を無視するものであり、
それは同時に文化庁名古屋市との
信頼関係も毀損するものであります。

つまり、この名古屋市の決定は
異常な行動であると言わざるを得ない。

いったい、何のためにこのような
有識者の意見を無視し、
文化庁との約束を毀損するような行動を取るのか。

名古屋市はすでに社会的に整合性のある行動を取れていない。

もっとハッキリ言おう。

この名古屋市の決定は狂気の沙汰だ!
第二次世界大戦のさ中、
沖縄沖に戦艦大和を差し向けて砲台として使うという
「特攻」「神風」のような戦略が取られたが、
これは戦略ではなく狂気の沙汰である。

今回、まっとうな議論(有識者会議)において否定された
現計画について、文化庁の意向を無視して
計画提出する名古屋市の態度は、正気を失っている。

名古屋をここまで狂気に向かわせた者は誰だ!

千田嘉博_城郭考古学 on Twitter: "すでに報道が出始めていますが、本日、特別史跡名古屋城跡石垣部会が開催されました。名古屋市から現在の大小天守を解体する計画の説明がありました。御深井丸北側から堀を超えて仮設橋をかけ、天守北側から西側に巨大な仮設構台を設置し、本丸内堀を埋め立てて、解体するというもの。"

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ちょっと、余計なことを言わせていただくが。
この狂気は今に始まった事ではない。

地域委員会制度(サードセクターが手を引いて、制度が片肺飛行になっても
一部マスコミが提灯を付け続けた、地域委員会制度。

そして、市民税減税。
公約は10%減税であったものが、7%提案があり、5%に下がり、更に3.75%に下がっている。それでも、適切な検証がされていない減税政策。

この減税政策が狂気の政策である傍証は、この名古屋においてしか、減税政策は続けられていない。経済学的にも、制度的にも地域経済にプラスにならない事が明白な政策である。しかし、名古屋市民はその事実を知らない。なぜか、報道が歪んでいるからだ。

更に、これも名古屋でだけ続けられている。
狂気と、遺恨に満ちた「市議報酬半減提案」

市議の報酬を半減し、市の議会を弱体化して、バカ殿市長の勝手な政策を議会の反対なく推し進めようというのは、民主主義の否定であり、地方自治の破壊である。

こうしたキチガイじみた政策が、なんの疑問も持たれずに進められようとしている。

ロクな議論もなく、国の宝、名古屋市民の魂である、市民の建てた天守が破壊されようとしている。

私には我慢ならない。
この歪みは信じられない。
果たして、ここまで社会が、市政が歪んでいると見えるのは、
実は私が狂気に陥っているのか。

しかし、今、はっきりと言える。

正気を失っているのは名古屋市であり、
河村市長だ。

これを止めなければ、名古屋市民の生活は毀損される。

心あるマスコミの、
誠実なる報道を心から願う。


平成21年市長提案「市政改革ナゴヤ基本条例」

この3月名古屋市会において、またまたまたまた、議員報酬800万円の議案が市長から提出された。

本当に、幾重にもわたって誤った、間違えた、民主主義を取り違えた、というよりも民主主義による地方議会というものを破壊する、正気を疑う議案なんだが、なぜだか名古屋においては「当たり前」に捉えられてしまっている。

当ブログは、この議員報酬半減条例が成立した過程について、当事者などの証言を元に、小説仕立てにご紹介している。

「真・庶民革命」特設ページ - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

これを読んでいただいた東京在住のある方から、

「そもそも市会議員の報酬を半減するという争点が理解できない。
市会議員の報酬を、特に理由もなく半減化しようなどというのは理解できない上に、
一般の市民がそれを受け入れたり、支持するというのは信じられない。
そんな狂信的な政策を市長が推し進めたことを物語の前提にされても、受け入れ難い」

というような意見をいただいているほど本来リアリティーの無い話であるはずだ。

その不可解な議員報酬に対する市長提案について、今市会でどのような議論が展開しているか見てみた。
具体的には3月13日の総務環境委員会の議論となる。

公明党の田辺委員が平成21年度の「ナゴヤ基本条例」の話を出してきたので再確認しようとした。
そうしたところ、内容の判るものが名古屋市のサイトにも、減税日本のサイトにも無い。

愛知大学、現在沖縄大学におられる小林武氏の論考に全文の引用があったので、ここにひいておく。

住民投票制度のプレビシット的運用(1) 小林武

名古屋市長の提案による「市政改革ナゴヤ基本条例」案

平成21年第195号議案 住民分権を確立するための市政改革ナゴヤ基本条例の制定について

住民分権を確立するための市政改革ナゴヤ基本条例を次のとおり定めるものとする。

平成21 年11月20日提出

名古屋市長  河村たかし

住民分権を確立するための市政改革ナゴヤ基本条例

(趣旨)
第1条 この条例は,住民が主体となった市政の実現を図るための改革(以下「市政改革ナゴヤ」という。)の実施について,基本となる事項を定めるものとする。

(基本概念)
第2条 市政改革ナゴヤは,政治の職業化による集権化の進展が,住民の政治や行政への参画の意欲や機会を阻んでいる状況にかんがみ,自発性・無償性に基づく政治を実現するための改革(以下「政治ボランティア化」という。)により住民への分権を推進し,住民を主体とする真の住民自治の形成を図り,「歴史に残る街・ナゴヤ」と称するにふさわしい市政を確立することを基本理念として行われるものとする。

(市長の責務)
第3条 市長は,全市民に奉仕し,及び市と統轄し,これを代表する職として率先して市政改革ナゴヤの実施に取り組む責務を有する。

(地域委員会制度の創設)
第4条 市民が自ら地域課題を解決することができるよう,市民が地域に関する施策の企画及び決定並びにこれらに必要となる予算の策定に参画することができる制度として,新しい住民自治の仕組みである住民から選ばれた委員により構成する「地域委員会制度」を創設する。

(市民税の減税)
第5条 現下の経済状況に対応し,市民生活の支援及び地域経済の活性化を図るとともに,将来の地域経済の発展に資するため,市民税の減税を実施する。

(議会の改革)
第6条 議員は,議会において市民を代表する職として,またパブリックサーバントとして政治ボランティア化を実現するために,次に掲げる議会に関する改革に取り組むものとする。

(1) 議員の定義は,現行の半減を目途として減員する。
(2) 議員は,連続して3期を超えて在職しないよう努める。
(3) 議員の報酬は,民間企業の勤労者の給与額等を考慮し,現行の半減を目途として減額する。
(4) 政務調査費を支給しない制度に改める。
(5) 議員の費用弁償について実費を支給する制度に改める。
(6) 市会の本会議において市民が意見を表明することができる機会を創設する。
(7) 議員の自由な意思に基づく議会活動を実現する。
(8) 議員の年金制度について廃止に向けて活動する。

2 市長は,前項の議会に関する改革に伴い,議員による条例案の提出,議員の調査研究及び行政の監視活動を充実させるために,議会からの求めがある場合には,人員の配置,予算の計上その他の必要な措置を講ずるものとする。

(市長の多選禁止)
第7条 市長は,連続して3期を超えて在職しないよう努める。

(実施の時期)
第8条 市政改革ナゴヤは,平成21年度末までに制度化を図るなど,所要の手続を実施するものとする。

附則
この条例は,公布の日から施行する。

(理由)
この案を提出したのは,市政改革ナゴヤの実施について,基本となる事項を定める必要があるによる。

酷い文章だ「第3条 市長の責務」の「市長は,全市民に奉仕し,及び市と統轄し,これを代表する職として率先して市政改革ナゴヤの実施に取り組む責務を有する」というのは、日本語として成立しているのだろうか?

「議員の定義は,現行の半減を目途として減員する」というのも「議員の定数は,現行の半減を目途として減員する」の誤りだろう。誤植を含んだ条例案を提出しても、否決された責任は提出した側にあるだろう。

「議員は,連続して3期を超えて在職しないよう努める」とか「市長は,連続して3期を超えて在職しないよう努める」などの主張もある。(見事に反故?)

現在も投げかけられている「議員報酬議論」というものは、「議会改革」の為の議論であった筈で、その議会改革の主旨は上にあるような市長の主張による。

そして名古屋においてはこれを軸に議会リコールの住民投票が行われたのだが、結果として、この住民投票名古屋市を狂わせたのではないかと思えてならない。

この間の事情を小林さんが述べられている。
まず、小林さんは原田尚彦『地方自治の法としくみ〔全訂2版〕』を引いて、住民投票のマイナス面を指摘される。

住民投票には,「(1)十分な資料や情報にもとづく冷静かつ多面的な討議が浸透しにくく,いきおい扇動家やマス・コミによる大衆操作の影響を受けやすい。その結果,(2)住民投票の結果は,一時の情熱や偶然的要素に左右され,政策的に一貫性を欠いた予想外の結論となることが多い。

しかも,(3)たいていは勝敗が僅差で決まり,かえって国民の間にしこりを残すこともある。
にもかかわらず,(4)住民投票でいったん事が決った場合には,再び住民投票にかけなければ覆せないこととなるため,動きがとれず,かえって集団の統合を妨げることがある」

との「マイナス面」がある,というのである
(原田尚彦『地方自治の法としくみ〔全訂2版〕』(学陽書房,1995年) 251頁)

そして、こうした住民投票名古屋市においてどのような効果を持ったのか、長くなるが「住民投票制度のプレビシット的運用(1)」から引いておこう。

機種依存文字等は変更した。
・所々割愛させていただいたが、それは欄外に掲載する事にした。できればオリジナルを参照して頂きたい。

2009 年4月施行の名古屋市長選挙で,前民主党衆議院議員河村たかし氏が,51 万もの破天荒な得票で当選した(名古屋市は人口226 万,有権者179 万,市長選の投票者89 万)。これを受けて市長は,2大公約としていた「市民税10%減税」と「地域委員会設立」などの「市政改革」を一気に進めた(「減税」は,公約では富裕層は対象としないとしていたのを覆して,対象を限定しない一律減税に変えた)。

そして,それと並んで急浮上したのが「議会革命」である。主な内容は,河村氏が2009 年11 月に提案した「市政改革ナゴヤ基本条例案」〔資料1〕に盛られているが,議員定数の半減(公約では10%削減としていた)をはじめとして,議員報酬の半減(これは公約にはなかった),政務調査費の廃止,費用弁償の実費化,党議拘束の撤廃などである。

*1

*2しかしながら,名古屋の問題は,何よりも,市長のとる手法にある。つまり,直接民主主義の制度を用いて市長専制の実現をはかるという手法を用いていることが最大の特徴であり,また問題なのである。

すなわち,河村氏は,2010 年1月の段階で,まず議会改革の市長案を提案し,議会がそれを否決したときには,市長案と議会自身が出す案のどちらが良いかを住民投票に諮るための条例を制定するよう直接請求で議会に迫り,議会がこれを否決したときには議会の解散を求める直接請求の署名運動に入る,という手順を示した。

そして,議会は,2月市議会で,市長の議会改革提案を否決した。議会各会派は,この政治で*3住民投票条例制定の提案をしている(成立には至っていない。)市長は,4月に臨時会を招集し,市民から異論が強く出されていた定数半減案だけを除いて再度提案したが再度否決された。そこで,先に提示していた手順を短縮して,一気に,議会解散のリコール請求運動に踏み出した。

アピール項目を減税と報酬半減に絞って,これに反対する議会を「抵抗勢力」,「保身議会」と描き出し,これを解散に追い込もうと呼号して運動を扇動したのである。

本来住民のものであるリコールの制度を市長の主導で動かして,議会を屈服させる手法である。

*4解散請求に必要な数は,地方自治法によれば,有権者40 万人までの3分の1と,40 万を超えた分の6分の1の合計で,36万5795 であるから,集まったのはそれを約10万も上回ったわけである。

解散請求の手続きは,選管による審査,有効署名数発表,縦覧と異議申し立てを経て有効署名数が確定し,解散請求に必要な数を充足している場合,議会解散の是非を問う住民投票へと進む。

しかし,人々を驚かせたのは,集められた署名のうち約11万人分に,選管により有効性に疑問が付されたことである。

先に挙げておいた数字に照らすなら,11万は,リコールの成否を左右する数字である。疑問が付されたのは,受任者欄が空白の署名簿に書かれた署名であるが,その有効性を判断するために,選管は,当初10 月24 日までと予定していた審査を1カ月程度延長することとなった。すでに署名期間中から,違法な事例が多数選管に寄せられていたのであるが,この事態により,市長側が設定していた,2011 年1月に住民投票をおこなって議会を解散し,愛知県知事選挙の予定されている2月6日に,自ら辞職しておこなう市長選と合わせて市議選を「トリプル選挙」で実施するというもくろみはいったん崩れた。
しかしながら,市長側のおこなった一括異議申し立てを選管が認め,12 月15 日,有効署名は36 万9008で確定した。この逆転により,住民投票は2011 年2月6日に実施されることになった。

いずれにせよ,「46 万」ないし「37 万」は,220万都市の直接民主制運用の上でこれまでに他に例を見ない大きな数字であって,そこから目をそらせるわけにはいかない。

それは,金持ち優遇という本質を隠して「減税」の2文字のみで賛同を募り,また議員報酬をテコに根深い議会不信を掘り起こし,さらに潜在的な政治不信に火をつけて,市民動員に成功したことを物語るものであるといわざるをえない。

名古屋におけるこのたびの推移から,将来に向けた教訓として今銘記しておくべき何よりのものは,遂に,ここで直接民主主義制度が鮮やかな形でプレビシットとして用いられた典型的な実例を見たことである,と思う。

プレビシット」とは,先述のように,住民投票国民投票(レファレンダム)が独裁者の誕生とその地位の維持・強化,あるいは独裁政治の正当化のために用いられる形態をいう。

こうした権力担当者による直接民主主義制度の悪用の顕著な事例が,わが国の大規模な自治体で現出したのである。河村市長は自ら,しばしば街頭に立ち,またテレビの前で,「市民の支持を得た私の減税公約を阻む独裁議会」を難じ,その支援者は,「河村氏への支援を」と訴えて署名を呼びかけた。この署名運動は,終始,市長の先導により進められた。集まった46 万余のうち約11 万もの疑問署名が出たのも,さぞかし,権力者がバックについた運動ゆえの弛緩,また杜撰も許されようと考える傲慢の意識から出たものではあるまいか。

本来,直接民主主義の制度は,民主主義と住民の主権を実現する最も徹底した手段として,間接民主制を補完し,また住民の政治参加の潜在能力を最大限に引き出すなどの,大きな積極的意義をもつ。したがって,今,私たちは,住民投票が「プレビシット」として用いられることを防ぐ工夫,つまり強権政治・独裁者誕生の正当化に使われないようにする手だてを講じて,これを練成する課題を負ったことになる。

プレビシット」化を避けるための要点としては,これまでに,
(1)争点を公平に設定すること,
(2)住民の知る権利を保障するために,
 議会による投票対象について事前の公開の審議を保障すること,
 学識経験者や政党などによる投票対象についての認識・評価等の情報を保障すること,
 自由で公平な宣伝・批判を保障すること,
(3)投票の発案権を一定数の住民にまで認め,
 権力担当者による投票実施の有無と時期の恣意的な決定を排除すること,
(4)自由投票・秘密投票を保障すること,
(5)一定数の住民の投票参加を成立の要件とすること,
(6)公正な集計手続を保障することなどが説かれている。

そして,それらを実現する土台となるものは,何より,私たち住民自身が主権者としてたえず成長することにほかならない。


――以上にとりあげた名古屋市の事例は,これまでの経過だけからしても,地方自治における直接民主制のあり方を深く考察することを迫る重大な問題であるといわなければなるまい。

あの議会リコール、既存議会否定から2期8年が経過した。
その間の名古屋市会を見ると、あの議会リコールの虚偽性は明白だ。

小林さんの「金持ち優遇という本質を隠して「減税」の2文字のみで賛同を募り,また議員報酬をテコに根深い議会不信を掘り起こし,さらに潜在的な政治不信に火をつけて,市民動員に成功したことを物語るもの」との観察は、的を射ている。
将に「独裁者の誕生とその地位の維持・強化,あるいは独裁政治の正当化のために用いられ」た「住民投票」であり「権力担当者による直接民主主義制度の悪用の顕著な事例」である「議会リコール」であったわけだ。

「約11 万もの疑問署名が出たのも,さぞかし,権力者がバックについた運動ゆえの弛緩,また杜撰も許されようと考える傲慢の意識から出たものではあるまいか」との推察も当たっている。この運動に関わった人々からも私は様々な事情を聞いているが、河村事務所の弛緩は社会人としての常識を疑うものでもある。(後に起きた署名簿流出が白眉だが、河村事務所内部で大量の署名が行方不明になったという表に出ていない問題もある。また、この約11万もの疑問署名についても、その発生機序は明白で、河村事務所所員が署名簿の扱いについて誤解したまま情報を広めたために本来表紙に書かれるべき受任者情報が書かれていなかったという根本的な問題なのである。そしてこれを異議申し立てで強権的に認めさせた。これは大都市における住民投票制度の事実的な無効性を現している。あ!それと。受任者は本来自身と同じ区域でしか署名簿を集めることはできないのであるが、一人で複数の区域の署名を集めていた受任者も居る。そして、その様子をインターネット動画として公開していた。そしてそしてその人物は前回の市議選で中区、維新から出馬し、今回南区で減税より出馬している)

なぜ、こんな歪んだ事が実現できたのか。

小林さんが「『プレビシット』化を避けるための要点」としてまとめられているモノの中に、そのヒントがある。

プレビシット」化を避けるための要点としては,これまでに,
(1)争点を公平に設定すること,
(2)住民の知る権利を保障するために,
   (略)

平成21年においては、これが逆に行われたのだ。

(1)不公平な争点が設定された。

本来、論理的根拠などない。社会的な適合性、公平性だけから推計されている「議員報酬」を「半減する」という乱暴な議論を、漠然とした地方議会への不信感を煽って主張する。「議員報酬半減」自体に論理的根拠がないのだから、反論も立てようがない。つまり、議論が成立しない。その議論が成立しない上に、「年間報酬2400万円」というようなオーバートークや「政務調査費」を第二報酬であるかのように主張されてもいた。


(2)住民の知る権利が保障されていなかった。

一方的な主張が展開されて、名古屋市議の適正な報酬算定などされていなかった。(というか、そんなものができるわけがない)

また、報酬を下げれば、金持ちや報酬を必要としないヒトしか議会に参入しない。つまり、単に議会の質を低下させるだけという当たり前の主張がなされなかった。というよりも、議会リコールの際には、議会側の声は周りの騒音にかき消されていた。

あの時に、「既得権を守りたいだけの既存議員」と言い立てられた市議の元には、いたずら電話やFAXがひっきりなしに送られて、当時小学校や中学校に通っていた市議の子どもたちは「お前の親は、名古屋市議会の議員なんだってな」と「イジメ」に遭ったという。将に、集団の暴力が名古屋会の議員に向けられたのだが、その流れを作ったのはマスコミなのだ。
今こそ、検証して頂きたい。

市議報酬は800万円が適正であると主張してきた減税日本の市議(元市議)が、積み立てている「過剰報酬」は、いったいどこに行っているのか?誰か一人でも、その過剰分について名古屋市に戻したものが居るのか?(それよりなにより、国会議員年金を「一円も受け取らない」と言っていた市長の年金はどうなったのか?)

「多選禁止」を止めにした減税日本の理屈とは?
そして、それは正当性があるのか?

議会リコールによって生まれた減税日本は、呆れるような問題が続出し、議席も激減させている。
議員報酬半減とは、やはり議員の質を落とすものなのではないのか?
また、あの議会リコールは正しかったのか?

そして、それを報道した各マスコミは、市民に正しい情報を提示し、「住民の知る権利」を守ったのだろうか。


今回参照した小林さんの論考は、以前にも参照リンクとしてご紹介している。

減税日本卒業試験(後篇) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0



告知:
名古屋城天守有形文化財登録を求める会」が起こした名古屋城木造化事業における住民訴訟
第一回公判の日程が決まりました。
5月16日(木)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。

名古屋城天守の有形文化財登録を求める会


*1:当初,最大の重点は,議員定数の半減に置かれた。現行の名古屋市議会定数の75(地方自治法の上限は88)を38 にするという提案で,それによれば,16選挙区のうち9が,定数1ないし2の実質小選挙区となる。議会の民意反映機能は決定的に弱まり,とくに少数意見が議会から閉め出されて,民主主義の根幹が大きく傷つく。これに対して,議会が,全員一致で,議員定数は「各層の多様な民意を市政に反映させるために必要な人数」であるべきだとの規定(16条2項)をもつ議会基本条例を制定した上で,市長提案を拒否したのは,道理にかなったこととして受けとめられた。有志の市民が直ちに,定数半減は,歴史上の人類の知恵として成り立った政治形態である議会制の根幹を崩壊させるものであると指摘し,党派を超えて民主政治を守るために結集しようと訴え,反響を呼んだ。 河村氏のこれらの主張は,議会を弱体化して市長への権限集中をはかるもので,憲法上の自治体統治構造の原則である二元代表制を実質的に否定するものである。憲法尊重擁護義務に照らして許されるものではないが,同氏は,この二元代表制を,「立法者のミスだ」と言ってはばからず,「議会改革」の方針を撤回しなかった。

*2:もっとも,河村市長が進めるような政治は,その内容については,各地の少なからぬ自治体において見られるもので,ひとり名古屋市だけに特有のものではない。そして,首長優位の状況も,議会が(一部政党を除いて)「オール与党」体制を組んで,本来の役割を果たしていない多くの自治体では,やはり通有のものといえる。

*3:引用者補足:「この過程で」と思われる

*4:そこで,2010 年夏,市長の支援団体「ネットワーク河村市長」が,河村氏主導の下で,受任者を約4万5000 人立てて8月27 日からの1カ月間,リコール署名運動を展開した。集めた署名は,有権者179 万4766 人のうち46 万5594人に達した。有権者の約4分の1である。

田山宏之市議は何を答えなかったのだろうか?

名古屋市議である藤田和秀市議(自民党瑞穂区)が田山宏之市議(減税日本・北区)に暴言を浴びせ、頭をハタイタとされる件だ。
なんでも、田山市議は診断書を取っていて全治一週間の要治療という事で、今後の対応については弁護士に相談するとしている。

そして、その際の音声が公開され、名古屋市の河村市長は調査委員会をたちあげて調査をするとしている。
当局に設置するとか、東京の弁護士を雇うなどともしていたようだ。
河村市長は「民主主義を揺るがす行為だ」とかも言ったようだ。

また、録音には男性市議とされるものが「チューしよう」などと女性市議に迫ったために、田山市議と思しき声が「セクハラですよ」などとたしなめる様子も録音されていたそうだ。この男性市議や女性市議については誰であるかは明示されていないようだ。

当事者とされた藤田市議は記者会見を開き発言の事実関係は認め陳謝をした。更に「選挙直前のこの時期に公表された事には違和感を感じる」としていたようだ。

河村市長の会見では市の職員も巻き込まれ、同様に暴言を受けたかのような指摘もあったが、後に職員からはそのような事実関係については否定されている。

さて、私の感想。

・・・なにバカな事やっているんだ?

大きく間違えている事が二つある。

その一。河村市長は「民主主義を揺るがす」とかいって市費で調査をするそうだが、この行為自体が民主主義を理解していない行為だ。

行政は議会を(議会の構成員を)規定できない。

(同じ理屈で、地方自治体や首長が議員報酬を規定する行為も民主主義の破壊である)

議会は住民のものであって、その主たる目的は行政やその長の監視だ。首長が議会の在り方に鼻を突っ込んで、ある議員は「良い」とか「悪い」とかいう事は出来ない。制度に逆行する行為=民主主義の破壊だ。また、議員がその「首長を助ける」などと宣言する行為は、地方議会(その構成員)の主たる機能である筈の、首長の監視を放棄する行為であり、二元代表制の議会構成者たる資格を欠く。名古屋市において、前回の市議選でこうした民主主義、二元代表制の無理解を公言するバカな候補者(ここで「ゴミクズ」「廃棄物」と言ったら暴言だろうか)が多数立候補したが、こうした当然の、中学校公民レベルの批判が起きず、そのままスル―されていた。こうした「愚民化政策」、またはマスコミの不見識が徐々に社会を劣化させていく。

なので調査をするのは自由だろうが、だからと言って何ができるのだろうか?はなはだ疑問だ。

それよりも、そもそもこうした相互間の行き違いを調整するのが議員、政治家の職能なのではないのだろうか?

議員の席は有権者の物であり、議員はその付託を受ける代理者でしかない、議員の身分について判断するのは有権者である。

市費を使ってのこの調査。私は先細りになり、選挙が終わってしまえば有耶無耶になるとみている。
そしてそれはまたまた、市長による市費の無駄遣いでしかない。


二つ目。

そもそもあの発言は「暴言」だったのだろうか?
まず場は私的な懇親会であり、酒も入った飲食の場だったらしい。
つまり、その参加は自由判断で、毅然とした対応ができない、または手に余る場になったのであれば退席すべきだったのではないだろうか?

ハタイタ行為は暴力的だと言われるが、そのような行為は「ツッコミ」と言われて日常茶飯事にテレビでも放映されている。
こうした行為を「ツッコミ」と呼称するようになったのは、芸人のダウンタウンらしい。彼等の所属する吉本興業も、テレビ番組のコンプライアンス対応や、昨今のポリティカル・コレクトネスの要請からこうした表現に敏感に対応しているようだが、なかなか難しく思える。それよりなにより「カミナリ」という演者は平手で軽くハタクというような表現ではなく、拳骨で力強くまさに「殴る」という表現方法を使い、それが広く受け入れられてしまっている。こうした行為に対する社会の容認基準はまことに難しい。

だからといって私もこうした事を容認するつもりはない。特に児童や、小動物など対応する力の無い者に対して行われる暴力には激しい憤りを感じる。
もう一度言う。力(権力)を持った者が公衆の面前で、事実をまげて相手を嘘つき呼ばわりするような暴言こそ批判されるべきだろう。

市民に嘘をつく名古屋市議その2、富口潤之輔 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
名古屋市長、河村たかしは嘘つきである! - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

もう一回言っておく。私は児童や、力の無い者に対して行われる暴力には激しい憤りを感じる。

藤田市議が田山市議の頭をハタイタ。そして要治療一週間の診断書を得た。それが「暴力行為」であるのなら、田山市議は弁護士などに相談せずに、警察に届け出をすればいい。暴力行為は刑事犯であり、事実が明らかになれば被害者の労力や判断など要らない。

こうした強要も執拗に行われるのであれば問題だろうが、それも場合や人間関係によるだろう。それが法的、倫理的に許容されるものなのか、されないのかの境目はどこにあるのか、私には判らない。議員の行為についてその社会的適合性を推し量るのは住民、有権者だろう。

つい先日も、明石市の市長の暴言という事例があった。それも確かに表現は稚拙で有ったのかもしれないが、その意味するところは市民、住民の安全を図ろうとする首長の熱意であり、行政をなんとか動かそうとする意志だったのであれば、結果として明石市民がそれを支持した結果には合理性があり、民主主義的であると言える。


ここである方々から受けた指摘を二つご紹介したい。

一つは、この時期にこんな話題を持ち出すという違和感について。
「この行為で得をするのは誰だ」という観点だ。

藤田市議は前回瑞穂区でトップ当選で、組織も盤石。このような報道がなされても議席は揺るがないだろう。
田山市議も北区は下手をすればこのまま無投票当選になるとも見られている無風区で、こうした得票にネガティブにも働きかねない行為でさして得は無い。

全体的にぼんやりと、既存議会に対する批判という、またぞろ正体不明の批判が持ち上がるだけだだろう。
ちょっと話はそれるが、こうした根拠の薄弱で、好悪感情に阿ったような社会批判こそ、テレビ番組「3年A組」で批判されていた行為だ。
この社会には「既存議会」などというものは無い、そこにあるのは個々の議員や会派であって、それを一括りにして批判できるような根拠は無い。

物事を漠然と一括りにして批判する時、その思考は深度を無くしている。
議員を批判するのであれば、個々に批判すべきであるし、その際には伝聞情報ではなく自ら会いに行くべきだ。

見もしない、知りもしない、そして漠然とした括りである「既存議会」を批判するその根拠は一体何なのだろうか? Let's think.

話を戻そう。

この騒動で利を得るのは、瑞穂区選挙区で立憲所属の市議と最下位争いをしそうな減税の候補ではないかと言われている。
つまり、自民党である藤田市議の票は、立憲よりも減税の候補に流れるのだろうと言われている。

そこで瑞穂区の減税候補に注目してほしい。

この人物、自民党市議であった前田有一氏の配偶者だ。

前田 有一 ブログ

確か、減税日本は「議員の家業化」を批判していたのではないのか?

ま~た、河村市長のウソか?

もう、河村市長のウソは聞きあきた。



もう一つの指摘だ。

この時期にこんな事が公になった。
背景に、この選挙に対する地域政党減税日本」の代表、河村たかしの焦りを感じる。名古屋城問題は完全に座礁している。
議員報酬についても市民はサッパリ反応しない。

その他に河村減税党には旗頭がない。また、議席減の今回の選挙において、投票率が振るわず、浮動票層が投票行動を起こさないと、風頼みの減税日本議席激減の恐れがある。そこで河村代表が打ち出したテコ入れが「信長役者の立候補」なのだろうが、これとてもこの始末だ。

バカじゃないの?
こんなタイミングで発表しても、マスコミはどこも使えない。

「もっと早く言わんかい!」てなもんだ。

「何かないのか?」とイライラと代表が言ったところに、田山市議が後先考えず、河村代表にこの録音を聞かせたのではないのか。
そしてそれを聞いた河村代表が、田山市議の今後など考えもせずにマスコミにネタを提供した。マスコミは喜んで提灯を付けたわけだが、こんな話題は一過的で、それ以降の深みもない。

弱者である秘書を、バカな代議士が嵩にかかって苛めたというのであれば、同様の苛め(パワハラ)を受けたような人々が社会的課題として話題にもするだろうが、このコンテンツはそんな類でもない。議員間であればパワハラは成立しないし、市長与党の幹事長がパワハラを受けたとするには、あまりに情けない話でもある。それに河村代表は知らないのだろうか?昨今のマスコミは、こうした「暴力的コンテンツ」は、被害を受けた経験者のフラッシュバックに考慮して、一般マスコミ、つまりテレビでは大々的に取り上げない。

というか、田山市議の「頭はダメでしょう」という言葉が、マイクに向かってハッキリと発言されていたり。
周囲の騒音がいかにも単なる宴会の風景で、緊迫したような空気がなかったり。

そして、それらが「隠し撮りされている事」があまりにも明らかだったり。

よくよく考えてみれば、田山市議はこのコンテンツを公表するタイミングを誤ったし、今は後悔しているのではないかと推測する。

しかし、河村たかしという人物は、本当に無能だな。
このコンテンツが、このタイミングで、こうやって公開される事による、田山氏への効果って、考えなかったのかな?
(つい先日も、維新との政策協議についても、ぶち壊しの発言をしたばかり。こうした傾向は、石原新党や小池希望の党の時も見られた。そろそろここらで気が付かなければ、気が付かない方がバカだと指摘しておく。彼は選挙モンスターでもメディアの策士でもない。単なるお調子者の騒がせやで、その騒ぎの後始末の責任は常に他人任せだ)

さてさて、当ブログが。はたまた私が、藤田市議の擁護をしたり、代わりに釈明するなどという立場ではない。

しかし、私が名古屋市会を見た中で、藤田市議という人物は名古屋市会として必要な人物であると評価している。
多分、この藤田市議は他の市議や市の職員からも「恐れられている」のではないかと思う。

それは委員会の議事録などでも判る。

当局の誤魔化しや曖昧な説明に鋭い「ツッコミ」を入れ(頭はハタカない)、行政の問題を指摘する。
特に委員間討論におけるそれは厳しいものがある。

私も何度か直接対話させていただいて、その「独特の正義感」を感じざるを得ない。

その傍証が、前回の市長選挙における岩城候補への支持だ。

議会において、議長も務めた自民党の経年議員である藤田市議が、共産党で一年生の若い女性市議と並んで歩く姿は途轍もない違和感があった。
後に、形勢不利となって皆の行動が鈍っても、後に一緒に押した自民党市議団への批判を受けたくない、筋を通したいとの一念から、違和感がある「パレード」にも帯同したのだと聞いた。

浅井康正市議の「ブロック塀」問題を掲載することで揉めた「市会だより」を議論した議運でも、減税日本ゴヤ編集委員である佐藤あつし市議への追及は厳しかった。しかし、それは既に当ブログでも述べたように、追及して当然の責任を、市民、有権者に代わって追及する市議の姿であって、時にそうした厳しい姿がなければ社会は立ち行かない。

この問題となった録音の場面でも、酒席とはいえ、藤田市議は田山市議に「何かの回答」を求めているのであり、その問いかけは市民、有権者が、田山市議に、または減税日本に、または河村たかしに問い質したい事だったのではないのだろうか?

それをなぜ藤田市議が執拗に問わなければならなかったのか?

それは、無能で●●で、●●で、●●物のような権力に阿る提灯マスコミが、追求しないからなのではないのか?

ところで、今回の事を契機に市長の特別調査委員会が議会の言動を調査するんですよね。
それが私費で開かれたプライベートな場所であっても。

ふ~ん。

ならば是非、女性議員でありながら同じように酒席で泥酔して、下着も露わになりながら部屋まで車いすで運ばれたり。
3日の日程視察の一日目の宴会で飲み過ぎて途中リタイヤした(これも女性)議員の話や、
公費視察で出かけた某札幌市で深夜にぼったくりバーでぼったくられた議員のことや、
海外視察でスリに遭って同行の職員、添乗員、通訳、ホテルの従業員まで動員して大騒ぎして見せた議員の事。

それどころか、一人で泥酔して、市民の家に勝手に上がり込んで部屋で眠りこけた市長の件とか。
しっかりと、調査して市民に公表していただきたい。

机をバンバンと2度 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0



告知:
名古屋城天守有形文化財登録を求める会」が起こした名古屋城木造化事業における住民訴訟
第一回公判の日程が決まりました。
5月16日(木)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。

名古屋城天守の有形文化財登録を求める会


表現行為は全てヒトを傷つけえる刃物である

表現行為は全てヒトを傷つけえる刃物である

3月12日に中日新聞は社説で大阪維新の会が行おうとしている「大阪クロス選」について
地方自治の私物化ではないのか」ともっともな批判を載せている。

f:id:ichi-nagoyajin:20190314143438j:plain

中日新聞は、東京、永田町や霞が関の事や、大阪の事になると理性的でもっともらしい事を書くくせに、地元の名古屋の事となるととんと意気地の無い「忖度記事」を書き出す。

それがこの記事だ。

f:id:ichi-nagoyajin:20190314143509j:plain
「減税・維新で新党も」「河村市長 参院選候補擁立を視野」と、減税日本と維新の会で「新党結成も視野に協議している」とぶち上げているわけだ。

これに対して維新代表の松井大阪府知事は即刻否定する発言をした。

維新、減税との新党否定 参院選向け河村市長の検討発言に

3/12(火) 20:37配信 共同通信

 名古屋市河村たかし市長は12日の定例記者会見で夏の参院選に向け、自身が率いる政治団体減税日本」と日本維新の会との新党結成を巡り、維新の国会議員と考えていくと明らかにした。その後、維新代表の松井一郎大阪府知事は府庁で記者団の取材に応じ「新党は考えていない」と否定した。

維新、減税との新党否定 参院選向け河村市長の検討発言に(共同通信) - Yahoo!ニュース

キャッシュ : http://archive.is/mVdhe


つまり、この「忖度記事」は誤報である。

「市長会見における発言をそのまま掲載したのだから誤報ではない」と主張するのかもしれないが、そう主張する者は大本営発表を垂れ流した戦中の報道を批判できない。官公庁やら権力者の発表を、「横から縦にするだけ」*1なら、記者など要らない。

この件でも名古屋にも維新の代表者は居るのだから少し確認すれば済む話だろうし、大新聞社なら大阪にも記者は居るだろう、そうしたリソースを使って「裏取り」ぐらいしてから紙面に載せるべきだろう。

中日新聞を読んでいると、
減税政策は1128億円の効果があると勘違いしたり、
河村市長は尾張藩士の末裔と思い込んでいる市民が生まれ、その誤解が定着する。

なぜなら、中日新聞はこうした「誤報」(または、根拠の薄弱な報道)について、訂正や検証をしないから。

禍福は糾える繩の如し(後編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

マスコミは「社会の木鐸」と言われる。「木鐸」とは、木製の「舌」を持った金属製の「鐸(鈴)」の事らしいが、「自らの身を打ちならして、社会に警鐘を与える」事をいうのであって、自らの身を打つ気の無いもの。自らの在り方を批判的に見られないものはジャーナリズムや報道の名に値しない。

いったい今まで、あのいい加減な市長の言葉を垂れ流して、何度誤報を打ってきているのだ?
(何回、中部国際空港あおなみ線の延伸をしたのだ?)

話題となっているテレビドラマ「3年A組」でインターネット上の発言が、「ヒトを傷つける刃物となっている」との主張がされ、主演の菅田将暉の熱演もあってそうした主張が一般に広がっている。それはいいことだ。

しかし、この主張には2つの違和感がある。

一つは、こうした言葉が、健全な批判を抑圧する圧力につながる可能性に自覚的でなければならない。
私は匿名の表現行為を肯定する。(問題は、そうした根拠のあやふやな情報に振り回される人々だ、匿名での情報提供について、何らかのリアクションを起こすのであれば、少なくとも裏を取るなり、周辺情報を確認するなりの行為をし、自分なりに考えて、自分の起こそうとしてるリアクション、行為について責任を引き受けるだけの覚悟は必要だろう)この社会は十分に複雑で全てが公平ではない、そして個人には権限も時間も限られている。そうした個人が「告発」を行おうとすれば、匿名で守られる必要もあるし、そうした告発行為を圧殺する社会はとても生き辛いものになるだろう。

なので、ツイッターだろうと、2ちゃんねる(まだあるのか?)だろうと、匿名でのどのように酷い表現行為であれ容認する。(くどいようだが、問題はそれを受け止める側にある。そのような無責任な情報をどのように受け止めるのかという社会の側の合意こそが重要だ)

一つは、ドラマでも取り上げられたような「インターネットにおける匿名の無責任発言の暴力性」だけが問題なのではないという事だ。そもそもすべての表現活動は、多かれ少なかれヒトを傷つけうる。逆にヒトの心に届かず、それを抉らないような表現行為こそゴミだ。(こうした表現もまた、刃物なのだろう)

最近、京都造形芸術大学で行われた公開講座で「精神的苦痛を受けた」と芸術家の会田誠氏が訴えられた。
その直前、当の会田誠氏が兵庫県立美術館で公開した「ねぶた」作品が物議を呼んだ。

これは間違いなく、会田誠氏の講座や作品が人々の心を揺り動かした結果だ。

「容認されうる表現行為*2」や、「良い表現行為」などない。そんな線引き自体「ヒトを傷つける表現行為(さらにいうと、そうした加害に無自覚な行為)」だ。

追記:あったまの悪い者からの「質問」が入ったので追記しておく。私は上で「匿名でのどのように酷い表現行為であれ容認する」と言っているのに、ここで「容認されうる表現行為」などないと言っている。これは矛盾するのではとの「質問」だが良く読め。上の「容認する」主語は「私」であり下で「容認されうる」とする主語は「社会一般」だ。私は容認する態度であるが、社会一般で「容認されうる」と予め規定できるような(良い表現行為、または正義の)表現行為など無いという事だ。

大切なことは表現行為はすべてヒトを傷つけえると自覚することで、表現者は常に自ら批判を受けるという自覚と覚悟が必要であるということだ。

特に、今の中日新聞に見られるように、東京や大阪の事は他人事のように大上段から振りかぶった批判をするくせに、地元の名古屋の事について批判精神の欠片も感じられないような記事を見ると反吐が出る。いわゆる「総論賛成各論反対」の思考停止に陥った、覚悟や内省性のない作文に過ぎない。

議員報酬の半減論や市民税減税論は誤った、または一般性を獲得しえない歪んだ政策だ。

ここにきてこれはハッキリと言えるだろう。なぜなら、議員報酬の半減も、市民税減税も名古屋以外では続いていない議論だからだ。名古屋でだけ、なぜこの主張がまかり通るのか、なぜ、名古屋でだけこの歪んだ主張に疑問符が付かないのか。それは名古屋市の、特に市政に影響力の有るメディアが歪んでいたからなのではないのか。

市民税減税、議員報酬半減(市職員の報酬削減)、二重行政批判、財政再建論。つまりは、小泉竹中構造改革以来の縮小均衡論、または財政再建論、はたまた行政の効率化論は、誤りであり、批判されるべき主張だ。

「豊かさはお金の形で貯め込めると思っている病(やまい)」(by 「キミのお金はどこに消えるのか」)だ。

こうした誤った経済理論から脱却しなければ、日本の経済は立ちいかないし、少子化=人口減少も止まらない。つまりは、日本の社会自体を根底から毀損する、亡国の論理がこの縮小均衡論だ。

ついでに、ここで言っておくと。どこかの夕刊紙が「議員報酬を83%も一気に引き上げた地方議会」として名古屋市議会の「議員報酬適正化」を批判したようだが、83%を一気に引き上げたことが批判されるのであるなら、50%一気に引き下げたことはいったいどう扱われるべきなんだろうか。漠然とした地方議会、地方議員に対する不信感から、ミソもクソも一緒にするような名古屋市会に対する批判を浴びせかけて、その議員報酬を一気に半減するような議論や論理は、妬みや嫉みに起因した、まさに暴力的な主張ではないのか。

地方議員も一つの職業であり、議員報酬は労働の対価としての報酬だ。それをその中身も満足に理解しないまま引き下げを求める主張は、精神的に貧しすぎる。そして人々の妬みや嫉みに阿った政治的主張(なんとも姑息でさもしい政治的主張であることか!)がまかり通る社会はあまりにも醜い。

私たちは、そろそろこうした縮小均衡の悪循環を断ち切って、相互に労働者を、生活者を守る態度に切り替えるべきだ。
誰かが高い報酬を得ているのなら、それはそれで称賛すればいい(ヒトの報酬に確たる根拠などそもそもない)。そして、我々の手元にも、そうした配分が適切に回るように、制度設計すべきだ。他人(ヒト)を妬みから引き下げるよりも、自分の手元にも必要なものが得られるよう主張すべきではないのか。

構造改革という名の刃物が、財政再建論という刃物が、「子どもたちにツケをまわさない」というデマゴギーが、この国を今のような形に彫塑した。そうした表現行為と言う刃物が、この国をアンバランスで、若者が子どもも持てない、所帯も構えられないような国にしてしまった。
表現行為はこの歪んで醜い社会を、彫り直して、バランスのとれた誰もが豊かな社会、若者が子どもを育てられるような社会にも作り変えることができる筈だ。

その手に握ったペンは、社会を今こそ、そのように彫り直すことのできる刃物なのではないのか。



追記(3月15日):
f:id:ichi-nagoyajin:20190315081542j:plain
誤報の上塗り

それでこれだ。
最後に「構想を否定しなかった」ときた。ならそうした構想はあったのか?
中日新聞だけ読んでいると松井代表の新党否定発言は名古屋市民に届かない。
つまり、全国的な常識と、名古屋市民の認識はここでもズレる。

名古屋市でだけ、市議報酬半減などと言うキチガイ沙汰の話が、あたかも「政策論議」であるかのように議論されている原因であり、日本全国すべての地域で否定された、住民税減税政策がまだ(3.75%とはいえ)続いている原因だ。

木鐸が、自らの身を叩くことを厭い、保身に走ったがために読者が、市民が、歪んだ事実を突きつけられている。

まあ、好きにすればいいんじゃない?
他地域から名古屋市の異常性を批判されても、名古屋市民は気が付きもしないだろう。気が付けるメディアがそれを伝えないから。しかし、将来の名古屋市民は、1世代、2世代後の名古屋や市民はこのズレに気が付くかもしれない。

このような歪んだ報道は歴史の検証に耐えられるのだろうか。



告知:
名古屋城天守有形文化財登録を求める会」が起こした名古屋城木造化事業における住民訴訟
第一回公判の日程が決まりました。
5月16日(木)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。

名古屋城天守の有形文化財登録を求める会


*1:記者会への報道資料は横書きで示されるので、それを新聞記事の縦書きにするだけの記者を揶揄した表現

*2:いわゆる「ヘイトスピーチ」や民族差別表現をめぐっての私の今までの主張と揺らいでいると思われる方も居るかもしれないが、本論を大きく外れるのでここでは述べない。短く言うと「容認されない表現行為」は有り得るが「容認されうる表現行為」と言えるものは無いという事だ

お金はどこに消えた? その2

追記(2019年7月9日):
ご指摘をいただきました。
ありがとうございます。

以下の文章にある。
高木元市議の「会費」に関しては、
減税日本政治資金収支報告書の2ページに目にある
「会費」の項目に計上されているのではないのかとの指摘がありました。
この項目に計上すれば、個別の名前は掲載する必要なく、
一括で「会費」として計上できるとのことです。

さて。

またまた熱心な名古屋市民から情報提供をいただいた。
そして、それについて大雑把ながら検証してみて、やはり問題があると判断したので、皆さんにご報告する。

まず、情報提供をいただいた方へは本当に感謝する。
今回の事例もほんの一欠片の情報から、こうした問題に気が付く観察眼の重要性を思い知る。なんでも「ぼ~っと生きてるんじゃないよ」という言葉がテレビではやりのようだが、同じ風景を見ていても気が付く人と気が付かない人の差はこれで、同じ時間を生きているようでも、その濃度というものはヒトによって異なってくるという事なんだろう。

もう一つ前置きを入れたい。
今回も政治資金収支報告書の問題だ。

つい最近も、佐藤あつし元市議が50万円の記載漏れであれだけのニュースになったわけだ。金額だけで言うならば、その何倍にもなる今回の話、いったいどれだけのメディアが扱ってくれるだろうか。

そうした中でも、どうせ中日新聞は記事にしないのだろうから、中日新聞の記者はこれ以降読まなくていい。せいぜい「ぼ~っと生きて」市長室からガセネタでも貰ってくればいい。

特落ちでもしろ。

さて、減税日本ゴヤの新人市議、高木善英市議がホームページをリニューアルされたようだ。

報 レポート/議会質問/報酬公開 | 髙木よしひで公式ホームページ ひと・まち・ナゴヤ 名古屋市会議員(中川区選出)

アーカイブ取っておきました。

報 レポート/議会質問/報酬公開 | 子ども子育て大応援!生まれも育ちも中川区!高木善英

ここに書かれている事に「引っ掛かり」を感じて、「減税日本」、「河村たかし政治研究会」、「河村市長を助ける会」のそれぞれの政治資金収支報告書を見直してみた。

以下に、平成27年から29年までの各収支報告書へのリンクと、注目される金銭の出入りについて抽出してある。各行の頭にある矢印は金の流れる方向で「←」は資金団体から出た金。「→」は当該団体に入ってきた金を表している。

まず、平成27年


減税日本 平成27年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/281128/z/a27z0757.pdf

  ← 20万円 「公認料」×21人 平成27年2月22日
  ← 10万円 議員会費返却 中村孝道 平成27年2月2日


河村たかし政策研究会 平成27年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/281128/z/a27z0662.pdf

  ← 150万円 減税日本 平成27年4月10日


河村市長を助ける会 平成27年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/281128/z/a27z0661.pdf

  (カネの動きなし)


次に平成28年

減税日本 平成28年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/291128/z/c28z0706.pdf

  → 150万円 河村たかし政策研究会より寄付 28年11月24日
  ← 100万円 河村たかし政策研究会に支出 平成28年10月3日

  ← 16万円 鈴木たかゆき政策研究会 平成28年9月16日
  ← 16万円 かまくら安男応援会 平成28年9月16日
  ← 16万円 あさい康正後援会 平成28年9月16日
  ← 16万円 大村光子後援会 平成28年9月16日
  ← 16万円 田山宏之後援会 平成28年9月16日
  ← 16万円 佐藤あつし政策研究会 平成28年9月16日
  ← 16万円 鹿島会(鹿島としあき) 平成28年9月16日
  ← 16万円 余語さやかを育てる会 平成28年9月16日

  ← 16万円 ますだ成美後援会 平成28年9月20日
  ← 16万円 ひと・まち・なごやを考える会(高木善英) 平成28年9月20日

  ← 16万円 佐藤ゆうこ政策研究会 平成28年9月20日
  ← 16万円 手塚まさゆき政策研究会 平成28年9月23日


河村たかし政策研究会平成28年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/291128/z/c28z0614.pdf

  → 16万円 増田成美より寄付 平成28年9月20日
  → 16万円 高木善英より寄付 平成28年9月20日

  → 100万円 減税日本より寄付 28年10月3日
  ← 150万円、減税日本に支出 28年11月24日


河村市長を助ける会平成28年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/291128/z/c28z0613.pdf

  (カネの動きなし)

ここで9月16日に各市議にばら撒かれた金と、20日に政策研究会に増田、高木両市議から入金された金の動きについて、高木市議の同年の報告書を参照すると理解しやすい。



ひと・まち・なごやを考える会(高木善英資金管理団体)平成28年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/291128/z/c28z1630.pdf


  ← 20万円 支出、パーティー券購入費(河村たかし政策研究会) 平成28年7月23日
  → 16万円 減税日本より寄付 平成28年9月20日


高木市議は、7月に河村たかし政治資金パーティーの券を20万円買っている。この支払については政策研究会が195万円某の売り上げを計上しているので、ここに混ざって判らない。しかし、こうした政治資金パーティーの「上がり」の配分(一部返金かもしれない)が9月に行われたのかと推測することはできる。

増田、高木両市議はこの配分を戻したという事なのかもしれない。尚、河村たかし政策研究会に9月20日、高木市議より入金された16万円については、高木市議個人の支出という事なのか、高木市議の政治資金収支報告書には表れていない。(違法性はない)

さて、最後に平成29年



河村たかし政策研究会 平成29年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/301128/z/c29z0602.pdf

  ← 5万円 寄附支出 佐藤ゆうこ政策研究会 平成29年5月15日
  ← 7万円 寄附支出 大村光子後援会 平成29年5月15日(裏取り済)
  ← 100万円 寄附支出 減税日本 平成29年10月8日



減税日本 平成29年収支報告書
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/301128/z/c29z0690.pdf

  → 100万円 入金 河村たかし政策研究会 平成29年10月8日
  ← 50万円 寄附支出 余語さやかを育てる会 平成29年10月8日
  ← 50万円 寄附支出 佐藤ゆうこ政策研究会 平成29年10月8日


河村たかし政策研究会が減税日本に100万円をいれて、それを余語、佐藤の衆議院選挙候補者に50万円ずつ分配している。政策研究会から大村光子市議に5月15日唐突に7万円が寄附されている。あるいは余語候補と取り違えたかと思ったが、大村光子後援会の収支報告書に7万円入金の記載があり「裏取り済」である。


さて、以上がすべての情報ですが、お気づきになっただろうか?
(問題点を探すのではない、書かれていない問題に気が付くことが大切だ)

もう一度、高木市議のホームページをご覧いただこう。

報 レポート/議会質問/報酬公開 | 髙木よしひで公式ホームページ ひと・まち・ナゴヤ 名古屋市会議員(中川区選出)

報 レポート/議会質問/報酬公開 | 子ども子育て大応援!生まれも育ちも中川区!高木善英


ここに、「議員報酬など活動経費の公開」という情報がある。
「平成30年7月分」「9月分」が公開されているが、この中に「所属政党月会費・・・10,000円」という項目がある。

f:id:ichi-nagoyajin:20190226232644j:plain
議員報酬など活動経費の公開(高木善英)
高木市議の所属政党を私は「減税日本」であると認識しているが、違ったのだろうか?

この書き方であれば「所属政党月会費・・・10,000円」とは、毎月所属政党に支払われているように読み取れるのだが、上でご覧いただいたように、減税日本」の収支報告書には高木市議の「月会費・・・10,000円」は記載されていない。

また、常識的に考えれば「月会費」なるものは高木市議一人が負担するとは思えない。全市議が「所属政党」に入れているだろう。

つまり、減税日本は所属市議から入金されている、月額10,000円の「月会費」を政治資金収支報告書に記載していないという事になる。

なお、ここでこの市議に対する「月会費」の負担について、前期、減税日本ゴヤに所属した議員経験者に取材してみた。すると「月に1万円の会費を取られていた、当初天引きされていたが、途中から手渡しになった。党の会計処理がどう行われていたかは知らない。また、何に使われているかなどの会計報告も聞いていない」との事だった。

帳簿に記載されていない金。

完全に「裏金」ではないですか。

追記:これはわざわざ指摘しなくて良いだろうと思ったが、そうでもなさそうなのであえて書いておくと。政党が党員に会費や党費を求めるのは問題無い。そういった金員で様々な活動をする事も問題無い。しかし、政党についてはそうしたお金の流れを国民の前に透明化しましょうというのが、政治資金規正法で、そのための資料が政治資金収支報告書だ。この会費が党の活動に使われたのだから問題無いと言われるなら、なぜ収支報告書の帳尻があっているのか?毎年数百万円の残金が積み上がるか、ここに記載されていない支出があったという事だろう。
では、その支出とはどういった性格のものなのか?
そこが問題なのだ。

このトンデモないところは、マスコミ人気の市長が、推薦した得体のしれない人物。
それが市長人気だけで市議になる。(そして市議として、どのような活動をするのかは誰にも見れない。あるいはお休みにブロック塀を積み上げるのに忙しいのかもしれない)

その程度の人物たちがそれでも月に1万円。市議歳費から市長の政党に「月会費」を支払い、そのお金の行方は誰も知らない、判らない。

ここは、グラスノスチ以前のソ連か。反社の「ミカジメ料」か。

減税日本の市議は第一期が28人から9人に減った。この減少が等差として換算すると、4年間で「月会費」の総額は約888万円に上る。そして今、第二期は12人から始まって7人に減少している。これも等差で3年間として換算すると約362万円になる。合わせて総額約1,250万円のお金が消えている。この概算には県会議員は含まれていない。今、減税日本の県会議員は絶滅したが、第一期では10名弱の県会議員が居た(その内の一人はオンブズマンと今も裁判を続けているし、もう一人は副市長室にいる)そうなると、総額はもっと増えるだろう。市議報酬が、県議報酬が、公費が、市長のポケットに還流して消えている。

これ、書かなくてマスコミと言えるのだろうか?

これを書かなくて、政治腐敗がどうとか、どの口が言えるのだろう。

「ぼ~っと生きてるんじゃないよ」

「違う、市議の月会費は減税日本が集めているのではなくて、市議会派の減税日本ゴヤが管理している」とでも言い逃れするのだろうか?*1

上の入出金をもう一度見ていただきたい。平成27年の減税日本の出金。

支払い日 : 平成27年2月2日
支払先  : 中村孝道
支払金額 : 10万円
支払い理由:  議員会費返却

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議員会費返却 減税日本 平成27年 収支報告書 その15

中村孝道とは、「僧籍の市議」として目立った存在であった*2減税日本を離脱した、その際支払った「議員会費」の返済を求めたのだろう。減税日本に「議員会費返却」を負担する義務があるのであれば、「議員会費」の入金を受けていたのも減税日本と解するのが当然だ。

これ以上どのような言い逃れの方法があるのか。
いったい議員歳費をなんと心得ているのか。

そりゃ、現在の減税日本の市議のように、ただ立って座っているだけで*3「ぼ~っと」しているのであれば、市議報酬は800万円でも十分だろう、いや高い。

現在、またまた市議報酬800万円の議論が蒸し返されている。

もうこうした下らない「引き下げデモクラシー」とは決別すべきだ。

私たちは「安い」議員が欲しいのだろうか?
「市民の為になる議員」が欲しいのだろうか?

市民の為になる議員であれば、それ相応の代金を支払わなければ市議になってくれるわけがない。自分たちの政治資金収支報告書ひとつ満足に管理できない無能が、総額2兆円にもなろうという名古屋市の予算が審議できるものだろうか?

いい加減に、名古屋市民は目覚めなければならないし、その目を塞ぐマスコミには退場を願いたいものだ。

参考:
減税日本の嘘 河村たかしの嘘 佐藤夕子の嘘 余語さやかの嘘 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

河村たかしの人気を支えた「国会議員特権批判」その内の
国会議員年金は、どこへ消えるのだろうか?



告知:
名古屋城天守有形文化財登録を求める会」が起こした名古屋城木造化事業における住民訴訟
第一回公判の日程が決まりました。

5月16日(木)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。

名古屋城天守の有形文化財登録を求める会


*1:高木市議の公開情報では「市議会所属会派月会費・・・5,000円」は別立てである。これも情報は一切公開されていない

*2:議会リコール署名簿を事務所から流出させた

*3:目の前でブロック塀の危険性が議論されている最中に、ブロック塀を積み上げて

禍福は糾える繩の如し(後編)

田畑代議士はなぜ、運命に翻弄されるのか。

この話題に入る前にこの間、耳に入ったお話しをしてみたい。私にとっては、つまり名古屋市政を考える上では田畑代議士の問題よりも重要だろうと思われるからだ。

どのような話かというと、ある方が「C新聞のT記者はどうなんだ?」と聞いてきた。「N市議がこの市議選に立候補しないのではないかと当ててきた。勿論、そんなバカな話があるわけがない。盛大なパーティを開いて、つい最近も観劇会を開催した。どこからそんな話を聞いたかと尋ねてみると、どうもT・T県議からだと匂わせてきた。T・T県議がN市議のネガティブ情報を流すのは常の事で、そんな話は誰も取り合わない。そんな事も知らないのか?」*1

そこで私も、N市議が常時フェースブックで朝街宣などの活動を報告している事や、来季早々にも議長を務めるのではと言われている事などを示して、同意するとともに、この話、ブログに載せて良いかと確認した。

T記者は「浅い」、自分の世界観に固執するところがある。
彼にとって自分が理解した世界観が「正解」で、他の見方は「誤り」なのだろう。後に述べる田畑代議士の件でもそうだが、当事者自身だからといって自分の事情を理解してるとは限らない。それは判る。

しかし、それは観察する記者についてもいえることだ。事象を理解しようとすれば、主観的観察を含めた全てに懐疑的で、立ち現われた事実に謙虚に向き合う姿勢が必要だろう。T・T県議とN市議の関係性にしても、それを理解していればこんなヨタにはどのように対処すべきか簡単に判りそうなものだ。(他のマスコミ関係者にも警告しておくけど、田畑代議士の話についてT・T県議は遠い立場に居た。そして選挙も近いこの時期に、彼がこうした状況を「利用」しないわけがない。あそこから出てくる話については十分な注意が必要だ)

Tさんね、あなた自分が有能であるように振る舞っているようだけど、周りはそうは見ていないよ。
こうしたモノの見えなさが、市長室から漏れてくるようなヨタ話を市民に聞かせて、市民のミスリードを誘う現状を生んでいるのではないのでしょうかね?ちゃんと、取材して、裏取って常識や法律に照らして記事は書こうよ。

C新聞を読んでいると*2、名古屋は減税で1128億円の経済効果があり、名古屋城は建てば世界遺産に登録されて、中部国際空港あおなみ線が3本も通って、今の市長は尾張藩士の末裔だって事になりそうだ。

霞と消えた1128億円 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
河村たかし名古屋市長は尾張藩書物奉行の末裔か? - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

事実は、減税政策では経済効果がマイナスに出る*3。また、1000億円といえば、守山区中志段味土地区画整理事業で、名古屋市は1000億円の赤字を抱えている。けれども市民には危機意識など無い*4名古屋城世界遺産どころか、基本設計ができたと言っているけれど、その図面や仕様書は市民に示されておらず「名古屋市民はだれ一人として、どのような城が建つのか実は知らない」そして、建築審査会の同意も、防災評定も出されておらず、このように法同等の安全が保たれない建築物は、建築基準法の適用除外を受けたとしても建築物としては建てられない*5
なので建築計画が確定する以前に、先行して、登録有形文化財の価値のある現在の天守建物を破壊すれば、名古屋城跡は長く天守台の上にお城のない姿を晒すことになるだろう。それは2020年、観光客を最も誘致すべき時に名古屋城が観光拠点として機能しない事を意味する。

そして何より、名古屋市民は本当に文化的に、歴史的に価値の有る歴史的建造物を破壊し、自らの宝を失う結果に陥る。

本来、市民の目となり耳となるべきメディアの、記者の目や耳が歪んでいれば、市民、有権者の知識が歪み、判断が歪む。*6

・・・と、書くとT記者はより一層、頑なになって歪んでくれるだろう。それを期待する。

追記:
Yahoo! ニュースで反響が大きかった、名古屋市におけるホール不足問題も、中日新聞を読んでいると気が付かないよね。「市民版」って機能不全に陥っているんじゃないの?

名古屋のホール不足が問題になっている ( その他レジャー ) - 街の風景12 - Yahoo!ブログ

さて、では本題。田畑代議士はなぜ、運命に翻弄されるのか。
依って立つ基盤がないからだ。

彼は、行政書士会の推薦候補として、比例名簿に掲載されて国会議員としての歩を進めたようだが、そうした職能団体と田畑氏との繋がりは希薄だった。(これが濃密であれば、東京から愛知県へとお国替えなどできなかっただろう)そして、落下傘降下した愛知二区においても地盤を耕しているようには見えなかった。経歴として「日銀名古屋支店勤務」とはあったが、だからといって名古屋市内にパイプがあったわけでもない。
厳しい言い方をするなら、田畑代議士にとって衆議院議員選挙とは、単なる就職活動で、国会議員というのも職としての選択肢の一つであっただけではないかと思える。

「しがらみのない政治」などという言葉がはやったが、こんな空虚な言葉もない。現役の政治家でこんな言葉を口にする者が居れば、それは間違いなく「インチキ」だ。

政治家などしがらみの中でしか生きられない。・・・今風の言い方にするなら「関係性の束の中に居る」と言い換えてもいい。

ワタミの社長も政治の世界から手を引くという。政治家として出ようなどというオッチョコチョイは、間違いなく自信過剰だ。「俺に任せればこの国を理想郷に変えてやる」ぐらいの事は思っている。「なぜ、皆はこんな簡単な事も思いつかないのか」と思っている。

自分は判っているが、周りの皆はバカに見える。なので、率先して「俺に任せろ」と言えるのだろう。ところが実際にその「簡単な事」を実行しようとすると、様々な障害がある事が判る。法的規制、他の政策との齟齬、自分には見えていなかったもう一方の利害関係者の存在。自分が「バカな政策」と思っていたことの意外な効果。

つまり「こんな簡単な事も思いつかないのか」と思っていたアイデアなど、すでに誰かが気が付いていて、その思い付きが無効である事を知っており、自分自身が勉強不足でそれを知らなかった事を知る。

なので、政治家に立候補する者は「オッチョコチョイ」なのだ。*7

政治家となる、それは間違いなく「権力を手に入れる」事だ。確かに可能性は広がる、しかしだからといってできる事は限られる。たぶん、失望の連続だろう。なぜなら、自分が手に入れたと同じ権力を、すでに何人もの先輩議員が手に入れており(そしてその中の数人は確実に自分よりは有能で、更に先行者としての優位性も持っている)、自分が手を出せる場所には、すでに誰かの手が入っているからだ。それに気が付かないのであればバカだ。

「社会を良くしよう」という意識は結構な事だろう。しかし、ならばどのようにそれを実現化するのだろうか?

まさか、「バッチを付けてみたい」というような幼稚な考えであれば辞めておいた方が良い。

バカな大人が「人生行き詰まったら選挙に出てみろ、うまく当選できれば議員になって、税金で食ってウハウハだ」と宣伝するかもしれないが、世の中はそれほど甘くはない。ツケは必ず付いてくる。(2月10日 情報公開されたというこの好例が知らされたが、当ブログで触れて良いものか悩ましいので今は触れない)

そもそも議員というのは、有権者の僕だ。
バッチを付けるという事は、そしてそれで食っていくという事は、その僕になることに他ならない。この世界は常に誰かに向かって頭を下げることで回っている。お客様は神様であり、日本の社会というのは、首相であろうと天皇陛下*8であろうと、誰かに頭を下げることからは逃れられない。*9

以前、とある人物が代議士になった。衆議院議員に当選したわけだ。たまたま私がこの人物から意見を求められるという場面に至った。そこで私はこの人物に「即座に頭を下げに行くべきだ」と意見を具申した。というのも、この人物はその地元の議員との関係がぎくしゃくしていることが明白であったからだ。しかし、そんな行き違いも「ヒトの好き嫌い」「ウマが合う合わない」というレベルでしかなく、仕事としてお互いの利害の為に関係を正常化する事もできると思えたからだ。こうした場合、その代議士にも言い分があり、地元の議員にも言い分はあるだろう。けれどもそうした「行きがかり」を清算するには、「大きなバッチを付けた方」が頭を下げ、「今後は先生のご意見を尊重して精進してまいります」ぐらいの事を言っておくべきなのだ。もちろん、それですぐに信用を勝ち得るというものでもないし、関係が正常化するというものでもない。しかしそれでも「大きなバッチを付けた方」が先に頭を下げることが、関係改善の入り口であり、筋の通し方というものに思えた。

この時、私の頭の中では古くから言われている「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉の奥深さを感じた。たしか、徳川家康などもこうした戦略を使ったはずだ。

バッチを付けている者が、自らそれをひけらかすような権力の行使、地位の利用をすれば周囲は目をそらし、表面的には従っても、裏では従わないし、足を引っ張る。しかし、そうした者が、自分の前で頭を下げ、その意見を容れるというのであれば、その言葉を受け入れて関係を維持しようとするだろう。

これは一般有権者と代議士たる衆議院議員との関係だけではない、地方議員においても同様だろうし、地方議員と地元選出の衆議院議員参議院議員、首長などでも同様だろう。

常に、皆誰かに頭を下げることでその職責を得る。しかし、この連鎖は一般に思われている「偉い順」などではない。実は全く逆で、有権者に地方議員は頭を下げ、その地方議員に衆議院議員参議院議員が頭を下げるという構図になる。

よく子どもが「市会議員よりも県会議員の方が偉い、国会議員はもっと偉い」というような事を言うが、これはまったく逆の構図となる。

これにもいくつか例外はある。党の中央組織が強い場合は、こうしたボトムアップの「民主的」な在り方ではなく、組織官僚的な上意下達の組織運営となることもある。ボトムアップの民主的な組織というのは、その組織内権力の基盤である権威が「民主」つまり、有権者に置かれるので、組織がボトムアップとなる。けれども、組織の中央に権威がある場合は、組織運営も上意下達の形になってしまう。(具体的な党の名前は出さない)

不幸なのはこうした「権威」が個人に係っている組織だ。こうした組織では常に個人が中心となってしまうために組織は不安定となる。
仏教では法四依の教えの中で「依法不依人」と語り、こうした個人への依存を戒めている。仏教経典というのは、仏教を守るための組織運営を教える知恵も含まれており「依法不依人」という考え方は、特に優れた組織のルールであると思われる。ヒトはヒトに依りたがる(「依人」)が、それは組織運営を歪める。ヒトは常に矛盾や過ちを含むために、「依人」による組織運営は矛盾やひずみを生み、構成員を板挟みにする。

特に、上位者に媚び諂い、上位者の過ちや矛盾を質さず、却って拡大するような手合いは、その組織を破壊する。つまり、「ヒラメ上司」の下ではヒトは働きにくいってことだ。

バッチを付けるということ。今の日本の社会で国会議員や地方議員になるという事は、有権者か、党組織か、こうした個人の奴隷になるということだ。個人やら党組織に身をささげるメンタリティは私には理解できないが、有権者一般の奴隷となることには理解ができる。

なぜなら民主主義とは、政治そのものを民衆の奴隷とする事だからだ。民衆が政治の奴隷になってはたまらない。民衆が政治に翻弄され、あるいは悲惨な生活を強いられてはならない。民衆が安心、安全な生活を送れるために、政治とはあるのであり、政治権力を民衆は隷属させるべきだ。であるならば、そうした政治の担い手は民衆の、有権者の奴隷となる以外にない。

最大多数の最大幸福のために、経世済民があり、政治があるのであれば、その担い手は民衆の奴隷に他ならない。その覚悟が無い者は、政治に足を踏み入れるべきではない。

残念ながら、田畑代議士にはこの覚悟はなかったようだ。そして彼は民衆の奴隷として、有権者に奉仕し、有権者の為にある自分と言う立場を理解せず、気ままな個人としての無責任な行動を起こしてしまったという事だろう。たぶん、田畑代議士は早晩名古屋を去るだろう。離党するしないに関わらず、名古屋に居る理由は無いからだ。しかし、だからどこへ行くのか?それは私も判らない。

これ以上はこのブログでは判らない。なぜならば、田畑代議士も、被害者と目されている女性や、その配偶者なる人物にとっても、事の本当の真相は判らないだろうからだ。そのような事にあれこれ論評するのもバカバカしい。何も決めつけて語ることなどできない。このブログでご報告できるのは、私の目に写った事実から言える範囲にとどまる。



追記(2月20日):
自民党「田畑代議士」離党騒動の真相 被害女性が “盗撮被害”と“告訴”を独占告白 | デイリー新潮

*1:おっと危ない。同選挙区には「T県議」がもう一人いた。H・T県議ではない、T・T県議だ

*2:T記者一人の責任ではないけど

*3:日本全国どこも追従しない誤った政策である事は明白だ

*4:十分な報道がないから!

*5:1/1スケールの木造模型なら建てられる

*6:現在の科学では、名古屋城天守台石垣の上に建てる建築物に、不特定多数の来場者を入場させる安全性を担保できる根拠は示せない。石垣の耐震性を科学的に示せるものなら示して見せていただきたい。昭和34年にケーソンを埋設して現天守を建てた判断は正しい。しかし、全体の耐震性を現在の基準に合わせて保証することは不可能だ。つまり、現存の歴史的建造物であれば、その維持は可能だろう、名分も立つ、先行事例もある。けれども新築の建造物には現代の安全基準が求められるのであって、つまりは石垣の再建が必要となり、結果として特別史跡そのものを再建するという本末転倒の要件に行き着く。現天守建物を解体すれば、新築の木造天守は作れない。法の定める安全基準、その科学的根拠を無視して再建したとすれば、発災の際に、どのような結果を生じるかは、法的にも科学的にも不明だ。その一義的な責任は当然名古屋市河村たかしにあるが、その河村たかしに対する問題点の指摘を十分にせず、市民/有権者をミスリードし続けてきたC新聞にも重大な責任がある

*7:当然、私の論考だって見えていない部分があるだろう。なので、議論を提示するにとどめている。「俺に任せろ」などとは言わない、言えない

*8:天皇陛下の仕事というのは、この「頭を下げつづける事=祈り続ける事」であるとする説がある

*9:誤解するバカウヨが居るといけないので、先回りして天皇陛下が誰に頭を下げているかだけ言っておくと。「皇祖皇宗」であり、「戦没者」である

禍福は糾える繩の如し(前編)

さてさて、愛知2区選出の田畑つよし衆議院議員にスキャンダルが発覚し、自民党を離党するだの、議員辞職を求められるだのの騒ぎになっている。

そもそもこの田畑つよし衆議院議員はひじょうに「特異な」経緯を踏んでいる。

前回の衆議院議員選挙後、2017年10月25日に私がフェイスブックに投稿した文章を引用する。

田畑つよしラッキー伝説

今回の選挙戦、名古屋市内の愛知2区から出馬した
自民党の田畑代議士。超ラッキー伝説

平成24年(2012年)自民党比例代表東京ブロックで出馬、名簿順位26位、アベノミクス選挙で当選。
平成26年(2014年)二期目、自民党比例代表東京ブロックで出馬、名簿順位29位、次点落選。

しかし!

平成28年(2016年)当時の東京都知事舛添要一氏が都知事の座を追われると、小池百合子氏が衆議院議員から東京都知事に出馬。小池氏の地盤である東京10区に比例当選していた若狭勝氏が出馬、比例代表としての衆議院議員は失職、若狭氏は東京10区補選で当選。自民党比例選出候補として、次点の田畑氏が繰り上げ当選!

http://www.soumu.go.jp/main_content/000444031.pdf

(舛添→小池→若狭→田畑)の連鎖、将に「政界ピタゴラスイッチ

平成29年3月、自民党にとって鬼門と言われた愛知2区の候補としてお国替え。落ち着く間もなく10月衆議院解散。
小選挙区において、希望の党古川候補に惜敗率71.94%で敗れる。
自民党比例代表獲得枠は7席!
田畑候補の惜敗率は8位!
7位の八木候補の惜敗率は71.99%、その差たったの0.05%!
平成のラッキーマン、田畑つよしの悪運も尽きたかと思われたその時。
なんと、ドント方式による比例議席配分で、5議席獲得した立憲民主党の立候補者が足らなくなった。
というよりも、皆選挙区でも当選して、比例復活が必要なのは4議席だけ。それでも全員当選!
議席再配分のルールで1議席自民党に転がり込む!
超ラッキー!
ところが、ここで台風の影響で、離島の票を回収できなかった愛知12区で自民党候補が敗北している為、両者の「惜敗率対決」にもつれ込む。
ここで水入り、離島の票を回収する為、自衛隊のヘリまで出動するも、風が強くて運べない。投開票の翌日午後8時からやっと愛知12区の開票作業再開、9時30分ごろ、大勢判明。
比例復活第8位として議席獲得。もう一人の候補の惜敗率、最終確定数は70.06%、その差1.87%。
10月22日(日)の投開票日、午後8時に相手候補の当確が報じられた。
日本で一番早く、選挙区選挙で負けた男は、持ち前のラッキーで、日本一遅く比例復活を果たす。

政治家や企業経営者、スポーツにおける監督など、リーダーと呼ばれるヒトには「運も実力の内」
こうした運が有権者や国民に向かえば良いんでしょうけど。

さて、その超ラッキーボーイが今回どういう事になったかというと。

二つの出来事が影響しているのではないかと思われている。1つは、細野豪志衆議院議員(静岡5区・民主から無所属)が自民党へ移ったこと。そして、安城市において市長選挙で大見正氏が衆議院議員から転身して市長選挙に立候補した事だ。

上の文章では敢えて書かなかったが、田畑代議士の後塵を拝し次点に留まったのは青山周平氏である。安城市長選挙で大見正氏が市長に転身した事で次点の青山周平氏が繰り上げ当選する事となった。これで次点は吉川たける氏となるが、吉川氏の地盤は「静岡5区」。

今回、民主党を割って無所属となり、自民党に入ることとなった細野代議士も「静岡5区」である。

細野代議士の自民党入党には二階派が動いたと言われる。
これに岸田派が反発。また、このまま細野代議士を自民党に受け入れてしまえば、自民党の静岡5区選挙区支部長も細野豪志氏という事になり、吉川氏も行き場を失う。

つまり、ここで自民党比例代表東海ブロックの当選議員が「もう一人辞めれば」(または、衆議院議員から転出すれば)吉川氏が復活当選を果たし、自民党静岡5区選挙区支部長の座は吉川氏のものとなる。(細野豪志氏の処遇について再考する必要が出てくる)

(この部分カット)

今回の田畑代議士の場合、確かに警察が動いているという事だが、事情は少々独特なような印象を受ける。それが即座に各メディアに流れて、更に議員辞職ではなく離党という判断に行き着いている。これはスキャンダルそのものの性質よりも、その扱われ方に独特のアングルを感じずにはいられない。

次週の週刊文春に事情が掲載されるそうだが、それも含めて注目したいし、着地点として議員辞職まで求められるのではないかと考えられる。

田畑代議士はなぜ、運命に翻弄されるのか。

(以下、後篇に続くつもり)